2015-12-17 13:47 | カテゴリ:未分類

去る11月25日に出版されたばかりの「見えない巨人 微生物」 別府輝彦著(べレ出版) を読んだ。あまりに面白すぎて263頁も(B5版)あったのだが一気に徹夜で読んだ。目から鱗、霧が晴れたように読後感が爽快だった。

   

この本は

1.         微生物とは何だろう?

2.         発酵する微生物

3.         病気を起こす微生物

4.         環境の中の微生物

    

の章立てで、多種多様な微生物が、地球環境の中で、人類も含めた生物多様性の維持や、天空から地表さらには地中や深海の生き物と共生して、地球上の物質循環に貢献している必須の生命体であることを、諄々と解き明かしてくれている。個々の微生物が単離・培養できなくても、近年はどこかから取ってきたサンプル(たとえば土壌)からいきなりDNAを抽出してPCRの手法で遺伝子を増幅して塩基配列を直接読むことができるようになった。このように、微生物の動態観察の手法としては、総掛かり的な分類手法を用いることができるようになったので、地球の各地で実に多種多様な微生物の活動の精緻な分析が猛然と行われている。地球創成以来のドラステイックな極限状況に、進化的に適応して、くぐり抜けてきた現今の微生物は、今、現在も!地理的にも時間的にもダイナミックな動きをしており、遺伝子を変異させながら、進化し続けている。

 

と、言うような具合に小生がヘタに解説すると著者に叱られそうなので、以下にこの本の終章の一部の著者自身の文章を無断引用して紹介に替えたい。

 

::::

微生物の生態についての研究はいま新しい時代を迎えています。そこで重要になるのは、微生物がほとんどあらゆる生物との間に張り巡らしている広い意味での共生関係と、集団としての微生物細胞の間で働く遺伝子と化学信号を介するネットワークの拡がりです。微生物はそれによって地球上の全ての高等動植物の生存を支えると同時に、これまで分散して生活していると考えられていた微生物自身も、寄り集まって信号を交わし、さらに遺伝子までやりとりし、代謝を共有しながら環境に適応して、生物の中でもっとも急速に進化し続けていることがわかってきました。:::;;

 

地球という惑星と共生している
 

「見えない巨人」
 

――それが微生物なのです。

  

  

(森敏)

   
付記1:
東大農学部の農芸化学科の微生物学実験は充実していて面白かった。発酵学の工場実習では、サツマイモからの水飴の製造や、トウモロコシからのエタノールの製造などがあった(現在はお金と人手がかかりすぎるのでこの実習は廃止されている)。発酵学研究室の(故)有馬啓教授の発酵学の授業では期末試験のあとで「君の答案用紙見たよ、よく書けていたね」と有馬先生とトイレで並んで小便をしながらほめられたものだった(「優」をもらった)。しかし当時はこの本で著者の別府輝彦先生(有馬教授の次の教授)が展開する縦横無尽な多角的かつ気宇壮大な話はなく、当時台頭する大腸菌を使った分子生物学の紹介の話が多かったように思う。まさしくバイオテクノロジーは日本が得意とする発酵工業から台頭した学問分野であったからである。(有馬先生のことに関しては以前にも少し紹介した

私の履歴書 下村脩(しもむらおさむ) を読む

 

  一方、微生物利用学研究室の山田浩一教授の講義はこの本でも述べられている日本酒、ワイン、ビール、みそ、醤油、納豆、チーズなどの発酵食品、ビタミンC、ビタミンB1、グルタミン酸、イノシン酸、アセトンブタノール、各種の抗生物質(ペニシリン、クロマイ、オーレオマイシン、ストレプトマイシン、ブレオマイシン、ブラストサイジンS、カスガマイシンなど)に使われる菌株の学名の枚挙学(分類学)で、速記がヘタな小生は先生の横文字(ラテン名)を書く速度について行けなかった。先生は情熱的に話されるのだが小生は実に退屈だった。もう少しまじめに学名を覚えておくべきだったとこの本を読みながら後悔している(期末試験は「良」だったと思う)。
    
