2015-12-17 13:47 | カテゴリ:未分類

去る11月25日に出版されたばかりの「見えない巨人 微生物」 別府輝彦著(べレ出版) を読んだ。あまりに面白すぎて263頁も(B5版)あったのだが一気に徹夜で読んだ。目から鱗、霧が晴れたように読後感が爽快だった。

   

この本は

1.         微生物とは何だろう?

2.         発酵する微生物

3.         病気を起こす微生物

4.         環境の中の微生物

    

の章立てで、多種多様な微生物が、地球環境の中で、人類も含めた生物多様性の維持や、天空から地表さらには地中や深海の生き物と共生して、地球上の物質循環に貢献している必須の生命体であることを、諄々と解き明かしてくれている。個々の微生物が単離・培養できなくても、近年はどこかから取ってきたサンプル(たとえば土壌)からいきなりDNAを抽出してPCRの手法で遺伝子を増幅して塩基配列を直接読むことができるようになった。このように、微生物の動態観察の手法としては、総掛かり的な分類手法を用いることができるようになったので、地球の各地で実に多種多様な微生物の活動の精緻な分析が猛然と行われている。地球創成以来のドラステイックな極限状況に、進化的に適応して、くぐり抜けてきた現今の微生物は、今、現在も!地理的にも時間的にもダイナミックな動きをしており、遺伝子を変異させながら、進化し続けている。

 

と、言うような具合に小生がヘタに解説すると著者に叱られそうなので、以下にこの本の終章の一部の著者自身の文章を無断引用して紹介に替えたい。

 

::::

微生物の生態についての研究はいま新しい時代を迎えています。そこで重要になるのは、微生物がほとんどあらゆる生物との間に張り巡らしている広い意味での共生関係と、集団としての微生物細胞の間で働く遺伝子と化学信号を介するネットワークの拡がりです。微生物はそれによって地球上の全ての高等動植物の生存を支えると同時に、これまで分散して生活していると考えられていた微生物自身も、寄り集まって信号を交わし、さらに遺伝子までやりとりし、代謝を共有しながら環境に適応して、生物の中でもっとも急速に進化し続けていることがわかってきました。:::;;

 

地球という惑星と共生している
 

「見えない巨人」
 

――それが微生物なのです。

  

  

(森敏)

   
付記1:
東大農学部の農芸化学科の微生物学実験は充実していて面白かった。発酵学の工場実習では、サツマイモからの水飴の製造や、トウモロコシからのエタノールの製造などがあった(現在はお金と人手がかかりすぎるのでこの実習は廃止されている)。発酵学研究室の(故)有馬啓教授の発酵学の授業では期末試験のあとで「君の答案用紙見たよ、よく書けていたね」と有馬先生とトイレで並んで小便をしながらほめられたものだった(「優」をもらった)。しかし当時はこの本で著者の別府輝彦先生(有馬教授の次の教授)が展開する縦横無尽な多角的かつ気宇壮大な話はなく、当時台頭する大腸菌を使った分子生物学の紹介の話が多かったように思う。まさしくバイオテクノロジーは日本が得意とする発酵工業から台頭した学問分野であったからである。(有馬先生のことに関しては以前にも少し紹介した

私の履歴書 下村脩(しもむらおさむ) を読む

 

  一方、微生物利用学研究室の山田浩一教授の講義はこの本でも述べられている日本酒、ワイン、ビール、みそ、醤油、納豆、チーズなどの発酵食品、ビタミンC、ビタミンB1、グルタミン酸、イノシン酸、アセトンブタノール、各種の抗生物質(ペニシリン、クロマイ、オーレオマイシン、ストレプトマイシン、ブレオマイシン、ブラストサイジンS、カスガマイシンなど)に使われる菌株の学名の枚挙学(分類学)で、速記がヘタな小生は先生の横文字(ラテン名)を書く速度について行けなかった。先生は情熱的に話されるのだが小生は実に退屈だった。もう少しまじめに学名を覚えておくべきだったとこの本を読みながら後悔している(期末試験は「良」だったと思う)。
    
  現在、東京大学農学生命科学研究科・応用生命工学専攻では、「世界の酒」、「日本の酒」という本などで有名な「お酒博士」である 坂口謹一郎教授(有馬啓教授の前の教授)の発酵学研究室から、次々と教え子や孫弟子たちが分離独立して研究室を構え、応用微生物学、微生物学、酵素学、細胞遺伝学、分子生命工学、分子育種学、生物情報工学などの名前の研究室が精力的に活躍している。実に世界に誇るべき充実した『微生物』研究体制だと思う。
     
