2015-12-14 07:20 | カテゴリ:未分類

これまでの「WINEPブログ」で何度も述べてきたように、小生の所属していた東大農学部植物栄養肥料学研究室は(故)三井進午教授が農学関連の研究への放射性同位元素(ラジオアイソトープ)導入の日本での先駆者であった。だから、1960年代は東海村の国産第一号原子炉(JRR1)を放射性同位元素の製造に利用して植物生理学実験をしたり、1970年代以降は高崎の原子力研究所での泊まり込みでの共同利用研究が連綿と行われてきた。三井先生自身は国際原子力機構(IAEA)の参事で頻繁にウイーンでの国際会議に通っていた。IAEAからは研究資金ももらっていた。また、研究室にはインドからの留学生も受け入れていた。

    

今回日本とインドが原発輸出協定を結ぶことにしたようだ。しかし、インドは原爆を所持し、核実験を行い、NPT(核不拡散条約)署名国に頑として参加していない。インドからすれば原爆を有するパキスタンや中国が脅威であるので、抑止力としてぜったいに原子爆弾は放棄しないという立場である。だから従来から日本の文科省はインドからの留学生を原子力機構など原子力関連の研究に共同参画させなかった。核保有国でNPT非加盟国の留学生たちを日本の核の機密に近付けさせない(軍事目的に原子力技術を転用されたら困るので「スパイ」させない)ために施設に立ち入りさせない、というのがその建前上の強固な理由であった。そのために、せっかくの先端的なラジオアイソトープを用いた高度の研究手法を彼等に体験させられずに泣く泣く帰国させざるをえないことも多かった。核を保有し、核実験を繰り返した中国やパキスタンからの留学生に対しても同じ扱いだった。被爆国として核に関しては日本国政府はそれほどかたくなだったのである。

 

日本-インド間で、どの研究分野がいちばん学術交流を推進してきたのかと問われれば、昔は農業分野、現在では間違いなく IT関連だろう。上述のような断固とした日本政府の理由で理学工学系の日ー印間の「原子力関連の交流」は皆無であったはずである。今回は、原発輸出を契機にその矜持を簡単に捨ててしまおうということらしい。原発輸出のためには被爆国の悲願であるNTP(核不拡散条約)という国際的な協約なんかどうでもいい、ということなんだ。『これを契機にインドが今後NTPに加盟しやすくなるかもしれない』とか『停電が頻発するインドの電源が安定する』だとか『COP21の温室効果ガス削減に寄与できる』とか、『将来インドが原爆実験をやったら即原発支援を停止する』とか(単なる口約束)、安倍首相と岸田外相が国民を愚弄する詭弁を繰り返している。それをマスコミが無批判に繰り返し報道している。「嘘も堂々と繰り返せば、国民はいずれ忘却してどうでもよくなる、つまりいつの間にか既定事実になる」という政策手法が安倍政権の国民愚弄化政策として堂々とまかり通っている。安倍は被爆国日本の世界に冠たる矜持をかなぐり捨てて、福島第一原発暴発国日本の居直りを世界に宣言した。言っちゃ悪いが、政治家としての職業倫理がずっこけた〇〇としか思えない. 東芝・三菱重工・日立など「原発コンツエルン」に天下りをねらう経産省や財務省の狡猾な官僚に操られているのだろう。彼は国を危うくする。(○○に適当な言葉を入れよ)

 

 

(森敏)

付記1:インドからの一番最初の留学生マハトマ・シン氏は非常に優秀であり、戦後のインド人留学生としては日本での最初の農学博士号を得た人物である。「老朽化水田」の原理を学び帰国後「インドの水田農業」の生産力上昇の強力な立役者となった。その後も植物栄養肥料学研究室ではインドから数人が留学してきた。中でもG.K.バラット氏は物静かなベジタリアンで彼と小生とはヒンデイー哲学論義をよくしたものである。素晴らしい人格者だった。非常にためになった。我々の分野ばかりでなくとも農学関連分野ではインドの各大学との連携は続いたが、ほかの医学、薬学、工学、理学の研究分野ではそうでもなかったように思う。インドの研究者は英語が通じる宗主国U.K.や U.S.A.への志向が強く、日本に顔を向ける研究者はほかのアジア諸国に比べれば今でも格段に少ないのではないだろうか。