  現在、東京大学農学生命科学研究科・応用生命工学専攻では、「世界の酒」、「日本の酒」という本などで有名な「お酒博士」である 坂口謹一郎教授(有馬啓教授の前の教授)の発酵学研究室から、次々と教え子や孫弟子たちが分離独立して研究室を構え、応用微生物学、微生物学、酵素学、細胞遺伝学、分子生命工学、分子育種学、生物情報工学などの名前の研究室が精力的に活躍している。実に世界に誇るべき充実した『微生物』研究体制だと思う。
     
付記2:
これを書いていて思い出した。有馬啓先生は、肥料学研究室で4年生の時に卒論生として研究をやったのだが、その時のテーマが「窒素固定」であった。しかし当時の若い有馬先生は「高等植物の根」と「根粒菌」の  <<共生>>  という現象がとても複雑怪奇で、当時の研究方法では明快な答えが出せそうでなかったので『こんなの学問じゃない!』と思って、修士課程からは大腸菌や枯草菌やコウジカビなどの単離微生物を扱っている発酵学研究室(つまり坂口研)に移ったのだそうである。こちらの生物材料のほうが明快な結果が出るはずだと、思ったそうである。だから有馬先生の4年生での担当授業では肥料学研究室(この授業の時代には「植物栄養肥料学研究室」と改名していた)のことをあからさまに軽蔑していた(小生は逆にこの植物栄養肥料学研究室に4年生で卒論から入っていたので、講義を最前列で聞いていた。あまりいい気はしなかった。小生はそのままこの研究室で鍛えられて今日まで来たのだが)。
  ところが皮肉にもこの別府輝彦先生の本では窒素固定をする「根粒菌」と「植物」との <<共生>> 現象が分子・遺伝学のレベルでほぼ解明されたことが、紹介されている。まさに学問は上に向かってスパイラル状に発展するのである。
  付足すると、教科書にも載っていないので、窒素固定の研究者たちにもあまり知られていないようだが、根粒の中にあるニトロゲナーゼ(空気中の窒素を固定してアンモニアにする酵素)の働きを維持するために、細胞内酸素分圧を調整する赤色タンパク質「レグへモグロビン」をまめ科の根粒から単離精製したのは、この肥料学研究室に東大理学部から研究生で来ていた久保秀雄氏なのである。
   
付記3: 
それにしてもこの本には 「うんこ(糞) の半分が腸内細菌」と書かれている。これには心底驚いたなー。今更遅ればせながらも、我が身の「健康維持」に対する考えかたを根本的に変える必要があると思ったことである。
 
追記1:2016年1月31日(日)の朝日新聞の読書欄にこの本の類書である
『微生物が地球を作った』P・G・フォーコウスキー著
『生物界を作った微生物』 N・P・マネー著
が島田雅彦・作家・法政大学教授によって紹介されているが、この別府先生の名著が紹介されていない。相変わらずの拝外主義だね。
追記2:NHKで、以下の川柳の紹介があった。
 
    
おれよりも役に立ってる微生物

  

2015-12-14 07:20 | カテゴリ:未分類

これまでの「WINEPブログ」で何度も述べてきたように、小生の所属していた東大農学部植物栄養肥料学研究室は(故)三井進午教授が農学関連の研究への放射性同位元素(ラジオアイソトープ)導入の日本での先駆者であった。だから、1960年代は東海村の国産第一号原子炉(JRR1)を放射性同位元素の製造に利用して植物生理学実験をしたり、1970年代以降は高崎の原子力研究所での泊まり込みでの共同利用研究が連綿と行われてきた。三井先生自身は国際原子力機構(IAEA)の参事で頻繁にウイーンでの国際会議に通っていた。IAEAからは研究資金ももらっていた。また、研究室にはインドからの留学生も受け入れていた。

    