付記2:
これを書いていて思い出した。有馬啓先生は、肥料学研究室で4年生の時に卒論生として研究をやったのだが、その時のテーマが「窒素固定」であった。しかし当時の若い有馬先生は「高等植物の根」と「根粒菌」の  <<共生>>  という現象がとても複雑怪奇で、当時の研究方法では明快な答えが出せそうでなかったので『こんなの学問じゃない!』と思って、修士課程からは大腸菌や枯草菌やコウジカビなどの単離微生物を扱っている発酵学研究室(つまり坂口研)に移ったのだそうである。こちらの生物材料のほうが明快な結果が出るはずだと、思ったそうである。だから有馬先生の4年生での担当授業では肥料学研究室(この授業の時代には「植物栄養肥料学研究室」と改名していた)のことをあからさまに軽蔑していた(小生は逆にこの植物栄養肥料学研究室に4年生で卒論から入っていたので、講義を最前列で聞いていた。あまりいい気はしなかった。小生はそのままこの研究室で鍛えられて今日まで来たのだが)。
  ところが皮肉にもこの別府輝彦先生の本では窒素固定をする「根粒菌」と「植物」との <<共生>> 現象が分子・遺伝学のレベルでほぼ解明されたことが、紹介されている。まさに学問は上に向かってスパイラル状に発展するのである。
  付足すると、教科書にも載っていないので、窒素固定の研究者たちにもあまり知られていないようだが、根粒の中にあるニトロゲナーゼ(空気中の窒素を固定してアンモニアにする酵素)の働きを維持するために、細胞内酸素分圧を調整する赤色タンパク質「レグへモグロビン」をまめ科の根粒から単離精製したのは、この肥料学研究室に東大理学部から研究生で来ていた久保秀雄氏なのである。
   
付記3: 
それにしてもこの本には 「うんこ(糞) の半分が腸内細菌」と書かれている。これには心底驚いたなー。今更遅ればせながらも、我が身の「健康維持」に対する考えかたを根本的に変える必要があると思ったことである。
 
追記1:2016年1月31日(日)の朝日新聞の読書欄にこの本の類書である
『微生物が地球を作った』P・G・フォーコウスキー著
『生物界を作った微生物』 N・P・マネー著
が島田雅彦・作家・法政大学教授によって紹介されているが、この別府先生の名著が紹介されていない。相変わらずの拝外主義だね。
追記2:NHKで、以下の川柳の紹介があった。
 
    
おれよりも役に立ってる微生物

  

2015-12-04 23:21 | カテゴリ:未分類

これまで、その画家の背景がよく理解できなかった藤田嗣治に関して、最近立て続けにマスコミで宣伝されているので(電通か博報堂の戦略か?)、のこのこと芸術の秋の鑑賞に出かけた。

  

  最初に見たのは 映画「FOUJITA」小栗康平監督 オダギリ・ジョー主演

であった。この映画は映画製作者のプロが見ると素晴らしいのかもしれないが、小生には何を表現したいのか理解できずさっぱり消化不良だった。藤田嗣治の人物像が分裂して却ってわからなくなった。余計なことかもしれないが、オダギリ・ジョーの笠智衆ばりの“熊本なまり”のイントネーションには何とも違和感を覚えた。

 

  次に見たのは 
東京芸術大学の美術館での 藤田嗣治≪舞踏会の前≫修復完成披露展 と「藤田嗣治資料」公開展示 (開催期間12月1日-6日)
であった。前者は長年倉敷の大原美術館所蔵中に傷んで何回か修復された絵画≪舞踏会の前≫を苦労してさらに近代的な手法で修復する過程が展示されていて、修復の科学的技法が勉強になった。修復した完成品は素晴らしかったが、後に見た東京国立近代美術館での保存が完ぺきと思われる別の裸婦象、例えば≪タピスリーの裸婦≫など息を飲むような迫力と比べると、藤田特有の「乳白色」の再生などでは、すこし見劣りがする感じがした。 また、「藤田嗣治資料」公開展では藤田嗣治の書き残した日記や手紙や写真は大変興味をそそるものがあった。おそらく0.5ミリ以下の太さの細字用のペンで、びっしりと生涯にわたって日記を書きつづけたりメモったりしているところは、藤田嗣治が強烈な整理魔で、画家であるにもかかわらず強靭な「デジタル頭」でもあることをいやがうえにも理解させてくれた。なんと、藤田君代夫人は6000件の日記、手稿、書簡、写真などを藤田の母校である東京芸術大学に寄贈し、大学は文部科学省科学研究費補助金基盤研究B(2012-2015)をもらって、その中身を分類整理しアーカイブ化を試みているのだそうである。今回はその研究成果の一部を開示したものだそうである。