     

付記2:小生のインド人研究者への印象は、かれらは英語(機関銃を打つような早口のIndian Englicだが)が堪能なので、頭がいい研究者は、国際研究機関や国際学会では総合的な取りまとめ役に秀でており事務局長や議長になっている人物が他国に比べて多いと思う。一般的に手足を動かしてデータを取る作業よりは、他人のデータを使って“きれいに”話を作り上げること(モデル化)に長けている。つまり「分かったように思わせる抽象論」に長けている。多分99x99の九九を諳んじる数理的才能がそうさせているのだと思う。エリート階級は手足を動かす汚い作業をあまり忠実にやりたがらないように思う。これは彼らの深層心理に骨肉化した旧来の陋習であるカースト制も関係していると思う。概して日本の大学では英語が通じるので日本語を熱心に学ぼうとする姿勢はあまりないようだ。以上今日の若いインドからの留学生が聞いたら激怒するかも知れない老書生の偏見です。
   
追記1:その後「インドへの原発輸出」の件では以下のネットで優れた多角的な見解が展開されている。
http://www.fsight.jp/articles/-/40781
 
要するにほとんどの日本国内原発メーカーから見ても、企業不信のインド世論からみても、インドへの原発輸出はほとんど不可能な提案だということである。

追記2:その後の展開です。

日印原子力協定締結へ=首脳会談で署名方針

 日本、インド両政府は、11月中旬にモディ首相が来日し、安倍晋三首相と会談するのに合わせ、日本からインドへの原発輸出を可能にする原子力協定に署名する方針を固めた。政府関係者が31日、明らかにした。安倍政権はインフラ輸出を成長戦略の柱に掲げており、インドに対する原発輸出の環境が整う。
 日本が核拡散防止条約(NPT)非加盟国と原子力協定を締結するのは初めて。インドは核保有国であるため、被爆地である広島、長崎両市などから「核不拡散体制を形骸化しかねない」との反発が出る可能性もある。(2016/10/31-16:59

  

 

 

2015-07-17 13:00 | カテゴリ:未分類

    昨晩、退職後14年ぶりに東大農学部教授会の「暑気払い」に参加してきた。これは要するにこの春(331日)に無事東大を退職し、名誉教授の称号を得た人たちの今後のご活躍を祝っての、先輩や現役をまじえての懇親会である。小生の実感からいうと名誉教授資格の審査はやたら厳しいが、名誉教授になっても何のメリットもない。唯一、年に一度のこのような懇親会に出て「ただ飯」を食えるくらいである。それどころか、最近は執拗に毎年大学への寄付金を仰がれる。

   

   20年以上前にはやせていて精悍な助手(現在の呼称は助教)だった人たちがいまは現役の教授であったり、すでに退官されていたりする。現役のみなさんのおなかが出て少し太り気味なのが大いに気になった。メタボ症状ではないだろうか? デスクワークの激増が主な理由のようであった。切れ目のない研究費獲得のための申請書の作成や、学内外での自己や他人の「研究」や「教育」評価書の作成等のための作業で忙殺されているのであろうと推察した。そのために、皆さんあまり自ら「試験管を振る」時間が無くなっているようで「そんなことでいいのだろうか?」と少し心配になった。実験系の研究者は、自分自身による現象の観察が重要で、そこにこそオリジナルな発見の契機があると小生は信じるからである。余計な心配かもしれないが研究テーマが先細って行かないことを心から念じた。

   

退職名誉教授の多くが小生と同じく健康管理に気を付けておられた。そのことは、年齢による日々のどうしようもない体調の現象が、切実な現実問題であるからでもある。毎日の積極的な、歩き、整体師通い、ジム通い、などいろいろと工夫されていた。この「暑気払い」に出てこられていた退職教員たちは全体の5%にも満たないだろうから、むしろ出て来ておられない方々の健康が他人事ながら心配になった。小生もこれまで14年間でてこなかったので、何かといろいろ言われていたことだろうと思った。

   