今回日本とインドが原発輸出協定を結ぶことにしたようだ。しかし、インドは原爆を所持し、核実験を行い、NPT(核不拡散条約)署名国に頑として参加していない。インドからすれば原爆を有するパキスタンや中国が脅威であるので、抑止力としてぜったいに原子爆弾は放棄しないという立場である。だから従来から日本の文科省はインドからの留学生を原子力機構など原子力関連の研究に共同参画させなかった。核保有国でNPT非加盟国の留学生たちを日本の核の機密に近付けさせない(軍事目的に原子力技術を転用されたら困るので「スパイ」させない)ために施設に立ち入りさせない、というのがその建前上の強固な理由であった。そのために、せっかくの先端的なラジオアイソトープを用いた高度の研究手法を彼等に体験させられずに泣く泣く帰国させざるをえないことも多かった。核を保有し、核実験を繰り返した中国やパキスタンからの留学生に対しても同じ扱いだった。被爆国として核に関しては日本国政府はそれほどかたくなだったのである。

 

日本-インド間で、どの研究分野がいちばん学術交流を推進してきたのかと問われれば、昔は農業分野、現在では間違いなく IT関連だろう。上述のような断固とした日本政府の理由で理学工学系の日ー印間の「原子力関連の交流」は皆無であったはずである。今回は、原発輸出を契機にその矜持を簡単に捨ててしまおうということらしい。原発輸出のためには被爆国の悲願であるNTP(核不拡散条約)という国際的な協約なんかどうでもいい、ということなんだ。『これを契機にインドが今後NTPに加盟しやすくなるかもしれない』とか『停電が頻発するインドの電源が安定する』だとか『COP21の温室効果ガス削減に寄与できる』とか、『将来インドが原爆実験をやったら即原発支援を停止する』とか(単なる口約束)、安倍首相と岸田外相が国民を愚弄する詭弁を繰り返している。それをマスコミが無批判に繰り返し報道している。「嘘も堂々と繰り返せば、国民はいずれ忘却してどうでもよくなる、つまりいつの間にか既定事実になる」という政策手法が安倍政権の国民愚弄化政策として堂々とまかり通っている。安倍は被爆国日本の世界に冠たる矜持をかなぐり捨てて、福島第一原発暴発国日本の居直りを世界に宣言した。言っちゃ悪いが、政治家としての職業倫理がずっこけた〇〇としか思えない. 東芝・三菱重工・日立など「原発コンツエルン」に天下りをねらう経産省や財務省の狡猾な官僚に操られているのだろう。彼は国を危うくする。(○○に適当な言葉を入れよ)

 

 

(森敏)

付記1:インドからの一番最初の留学生マハトマ・シン氏は非常に優秀であり、戦後のインド人留学生としては日本での最初の農学博士号を得た人物である。「老朽化水田」の原理を学び帰国後「インドの水田農業」の生産力上昇の強力な立役者となった。その後も植物栄養肥料学研究室ではインドから数人が留学してきた。中でもG.K.バラット氏は物静かなベジタリアンで彼と小生とはヒンデイー哲学論義をよくしたものである。素晴らしい人格者だった。非常にためになった。我々の分野ばかりでなくとも農学関連分野ではインドの各大学との連携は続いたが、ほかの医学、薬学、工学、理学の研究分野ではそうでもなかったように思う。インドの研究者は英語が通じる宗主国U.K.や U.S.A.への志向が強く、日本に顔を向ける研究者はほかのアジア諸国に比べれば今でも格段に少ないのではないだろうか。

     

付記2:小生のインド人研究者への印象は、かれらは英語(機関銃を打つような早口のIndian Englicだが)が堪能なので、頭がいい研究者は、国際研究機関や国際学会では総合的な取りまとめ役に秀でており事務局長や議長になっている人物が他国に比べて多いと思う。一般的に手足を動かしてデータを取る作業よりは、他人のデータを使って“きれいに”話を作り上げること(モデル化)に長けている。つまり「分かったように思わせる抽象論」に長けている。多分99x99の九九を諳んじる数理的才能がそうさせているのだと思う。エリート階級は手足を動かす汚い作業をあまり忠実にやりたがらないように思う。これは彼らの深層心理に骨肉化した旧来の陋習であるカースト制も関係していると思う。概して日本の大学では英語が通じるので日本語を熱心に学ぼうとする姿勢はあまりないようだ。以上今日の若いインドからの留学生が聞いたら激怒するかも知れない老書生の偏見です。
   