    

  次に訪れたのは

藤田嗣治、全所蔵作品展示 東京国立近代美術館 (開催期間2015/9/19-12/13)
であった。全26点のうち、これまであまり見たことが無い藤田嗣治の戦争画が14点展示されていた。なぜこんな凄惨な戦争画を描き続けたのかという点に関しては、誰もが疑問に思うだろう。芸術至上主義的に考えれば藤田は太平洋戦争を利用して、西欧でも多くの著名な画家が書き残している戦争画の手法を用いて、単に日本国民を戦争に鼓舞するばかりでなく、歴史に残る「戦争画」の描写を練習しまくったといってもいいのかもしれない。これでもかこれでもかというぐらいヘドロチックな白兵戦の描写は、うんざりするぐらい醜悪でしつこい。しかし日本が太平洋戦争で勝利していたら、彼の絵のどれかは歴史的芸術的価値があるものとして評価され続けたのかもしれない。フランス革命のジャンヌダルクや、ナポレオン像を見れば明らかである。今日残されている主な戦争画は勝者の側からの絵画(芸術と呼べるかどうかわからないが)なのである。西南戦争の敗者である西郷隆盛が切腹する絵画は見たことが無い(どこかにあるのかもしれないが)。維新戦争の勝者である板垣退助の会津城落城の図は見たことがあるが。日本の太平洋戦争の敗戦で、戦後日本の絵画協会から藤田は戦争賛美協力の責任を問われて、失意のうちに渡仏(逃亡?)し、再び日本に帰ってこなかった。その後、彼がフランスではレジオンドヌール勲章を授けられているのが皮肉である。

    
(森敏)
付記1:映画「FOUJITA」は70歳以上は1200円、東京芸術大美術館はだれでも無料、東京国立近代美術館は65歳以上は無料、と非常にありがたかった。
付記2: なんと!藤田の父親は森林太郎(鴎外)のつぎに陸軍医務総監を務めており、森鴎外はフジタの渡仏の欲望を抑えて、まず東京美術学校(現・東京芸術大学)での基本的トレーニングをやるべしと推奨したんだそうである。黒田清輝に師事したとか。誰に師事しようとも藤田の恐ろしく繊細優美な筆致は天与のものであろうことは間違いない。


2015-06-19 12:14 | カテゴリ:未分類

         ノーマン・ボーローグ博士は驚異的な多収性コムギの育成で1970年ノーベル平和賞を受賞した。世界的にコムギは約6億トン生産され、多くの国で主食の基幹穀物となっている(米は約4億トン)。この多収性コムギ育成の母本に稲塚権次郎氏が育成した農林10号(NORINTEN)が使われていることは農学関係者には農業技術史で学ぶはずであるから常識なのだが、他分野の方にはあまり知られていないかも知れない。この映画「NORIN TEN 稲塚権次郎物語」は、現在北陸地方で上映されているようだが、是非全国で上映してもらいたいものだ。

          

映画要旨(転載です)

1987年、富山県城端町西明、三輪バイクで町を行く稲塚権次郎の姿があった。90歳近くなっても、バイクを乗りまわすことは近所迷惑となっていた。明治末期、貧しい農家の長男に生まれた権次郎は、向学心に溢れ、富山県立農学校(現在の南砺福野高校)を首席で卒業。恩師から学んだ「種の起源」(ダーウイン著)に出会う。貧しい農家を救うためには、美味しくて収量が高い米を作ることが大切、育種家の道を邁進し、東京帝国大学農学実科に進学。