退職して完全に雑用から解放された某先輩名誉教授が「ガロアの群論」の解法の研究をしていると聞いて、驚愕した。若い時から数学が強かった人は年をとってもなかなか頭が強靭なのだと思った。話が少しそれるが、太田朋子氏(国立遺伝顕名誉教授・東大農学部卒。81歳)が『分子進化のほぼ中立説』で、つい最近クラフォード賞(9000万円)を受賞されたのだが、その理論のご本人による説明が4ページにわたって学士会会報7月号にのっている。またネット動画で授賞式の講演が1時間にわたって放映されている。しかし彼女の説明には一切数式が使われていない。言葉でのみ説明が行われている。でも小生にはチンプンカンプンである。この理論の背景には深遠な数学が使われていることは素人の小生にも匂いを感じられた。実に数学のできる人は長生きするのだなと思う。(ガロアは若気の至りで20歳で決闘で死んだが)。
  
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クラフォード賞で受賞講演する太田朋子国立遺伝研名誉教授(動画からのパクリ)

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小生には理解不能な太田理論 (動画からのパクリ)
 

皮肉にもこの暑気払いの日の716日は安保法案(野党によれば[戦争法案])が強行採決により衆議院を通過した。この日は日本の憲政史上に汚点を残した「立憲政治の崩壊」の日と記されるだろう。安倍内閣は日本国が憲法という体系的な法律に基づく運営を行わない行政府や軍部の暴走を許す国になる道を拓いたかもしれない。並行して行政による一方的な現在進行形の <原発再稼働> の動きが、まさにその暴走の顕著な「表現型」である。

 

名誉教授の某先生は昨日の安保法案通過に反対するために一昨日は国会議事堂のデモに参加したとのことであった。「女性が多いのにびっくりした。しかし若者が少ないのにがっかりした」とのことであった。昨日の昼の衆議院での採決を自宅でテレビで見ながら小生も「ここまで長生きすべきでなかった」と感じた。デモなどに参加すればいっぺんに体調を崩すので行かなかったが、1960年の619日に岸内閣が強行採決した「日米安保条約」自然承認の日の国会議事堂前での徹夜の座り込みが走馬灯のように浮かんできた。白々と夜が明けて来たときの敗北感はいまでも忘れられない。当時、国会周辺に総勢5000人以上いたその東大生や教職員は、今皆さん小生と同じ心境だろうと思う。
    
(森敏)
追記: 学会や退職後の再就職で中国に出かける人も多くなった。彼らの中国に対する印象は、様々である。共通していることは「日本の10倍の人口であるので、急速に世界水準に学問レベルが挙がってきており、部分的にはすでに日本を凌駕している」というものである。台湾や香港のように、「100年後にはいずれ日本は中国の一省になるか、アメリカの一州になるかの決断を迫られるかも知れない」というのが実は小生の危惧する所なんだが。

2015-06-20 12:24 | カテゴリ:未分類

居住制限区域の営農許可 帰還困難区域条件付きで事業所設置

 政府の原子力災害現地対策本部は19日、東京電力福島第一原発事故に伴い設定された居住制限区域で本格出荷に向けた営農活動の実施を同日付で認めた。帰還困難区域で、社会基盤の復旧などに関わる事業所の再開・新設を可能とした。いずれも屋外の放射線量が毎時3.8マイクロシーベルト(年間積算線量20ミリシーベルト)を大きく超えない範囲であることが条件。
 同本部は、避難区域の放射線量が自然減衰や除染などにより徐々に低下していることを踏まえ、被災市町村と協議して決定した。農業者と事業者は、農地や事業所付近の線量や事業内容を市町村に申請し、同本部と市町村長の許可を得る。
 これまで居住制限区域(年間積算線量20ミリシーベルト超~50ミリシーベルト以下)では原則的に営農はできず、コメの実証・試験栽培が一部地域で例外的に認められてきた。
 今後はコメや野菜などを栽培し、放射性物質検査で食品衛生法の基準値を下回れば出荷できる。県によると、居住制限区域の農地は3千ヘクタールを超える。
 一方、帰還困難区域(年間積算線量50ミリシーベルト超)では、政府と市町村の協議で必要性が認められれば事業所を設置できる。対象は社会基盤の復旧業務や廃棄物処理、ガソリンスタンドなどを想定している。