追記1:その後「インドへの原発輸出」の件では以下のネットで優れた多角的な見解が展開されている。
http://www.fsight.jp/articles/-/40781
 
要するにほとんどの日本国内原発メーカーから見ても、企業不信のインド世論からみても、インドへの原発輸出はほとんど不可能な提案だということである。

追記2:その後の展開です。

日印原子力協定締結へ=首脳会談で署名方針

 日本、インド両政府は、11月中旬にモディ首相が来日し、安倍晋三首相と会談するのに合わせ、日本からインドへの原発輸出を可能にする原子力協定に署名する方針を固めた。政府関係者が31日、明らかにした。安倍政権はインフラ輸出を成長戦略の柱に掲げており、インドに対する原発輸出の環境が整う。
 日本が核拡散防止条約(NPT)非加盟国と原子力協定を締結するのは初めて。インドは核保有国であるため、被爆地である広島、長崎両市などから「核不拡散体制を形骸化しかねない」との反発が出る可能性もある。(2016/10/31-16:59

  

 

 

2015-12-11 07:28 | カテゴリ:未分類

「東京ビッグサイト」(ゆりかもめ線 東京国際展示場正門駅下車)で「エコプロダクト2015」が開催されている。

    

名刺を2枚持って行って、簡単なアンケートに応えれば参加費は無料である。2015年12月10日-12日まで開催されている。行くべし!

   

大学人も研究室にばかり閉じこもらずに、こういうところにも出かけて、ほかの分野の企業の研究者が、どういうアイデアでエコ製品開発に取り組んでいるのか、見聞を広げるといいと思う。例年参加しているのだが、小生には見るもの聞くものがむちゃくちゃ面白かった。環境に優しい産業が金儲けになる時代が来るといいと思ったことである。これこそが「環境経済学」が目指す所であろうと思う。

 

この展示会のコンセプトは「わが国が世界第5位のCO排出国である」という認識のもとにあらゆる側面からCO排出削減に関わる、ハードとソフトの開発することである。経産省と環境省が後援しているようだ。

 

会場を巡るとこれまで環境経済学者が提示してきたCOやNOやSOxの発生の産業連関表の逆ベクトルとして「CO2削減の産業連関表」が描けるように思ったことである。

   

(森敏)

付記1:まだ今日も明日も開催しています。
追記2:環境経済事業(利益を追求する事業により環境が改善される事業)とはなんぞやということをいろいろ考えさせられました。いろいろなNPOの人たちと対話しました。
「ふるさと納税制度」を大いに活用して、大都市納税者に地域の特産物を購入してもらう運動をもっともっと起こしたらいいと思ったことです。大都市の消費者は同じ税金を支払うなら、どこかで目に見えるかたちで地域での環境修復や環境に優しい地場産業が振興することに貢献したいと思っていることは間違いないですから。
    
追記1:展示会場で、これは、と思うパンフレットを集めていたら、50部ばかりになった。その後、時々それらを暇つぶしに読んでいるのだが、これがなかなか面白い。各社ともわかりやすく、けっこう気合いを入れて図入りで書かれているのが多いので、省エネや再生エネルギーなどの最新技術動向の情報源として、勉強にになりそうだ。

2015-12-08 10:26 | カテゴリ:未分類

   一昨日の日曜日には、情操欠乏を感じて、日比谷に「黄金のアデーレ」という復刻版映画を急に思いついて見にいった。だが、ときすでに遅し満席だった。仕方なしに付近の映画館を物色していたら「杉原千畝 SUGIHARACHIUNE」をやっているところがあった。監督、脚本、俳優と国際色豊かな作品なので、学校できちんと学ばなかった戦前・戦中・戦後の現代史を勉強する意味も兼ねて切符を買った。
   