  大正7年農商務省に入り、秋田県農事試験場陸羽支場(大曲)に配属。

 まず取り組んだのが「陸羽132号」の品種選抜、「水稲農林1号」の育種に取りかかる。権次郎は生真面目な性格、それゆえに周りに溶け込むことができない。上司の永井の勧めで「謡」を習うようになり、生涯の伴侶となる佐藤イトと出会う。幼少のころ父母を失ったイト、一目ぼれした権次郎は、ふるさと西明で祝言をあげた。大正15年、突然岩手への転勤を命じられる。岩手は小麦の育種が主流、美味しくて収量が高い稲の品種改良の夢は取り上げられた。稲の研究成果は、新潟農事試験場の並川に受け継がれ、「水稲農林1号」はやがて「コシヒカリ」となる。稲の育種の機会を奪われ失意に沈む権次郎だが、小麦増産が国家的プロジェクトであると知らされる。岩手県農事試験場に移り次々と小麦の新種を開発。

 

 昭和6年、9年と東北では大飢饉が起こり、各地で娘が売られるという悲惨な事態が起こった。権次郎は育種の成果をあげなくてはならなかった。昭和10年秋、小麦農林10号=NORINTENが完成した。特色は半矮性、従来の小麦に比べ、背の低い品種で穂が倒れにくく、栄養が行きわたりやすかった。

 

 昭和13年、権次郎は華北産業科学研究所(北京)に異動。イトも同行した。

14年には、父 竹次郎が死去。日本には戻れなかった。そして敗戦、中国側の意向により、研究指導の名目で留め置かれた権次郎にとって大きな不幸が訪れる。戦争末期の混乱により、イトが精神的に錯乱を起こすのだった。「イトを連れてくるんじゃなかった」権次郎は悔やみに悔やみきれないと、自分を責め、終生イトをいたわるのだった。

 

 昭和22年秋、中国から帰国。権次郎は育種家の道を諦め、地元金沢農政局に勤務、

戦後はイトとの穏やかな生活を選んだ。定年後は地元の農家のために、圃場整備に力を注いだ。昭和41年、母 こうを野焼きで見送った権次郎の元に、しばらくして思いがけない知らせが届いた。「小麦農林10号」の種が戦後米国に送られ、世界の食糧危機を救う、「緑の革命」の基になったというのである。ノーマン・ボーローグ博士は、その業績により、1970年にノーベル平和賞を受賞したのだった。

 

 昭和48年、最愛の妻イトが亡くなると、村人と共に、野焼きで見送った。

「妻 イトには中国で大変な苦労をかけてしまった」と悔やんだ。

 

 昭和56年、ノーマン・ボーローグ博士と対面。世界の小麦を変えた二人が手を握った。

 

 昭和63127日、稲塚権次郎死去。享年91。

 

 

 

(以下、南砺市ホームページより転載です)

城端地域の西明出身で世界の食糧危機を救った「緑の革命」の礎となる「小麦農林10号」を開発し、人類史に残る偉大な功績を残した偉人、稲塚権次郎氏の生涯を、遠戚にあたる稲塚監督が撮影した本作。設立当初の福野農学校の姿を今に残す「巖浄閣」をはじめ、市内各所でロケが行われました。このほど映画のポスターが完成。さらに、59()から行われる県内3(TOHOシネマズフォボーレ富山、富山シアター大都会、TOHOシネマズ高岡)での先行上映スケジュールも決定しました。
 ポスターの仕上がりに感心しきりの田中市長は、「本当に素晴らしいポスターになりましたね。仲代さん演じる権次郎さんの赤いシャツが見事に麦畑に映えて、本当に美しい!」と絶賛。さらに、支える会の松本久介会長から映画の題字を城端地域の書家山根美幸さんが手がけ、劇中歌として南砺の歌姫 林道美有紀さんが歌う「こきりこ」が採用されると聞き及ぶにつき、「南砺の偉人の生涯を描いたこの素晴らしい映画の良さをどんどん広げていきましょう。」と喜色満面。稲塚監督は「2年前に市長にお会いしてから、映画の製作・完成までが大変早かった。支える会の皆さんをはじめ、多くの方々にお力添えをいただけて本当に良かった。英語版の製作も進めており、今後多くの映画祭に出していきます。これを通じて南砺を世界にPRできると考えています。」と話されました。その後の歓談は、映画撮影経過や今後のPRなどについて大いに盛り上がりました。
 歓談後、インタビューに応じた稲塚監督は、「南砺に生まれ、世界的な功績を残した偉人 稲塚権次郎さんの物語を、皆さんの誇りとしてご覧になっていただければと思います。」と呼び掛けられました。
 南砺が誇る郷土の偉人の生涯を描いた傑作、ぜひ劇場に足をお運びになって、ご覧ください。

 

 