2015/06/20 09:29 カテゴリー:福島民報

  この記事を読んで、恐怖を覚えない生物学研究者はいないと思う。毎時3.8マイクロシーベルトという放射線濃度は、ガンマ線線量計は連続音で鳴り続ける。付近の物にガイガーカウンターを近づければ高いところでは毎分1万カウント以上を示す恐怖の連続音で鳴り続けるだろう。東電福島第一原発暴発事故以来4年経過して、今では放射線や放射能に理解を十分に高めた現地農民からしても、驚くべき決定と受け止めれられているのではないだろうか。いくら除染した水田でも一日8時間野外勤務していればも優に30マイクロシーベルト前後は被曝するだろう。農家の意欲は理解できないわけではないが、本当にこんなところでも栽培したいのだろうか?生産されたお米がたとえ基準値以下であっても、ほかのお米と一緒に「福島産」のお米として流通するという考えは都市の子供たちを育てている消費者を甘く見ていないか?
 
  お米は完全に福島県によるチェックシステムが出来上がっているようだが、今後原発廃炉作業中でのアクシデントで原発からの粉塵被ばくなどで様々な玄米の異常値が各地で出た時に(2003年がそうであったことを忘れてはいけない)、このような場所の異常値をミソもくそも一緒にするような、原因を迷宮入りにする口実にも使われかねないだろう。ましてやこれまでも福島の全野菜の放射能チェックシステムは完全に出来上がっているということを聞いたことがない。福島産の野菜はますます窮地に立たされるだろう。東京のスーパーでは、福島産野菜は、茨木県産、群馬県産、長崎県産、熊本県産、鹿児島県産などとあえて混在させて売るという姑息なことをやっている所が時たまあるので呆れている。

  上記の福島民友新聞の記事の冒頭に出てくる「政府の原子力災害現地対策本部」なる組織の構成員の農業部門には誰が科学者として参画しているのだろうか? 
     
  現安倍内閣の「政治判断は日本国憲法に優先する」という勇猛果敢(?)な精神が「政治判断は科学に優先する」というところに国の末端組織である原子力災害現地対策本部にまで波及し、ますます暴走し始めたと思われる。    
 
  このことに限らず、次第に批判記事を書けない状況に追い込まれつつあるこの地方紙も情けない。
        
(森敏)
追記:以下、転載です。

20ミリ帰村で累積被曝は数シーベルトに

     2015618日 飯舘村/福島再生支援東海ネットワーク 事務局

 

 

  年間1ミリシーベルト上限とする放射線障害防護法の明確な逸脱であること。これ  

は国家そのものが法を破り、憲法に定められた生存権を公然と否定したことを意味している。これをまず確認しておこう。

  20ミリの被曝なら20年間では累積400ミリに達することになる。これ自体がすでに政府みずからの云う「100ミリまで安全」の4倍である。

  2011年の圧倒的な初期外部被曝がこれに加わってくる。例えば飯舘村長泥の2011315日〜410日の実効線量はほぼ毎時10020マイクロシーベルトであり、平均値は毎時51.7マイクロシーベルト。24時間屋外最大値では27日間で累積33,502マイクロ、つまり約34ミリシーベルト。避難完了の630日までなら51.7×24時間×75日=93,060マイクロ、つまり約93ミリシーベルトになる、

  内部被曝こそが特に深刻。政府の弁を信じて露地栽培の野菜を食べて(平均摂取量大人で0.6kg)いた場合、その実効線量は1517ミリシーベルトであり、これを仮に7ミリとしてもやはり75日では525ミリシーベルトにも達する。また吸入被曝約0.45ミリ×75日=33.8ミリを加算すると合計558ミリシーベルト。

 

これで避難前75日間の累積被曝線量は…

 外部93ミリ+内部558=約651ミリシーベルト

 これに県内避難後4年間の被曝量を加えれば、総累積はゆうに

 700ミリを越えることになる。

  なお幼児の場合の甲状腺等価線量では、75日で数千ミリという途方もない被曝量となってくる。甲状腺ガンはこれからも急増していくのは必定である。

 

  以上、詳しくは山田先生の報告書をご覧頂きたいが、とにかく大人で700ミリシーベルト以上、幼児甲状腺で数千ミリシーベルトに近い被曝をさせられてしまった飯館村の住民。この方々に対しさらに20年間で400ミリ以上となる被曝を加えようというのが、今回の「帰村」政策なのである。100ミリ安全論はもちろん間違っており、安全の基準はあくまで法規でいう年1ミリ以下でなくてはならない。その1,000倍以上の被曝を住民に強いようとしているのがこの「帰村」政策なのである。