上映までにまだ1時間あったので、そこら辺をぶらついていると三省堂があったので、ちょうど必要かなと思っていた「2016年用の日記帳」を買った。MENsビルで強烈な男性用香水の匂い(じゃ香:ムスクか?)を嗅ぎながら冬物ブーツを物色したが高くて買わなかった。ビルの外に出たら、日比谷公会堂から3000人ばかりの延々続く「戦争法案反対」「脱原発」のゆっくりした車道のデモに突然ぶつかった。一方の人道側の西銀座の10カ所ばかりの宝クジコーナーでは2千人ばかりが年末宝くじを買う順番待ちで、ヒトがあふれかえっていた。
       
さて、  

杉原千畝は情報戦のエキスパートとして、当時のソ連とドイツ国境の動向調査のために1939年リトアニアのカナウスに領事館設立の任務を帯びて副領事として赴任する。任務はソ連の動きに対する情報収集活動である。しかし杉原はリトアニアで結果的に約6000人(記録に残っているのは約2300人)のユダヤ人の「日本通過ビザ」を発注するべきかどうかの事態に追い込まれることになる。結局「ビザを発注する」と決断するのだが、それは日本本国とリトアニアの手紙での通信の交換に時間がかかるという時間差を利用した実に巧妙な外交官としての才覚だったようだ。ユダヤ人にビザを支給して良いかどうか3回も本国に問い合わせて松岡洋右外相から3回目の否定の回答が来るまでの約1週間の時間差を利用した。
 
  情報収集プロとしての彼の現地の動向観察から、向こう一週間後にはドイツ軍のソ連への宣戦布告により、逆にリトアニアは進軍するソ連に占領されて、国が消滅している可能性が高い。だからその時はリトアニアの日本領事館も閉鎖されているだろう。だから日本領事館は本国政府からの訓令を受け取ることができない。だからその間杉原副領事はビザ発注に関して「独自の判断をせざるを得なかった」という屁理屈である。その時間差を巧妙に利用して、サインペンの続く限り、大使館閉鎖後も、ホテルや、駅の待合室でも杉原はユダヤ人にビザを発注し続けた。現在、そのとき救済された子孫のユダヤ人は全世界に4万人にも達する、という。
   
  杉原は結果的に本国の訓令に背いた、すなわち公務員の服務規程に違反したということで戦後1947年に外務省を辞職(実態はクビ)させられている。
外務省ではキャリア組ではなかったことが、いろいろな意味で杉原の人生観を支えていると思った。映画では「オマエは今も世界を変えたいと思っているか?」という外交官同志の問答が2回も出てくるが、上意下達に忠実な旧帝大出身者では決して杉原千畝のような行動は取れ無かっただろう。また後藤新平が制定した千畝が卒業した「ハルビン学院」のモットー「自治三訣」は、「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして、報いを求めぬよう(杉原千畝:Wikibedia)であり、これが千畝の人道精神を強く鼓舞した、と映画では語られている。
    
 

その後杉原千畝は1991年(辞職後44年目)に名誉が回復されたが、余りにも遅すぎた対応だったというべきだろう。これも世界に冠たる日本の偉人を日本人自身がなかなか認めたがらない一例である。
   

映画では主役の唐沢寿明の演技がすばらしく光っていた。杉原の決断でユダヤ人が日本渡航ビザの申請ができることになって、リトワ二アの日本領事館門前で出国希望するユダヤ人たちが歓喜雀躍するクライマックス場面では、久しぶりに心が洗われた。
           
               
(森敏)  

 付記1:小生の義兄は外交官であったので、この映画で展開されている情報戦(スパイ合戦)は興味津々であった。現在も東京をはじめ世界中でスパイ合戦は行われているだろう。戦後70年日本では平和が続いてわれわれは平和ボケになっているが。
        
付記2:1990年代にイスラエルで開催された「植物鉄栄養学会」に学生たちと一緒に参加した。その時にも、杉原千畝が救ったユダヤ人入植者がいたはずなのだが、うかつにも小生自身はこの話は全く知らなかった。その後小生の研究室にはイスラエルから留学生が来たり土壌学と土壌微生物学の教授を短期滞在で日本に招請したがことがあるが、イスラエルの人たちは今でも親日であることは間違いないと思う。杉原千畝のおかげだと思う。
 