2015-04-11 06:50 | カテゴリ:未分類

以下は、かつての大学院生竹田弘毅君(現・中日新聞記者)による記事です。(中日新聞掲載記事を無断転載しました、中日新聞様、悪しからず)。
  
 
現場主義学んだ師との旅
 
 
新しい画像

放射性物質が蓄積した箇所が黒く浮き上がったネズミの写真

新しい画像 (1)  
放射性物質が蓄積した箇所が黒く浮き上がったモミジの写真
以上の2枚は「放射線像 放射能を可視化する」から
 
ウシガエルとコイ、野ネズミは、ぼやけているが、何となく分かる。アゲハチョウは薄いが、それとはっきり分かる。モミジ、フキは葉脈まで鮮明だ。

 モノクロ写真で浮かび上がるのは、動植物に蓄積した放射性物質を特殊な撮影技術でとらえた画像。福島県飯舘村、浪江町などで採取されたものだ。目に見えない原発事故の影響が一目で分かる。「人の前に動植物に必ず影響が出る。だから定期的に観察して見逃さないようにしないと」。農学者の思いが2月下旬、写真集「放射線像 放射能を可視化する」(皓星社刊)として実を結んだ。東京大名誉教授森敏さん(73)と気鋭のカメラマン加賀谷雅道さん(33)の合作だ。
 
動植物の観察を
 

 4年前の夏、私は農学生命科学研究科の大学院生だった。恩師の森先生が1人で福島県を訪ね、放射性物質の汚染を調べていると聞いた。「運転手でも何でもする。連れていってほしい」。そう願い出た。「若い人はねえ」。汚染地域に22歳の私を連れていくことを先生はためらった。「現場を知りたいんです」。そう食い下がった。

 私の故郷は富山県。カドミウム汚染によるイタイイタイ病で多くの被害者が出た。大学院でカドミウムの吸収を高める遺伝子組み換えイネの研究に没頭。福島第1原発事故後は放射性物質の浄化に使えるイネの遺伝子研究にも取り組んだ。現地調査は、今このときを逃したくない、という思いからだった。「確かに、現場を見ることは何より大事だ」。最後は先生が折れ、事故から半年後、月に1度のペースで先生との福島めぐりは始まった。

 放射線量が多く、国が避難を勧めた飯舘村。ある日、村の山あいにあるキャンプ場に着いた。池のほとりに俳句が刻まれた碑。近くのベンチには端っこに2体の木製人形が寄り添うように座る。子どもなら人形は背もたれになる。そんな造りだ。池を遠巻きにコテージが並ぶ。バーベキューの炉には炭が残り、前年まで家族連れらでにぎわったことが分かる。

 「ここは死の池だ」

 あるべきはずの人影がない。時計が止まったような風景にピーピーという線量計の音だけが鳴り響いた。「とても悲しいことですよ」。ぽつりと漏らす先生の表情は、寂しさと怒りが入り交じっているように見えた。科学者として、人々の暮らしの復興に少しでも貢献できないか。そんな思いがひしひしと伝わった。

 当初、私の同行に二の足を踏んだ先生だが、本音は違った。移動中の後部座席で何度も訴えた。「土壌や昆虫、植物、動物など多くの、いろんな分野の研究者が現場に来ないと」。それには「まず事実をつかまないと、対策の立てようがない」との考えからだ。

 ある日、山と田んぼに挟まれた田舎道を車で走っていると、親子連れで20匹ほどのサルの群れが行く手を占拠していた。のどかに毛繕いをするサルを見て「人の前に必ず影響が出る」と確信に満ちて話した先生の言葉を思い出す。
 

極端な線量の差
 

 現地でなければ分からないことは確かに多かった。役場や公民館、公園など所々に空間線量測定機が置かれ、24時間、線量を示すようになっていた。ところが測定機から数メートル離れ、手持ちの線量計で測ると、はるかに高い数値、逆に低い数値がよく出た。例えば児童が避難し、人けがない小学校。その近くで松の木の根元を測った。非常に低い値だった。でも木の反対側に回ると、事故時の風向きのせいか数十倍の値を示した。数十センチで極端に違う事実は東京にいては分からなかったと思う。

 人の生活に役立つ技術を生み出すのが、科学者の役割の一つだろう。事故が起きれば当然、原因の究明、技術の改善、さらには被害対策の研究が科学者にも求められる。

 全量検査する福島県産のコメは、2012年度産は71袋が基準値を超えたが、13年度産は28袋に減り、14年度産はゼロになった。多くの科学者が放射性セシウムの特性を研究、その成果が耕作法に生かされた結果だ。