 

 


2015-03-14 18:37 | カテゴリ:未分類

KANO1931海の向こうの甲子園』という映画を見てきた。小生の母親が台北で生まれ育ったということを知っている知人が紹介してくれたのである。映画のストーリーは 戦前の台湾南部の嘉義農林学校(KANO)の当初全く無名の野球部が近藤平太郎監督の指導の下に甲子園に台湾代表として初出場して中京商業との優勝決定戦までいって残念ながら4対0で敗れたが、これは台湾では有名な高校野球史上素晴らしい歴史的事実である、ということを映画化したものである。当時の台湾は日本の領土であったのだが、日本人、台湾人(漢人)、台湾原住民の混成チームが “KANO” というゼッケンをつけて一丸となって、甲子園出場にまで急成長していった「青春」「友情」「根性」ものでもある。

 

  KANOの野球部の近藤監督を演じる永瀬正敏が熱血漢ぶりを発揮している。彼の振る舞いや目つきなどは、なぜかところどころ高倉健に似ていて、熟慮の末の演技と思った。ピッチャー呉明捷を演じるツアオ・ヨウニンが実にたくましく可憐で初々しい。

 

  小生にとってはこの映画に出てくる八田與一という人物と、彼が設計した台湾南部の大規模灌漑事業「嘉南大圳」(かなんたいしゅう)をこの映画で紹介していることに感銘をうけた。 彼は石川県金沢市の出身、東大土木工学科卒業の技師で「鳥山頭ダム」と周辺の灌漑施設を完成させ嘉南平野を台湾の一大穀倉地帯に変えた人物として日本の土木工学の歴史に名を残している。京都で有名な『琵琶湖疏水』を設計した工部大学校出身の若手技師田邉朔郎と共に小生の頭に刻まれている。

 

この映画は台湾では興行収入10億円の大ヒットしたのだそうである。映画の内容ではあえて一切「反日」の雰囲気を見せていないので、見る人が見ると逆に著しく「親日」に見えるのか、台湾内部には「親日的すぎる」という批判もあるとか。ところがこの監督の前作は1930年の台湾原住民による抗日暴動いわゆる霧社事件を扱った映画「セダックバレ」の監督で大成功を治めたとのことである。だから、映画の思想性に関してはステレオタイプに反日とか親日とか言わずにきちんと意識して仕分けして取り組んでいると思えた。話はそれるが、この時日本軍は暴徒鎮圧のために最初に毒ガスを台湾原住民に対して実験的に使用したといわれている。小生は助手の時に1969-71年に大学闘争に頻繁に使われた「催涙ガス」の研究をしているときにその歴史的事実を初めて知ったのである。

 

知人によれば現在台湾では大陸系の漢人が政治勢力を伸ばしており、好日や親日の印象を与える史跡や、史実を教科書から消去したがる傾向にあるとのことである。上記八田與一の現地の銅像などもいずれ破壊される運命にあるのかもしれない。

 

小生の母は台湾高女の出身でその父は台北中央郵便局長だった。これをステレオタイプに表現すれば、祖父は植民地勢力の先兵であったのだ。その祖父母の写真が小生の幼少時には、高知の自宅では壁に掛けられていたが、繰り返した引っ越しにより今では全く散逸している。年代を計算するとこの映画の舞台である1931年にはすでに母は高卒後すぐに京大生の父と結婚して京都に住んでいたはずなので、今は亡き母の台湾時代とこの「KANO」の映画とは時代が少しずれている。しかし、生まれて一度も母の生まれ故郷の台湾には小生はまだ行ったことが無い。なので、すこしばかりこの映画の中の台湾の風景には「郷愁」を感じた。ここも死ぬ前にいずれは巡礼しなければと思ったことである。これまでは熱帯性の病気が気になって、機会があっても決して東南アジア諸国に行かなかった。わが恩師Prof.Horst Marschner はアフリカのニジェールに教え子の招待で講演にいって、ドイツに帰国してわずか二週間でマラリアで死亡したということが、小生の心のトラウマになっている。おくびょうなのかもしれないが。。。
  