付記3:言うまでもなく現下の日本では、あらゆる手練手管を弄した、マスメデイア、ミニコミ、インターネットを通じた『原発再稼働』への ”情報戦”がまさに熾烈を極めている。
 
追記1:後日以下の記事が読売新聞に載った。実にめでたいことだ。この通りは永遠に「日本―イスラエル友好」のメモリアルになるだろう。


イスラエルに「スギハラ通り」命のビザ

20160607 2023

【ネタニヤ=上地洋実】イスラエル中部ネタニヤで7日、第2次世界大戦中にユダヤ人へ「命のビザ」を発給した日本の外交官、杉原千畝(ちうね)氏にちなんだ「スギハラ通り」の命名式が行われた。

 杉原氏はリトアニアの日本領事代理だった1940年、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ系避難民に日本を通過するためのビザを発給し、約6000人の命を救った。ネタニヤには、この時に助けられたユダヤ人が多く移り住んでおり、今年が杉原氏の没後30年にあたることを記念して通りの建設が決まった。

 式典には杉原氏の四男、伸生さん(67)も出席し、「大変名誉に感じている。亡くなった父もどこかで見守ってくれていると思う」とあいさつした。伸生さんは式典に先立ち、杉原氏から「命のビザ」を受け取った人々やその家族とも面会した。

 

2015-11-15 05:27 | カテゴリ:未分類

       昨晩「岸朝子 お別れの会」が後楽園球場のある東京ドームホテルの地下「天空」の間で行われた。1000人以上参加していたのではないだろうか。小生は新婚のころから本駒込の、岸さんの家の近くの医学部の教授の家の離れ家に住んでいたうえ、長女の直子さん(現石川県立大教授/東京大学名誉教授)が、大学で同じ研究室で小生が助手になって最初の卒論生であった関係から、何かと朝子さんのお世話になった。

 

      朝子さんは、6年間にわたる料理人のバトルであった日本人なら誰もが知る『料理の鉄人』のテレビ番組審査員を務めて「おいしゅうございます」という名文句を世に残した。このテレビ番組を通して多くのジャンルの料理人を世に紹介した。その番組の司会を務めたアナウンサーが今回もこの「お別れの会」の進行を務めて、フランス料理、中華料理、和食の鉄人を務めた3人(陳建一、服部幸應、道場六三郎)が岸朝子さんをしのびながら壇上で掛け合い漫才をしていた。それを中央の壁に「おいしゅうございます」の文字が書かれた朝子さんの穏やかな遺影が見ているのであった。

 

      参会者では小生の知己がたった4名しかいなかった。そこで今日は本当にのびのびと珍しい料理がたべられると、全部の料理に挑戦することにした。朝子さんは「美味しい料理で賑やかに送って欲しい」と御家族に言われていたということなので。普段のパーテイーではだいたい参加者とのおしゃべりに時間が取られて、せっかくの料理をほとんど食べずに退散することが多いのだが、今回は一つ一つの料理をじっくりと堪能した。その結果、朝子さんの薫陶を受けたというここのホテルのシェフの力を込めた料理に大満足した。

 

      いろいろの分野の発起人の方々のあいさつの後、最後に朝子さんの二男である俊行さんがあいさつをされた。「生前は母には面と向かって言えなかったのですが、わたしは母が大好きでした」ということばがとても印象的でした。朝子さんは長男を4歳の時に無くされているので、俊行さんは一男3女の中で本当にかわいがられたのだろうと思ったことです。

 

      岸朝子さんは皆に愛されながら人生を存分に生き切った人だと思った。お土産袋には 最後の著書

金澤・能登の食遺産「私が最後に伝えたかった金沢の食」 
               岸朝子選 KADOKAWA

 

皆様ありがとうございました お陰様で 
        人生はおいしゅうございました                     
                  平成27年  岸朝子

 

というご本人の世代ごとの遺影入りの絵葉書が入っていた。

  
    

 

(森敏 合掌)

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