 「こんなことになるなんて。だけど村や代々続く農地を諦めたくない」。先生との調査中に出会った農家の男性が浮かべた無念そうな表情は、今も脳裏に焼き付いている。被害者に寄り添う悲しみと怒りがあってこそ、被害対策の成果につながると森先生に教えられた気がする。
 

 私は科学者ではなく新聞記者になった。現場に迫って事実をつかみ、科学の進歩、問題を両面から伝えたい。「竹田君、常に一次情報に近づかないといけませんよ」。先生の言葉を肝に銘じて。(松阪支局・竹田 弘毅)

 


追記:「この記事の中の森先生かっこよすぎません?」というのが現役の大学院生が小生にぶつけてきた感想です。いつの世も学生は歯にもの着せません。小生も学生の時はよく教授に食って掛かりました。(森敏 2015.4.13.)

2014-08-01 12:55 | カテゴリ:未分類

東大論文不正:元教授強圧的指導 調査委「懲戒処分相当」

毎日新聞 20140801日 1141分(最終更新 0801日 1151分)

 東京大分子細胞生物学研究所の加藤茂明元教授のグループによる論文不正問題で、同大科学研究行動規範委員会は1日、「論文5本について捏造(ねつぞう)や改ざんの不正があった」と認定したうえで、加藤氏が部下に強圧的な態度で不適切な指示や指導を繰り返したことが不正の背景にあったとする調査結果を発表した。加藤氏が論文撤回を回避するため、部下に画像や実験ノートの改ざんを指示したことも認定した。

 同委員会は、加藤氏のほか3人が不正にかかわったことを認定。加藤氏ら4人は既に東大を辞職しているが、「懲戒処分相当の可能性がある」と結論付けた。同委員会は残る論文について、調査を続ける。

 同委員会は昨年12月、加藤氏らの論文51本について、科学的に不適切な図など計210カ所があったと公表した。その後の調査で、加藤氏▽柳沢純氏(当時助教授)▽北川浩史氏(同特任講師)▽武山健一氏(同准教授)−−の4人が責任著者などを務めた5本の論文について、画像の加工や張り合わせの跡などが確認されたことから、同委員会は「捏造や改ざんがあった」と不正を認定した。

 研究室の主宰者である加藤氏については、「論文の捏造や改ざんを直接行った事実は確認できなかった」とする一方、「研究室の教員や学生に対し、技術レベルを超える実験結果を過度に要求し、強圧的な態度で不適切な指示や指導を日常的に行ったため、(部下の)教員らが『加藤氏が捏造や改ざんを容認、教唆している』と認識したことが問題の主因となった」として、加藤氏の不適切な研究室運営が不正行為を生む環境を作ったと結論付けた。

 また、調査結果によると、柳沢氏と北川氏は、自ら論文の捏造や改ざんをしていた。武山氏は加藤氏の指示に従い、論文1本の捏造や改ざんに協力した。また、武山氏以外の3人については、調査に対して虚偽と考えざるを得ない証言をしており、立証妨害があったと指摘した。

 加藤氏は1日、「今回の結論は、事実をまげて私の名誉を毀損(きそん)したものと評価せざるを得ず、到底承服することはできない。今後、第三者機関による判断を求めることも含め、専門家と協議の上、適切に対応する」とのコメントを発表した。【河内敏康、須田桃子】
 

  

この一連の報道で、小生はますます確信を深めたのだが、世界的にnature, science, cellなどのimpact factor の高い雑誌にぱかぱかと論文を連続で掲載する研究室は、要注意だということである。第一報は本当にオリジナルなのかも知れないが、第2報以降は惰性のデータで、つじつまの合わないところは偽造英作文能力でカバーしただけなのかもしれない。周りが油断すると、そのようにして一見素晴らしい虚構の学問体系が構築されていくのである。
 
  若い研究者には論文をうのみにせず、眉唾(まゆつば)で論文を読み、不審な点を見出す能力を身に着けることをお勧めしたい。これは論文読解力の当たり前の研究指導要領なのだが、若い人は活字を信じたがるのである。
 

研究者人生も、芥川賞作家や直木賞作家の多くがその後の作品でインパクトのある作品を書きつづけられないのと似ている。学生にはいつも言うのだが、長い研究者人生の中でヒットは打ててもそんなにホームランを何本も打ちつづけられるわけではないのだ。

 

(森敏)

 

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