(森敏)
追記:以下のような現今の台湾の政治家の感想もある。

日本統治がもたらした恩恵も記憶を=台湾総統

[台北 25日 ロイター] - 台湾の馬英九総統は25日、日本による台湾統治終了から70年を記念する今年の「光復節」に際して演説し、日本が統治時代に行った悪いことを忘れない一方、良いことを記憶するのも重要と述べた。

総統は、日本の侵略により多くの命が奪われたことも、いわゆる「従軍慰安婦」などの問題が今日も大きな痛みをもたらしていることも事実と指摘。

そのうえで、嘉南大シュウや烏山頭水庫など日本が監督した2つの水利事業を挙げ「日本の統治は台湾に建設事業をもたらした。これにより台湾の農家は恩恵を受けており、それは当然肯定すべきことだ」と述べた。

さらに、今後は双方が「恩と恨みを区別する」態度をもち、議論していくことが必要だと述べた。

 

2015-02-25 16:59 | カテゴリ:未分類

以下に引用する記事は北京大学学長の解任について、その理由についての新聞記事である。多くの全国紙と地方紙は中国共産党発表を丸飲みした共同通信の記事をベタ記事で紹介している。これに対して東京新聞のみが白石徹記者の独自取材を載せている。
 
 
 習近平は 出身大学清華大学人文社会学院マルクス主義理論と思想政治教育専攻卒業、学歴:修士、法学博士。彼は清華大学閥で北京大学閥ではない。また 20032007年浙江省委書記、省人民代表大会常務委員会主任 を務めており、浙江大学の学長人事を握っていたと考えられる。以下の記事を読むための参考まで。
 
   
それにしても政党政治家が大学学長の人事に采配を振るうなんて「なんて時代錯誤なんだろう、日本でいえば明治時代か?」と思いたい。だが、日本も国立大学学長人事がこれからどうなることやら。
     

 
 
北京大学長汚職にからみ解任か 異例の人事(共同)

 

中国共産党中央組織部は15日、北京大の王恩哥学長を任期前に解任する異例の人事を発表した。同大傘下の企業は、胡錦濤前国家主席の元側近が絡む汚職事件に関与した疑惑が浮上。解任理由は明らかにされていないが、王氏もこの企業の活動に加わっていたとされる。
 16日付の北京各紙は学長人事を写真付きの1面トップで報道。疑惑には触れていないが「春節(旧正月)を控えた休校中の突然の発表」などと異例ぶりを強調した。学長任期は4年で、王氏は3月で就任2年だった。
 問題の企業は「北京北大方正グループ」。中国メディアなどによると、北京大と同大幹部が100%出資して1986年に同大の研究成果を産業化する目的で設立。現在はデスクトップ・パソコン分野などで大きなシェアを占めている。

    
     

 

北京大の学長免職  習政権、思想統制を強化 (東京新聞 北京=白石徹)

 

中国共産党の人事を担当する中央組織部は15日、中国一の名門大学・北京大学の王恩哥学長(58)を免職し、後任に林建華氏(59)=浙江大学学長=を充てる人事を発表した。北京紙・新京報(電子版)が伝えた。習近平政権は欧米式の学問の自由や普遍的価値観を教え、マルクス主義理論の指導を重視しない大学教育に不満を強めており、王氏の突然の免職につながったとされる。第26代学長だった王氏の在任期間は2年足らずで、歴代学長では最短という。北京大の学長職は教育省の次官級で、党組織による王氏免職は全国の大学に大きな影響を与え、「思想統制」やマルクス主義教育が図られると見られる。

   習近平総書記(国家主席)は昨年5月、北京大の教授・学生との座談会で、「国家の重責を担う人材を育てる大学教育は、社会主義の核心的な価値観を重視する教育を実践するべきだ」と発言。マルクス主義教育の重要性を訴え、市場主義経済の拝金思想などを厳しく批判していた。

   ある大学教授は「習氏が総書記になって以来、各大学にマルクス主義学院(学部)が相次いで創設されている。今回の学長人事には習氏の意向に沿わない学長を交代させる意図があったのだろう」と指摘した。

   


(森敏) 


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