fc2ブログ
2023-08-19 18:32 | カテゴリ:未分類

  夜中に体のあちこちに痛みが発生した。普段から毎晩腰から下の筋肉のどこかが攣るので、今回も軽く考えて様子を見ていたのだが、それがだんだんひどくなって来た。体の強直の感覚が短くなってい来た!ボトル一本の水を飲んだり、いつものストレッチをしても、効果がなく、落ち着いて眠れなくなった。ついにこの世の終わりかなと思うぐらいの体のしびれだ。

  汗がびっしょり出てきて、夜中に3回も下着を変える羽目になった。いつもの風邪の場合は、一度汗をびっしょりとかくと、あとはスーッとさわやかに感じられて、熱が効くのだが、今回は体温を計ったら38.5度を維持しており、何回汗をかいても体温が低下しなかった。

  ひょっとして、ついにコロナなるものに罹ったのかな、と。。。しかしこれまでコロナにかかった経験がなかったので、まだ信じることはできなかった。

  朝起きて、心なしか低脂肪牛乳の甘みが感じられず、食欲がなかったので、ぜんざいを食べたのだが、甘味があまり感じられなかった。皮ごと絞ったレモンの香りがあまりしなかった。味覚と嗅覚が明らかにおかしい。

  近所のかかりつけの医院に電話したら、すぐ来なさいと言われて、出かけたら、発熱外来用別室に通されて、鼻綿棒で鼻汁を採取されて、「クイックナビ(COVID19Ag)」という検査キットで、1分もしないうちに反応が現われ、「立派に感染していますね!」と、医者に断言された。

  「ゾコーバ錠125mg」による治療に係る同意説明文書(2023年6月作成)なる文書を読まされて署名させられた。当日に3錠一気に飲んで次の日から1錠ずつ4日間飲むプログラムである。

  政府に緊急承認された治験薬ということでなのか、ほかの薬も含めて薬代はべらぼーに安かった。どういうメカニズムなのだろうか?

  ことしの6月ごろ文京区から6回目のワクチン接種の誘いが来たのだが、さすがに飽きてきて効果があるのかないのかわからないワクチンを受けないことにした。それが原因なのか、ウイルスが新しいタイプになったからなのか、コロナに罹った理由が、わからなかった。

  すぐに医者に行くにもこのかかりつけ医院は木曜休診なので、仕方なくほかの医院にいったら、一応別室で尋問をうけたのちに薬を処方されてあっさりと帰ってきた。コロナ感染の確定診断を受けず、薬もゾコーバ錠をもらって来ず、普通の風邪薬を3種類もらってきただけであった。

   現在日本中でコロナは猛威を振るっているんだそうである。NHKの今朝の報道ではピークになっているのが今回のお盆の「人流」のために、またピークがそのまま横にずれるんではないかという予想をしていた。多分そうなるだろうという確信的な予感がしている。

  さて、コロナに罹った真の原因は何だろうかと考えるに、汚染源は紙幣やコインではないだろうか?

  週三回の整形外科でのリハビリ用に支払う小金を稼ぐために、コンビニやスーパーでは極力カード払いでなく、わざと毎回千円札を出して、お釣りをコインでもらっていた。最近はこのコンビニやスーパー店での出入りでのアルコール消毒がいい加減になっていたと思う。そのコロナ汚染の手指でハンカチをいじって汗を拭いたり、顔を無意識に弄り回したり、鼻くそをほじくったりしていたたせいだと思う。

  コロナ対策の初心に帰るべし、と改めて目覚めた次第です。

女房もかかったので、第6回めのファイザー製コロナワクチンは女房殿には全く効果がなかった。
  
(森敏)
2023-07-03 11:22 | カテゴリ:未分類
スライド2
表1。市販のあんぽ柿の放射能(ベクレル)/1kg生体重)。 生産者の氏名は〇でぼかしている
    
    2022年の11月9日に、福島県丸森町の耕野地区で育てられた干し柿用の柿が、奇形を起こしていることをTBSが報じた。奇形果が発生した原因はいまだに究明されていないようである(下図1)
    
    過去の文献には32年前の平成2年(1990年)に、福島県北の平坦部で同じような現象があり、アンポ柿の原料となる「蜂屋」に多く、「平核無」では少なく、 「会津見不知」ではほとんど発生しなかった、と報告されている。
naro.affrc.go.jp2. matome.eternalcollegest.com3. pref.fukushima.lg.jp
    
    今回のTBSの放送ではカキの異常果が発生した品種名の詳しいことはわからなかった。しかしアンポ柿の放射能汚染が友人からと、WINEPブログの読者からも懸念がコメントされてきた。なので、文京区のスーパーと青果店に出回っている「アンポ柿」を8点買い求めた。
    
    残念ながら小生は現在足腰が弱って福島県丸森町での現地調査ができないので、東京で手に入れることができる、福島県のほかの地域のアンポ柿を購入した次第です。
    
    東大農学部RI測定室のゲルマニウム半導体測定器で金曜日から土日月にかけて、1サンプルに付き61時間もかけて精密測定してもらった。(上図1)。全部で8点測定するのに3か月もかかった。
    
    測定結果は見ての通りで、2011年に東電福島第一原発から放出されたはずのCs-134は検出限界以下であったので表1には示していない、Cs-137が数ベクレル以下とごくわずかな値が検出された。この値は現在でも日本の各地の森林植生のほとんどの部分から検出される値に近く、37年前の1986年4月のチェリノブイリ原発事故で飛んできて土壌に残留する放射能由来と東電福島第一原発からの土壌や柿の木に残留する放射能由来が合算されたものと思われる。
  
    表1に示すK-40の250ベクレル前後の値は、天然の土壌粘土鉱物由来の放射能であり、我々は果物から絶えずこの濃度のカリウムの放射能を体内に取り込んでいるので、本来問題にすべき放射能ではない。
   
    表1に示すように測定したサンプルの6個入りとか、4個入りの袋には、この表の最初の2点を除いて生産者の氏名が明記されていたので、生産者は自信満々(放射能汚染はないものとして)市場に出しているものと思われた。だから当初から放射能を測るのは徒労と思われたのだが、結果はその通りになった。まずはめでたしめでたしである。
   
    さて、肝心の福島県丸森町の耕野地区の奇形カキの問題は、あくまで推測の域を出ないが、放射能以外の何らかの外的環境要因で、カキの実の胚の発生段階で帯化遺伝子に異常が起こったがゆえのものと思われる。
   
    これは小生が今でもしつこく追いかけている「タンポポの帯化奇形」や、「帯化巨大イチゴ」などと同じ現象と思われる。専門用語でいえばepigeneticな変異と思われる。同じカキの木で今年も同じ現象が起こるかもしれないが、次第に頻度が低くなり収束していくのではないだろうか。
   
スライド1 (2)
図1。カキの奇形果の種類(テレビからの転載)
  
  
(森敏)
2023-05-22 06:07 | カテゴリ:未分類
小生は、40年以上前に、学会のエキスカーションで、広島の原爆資料館を訪れたときの、えもいわれぬ重苦しい気持ちを、いまでもずっと忘れないでいる。

今回G7のメンバーは40分かけて原爆資料館内を見学したが、見学後建物から出てきた彼らの顔つきも、寡黙で鎮痛のようすだった。

小生は当時次の歌を詠んだ。

カニ穴を無数残して潮引きぬ 

   炸かれし子らの 墓穴のごとく



原爆被爆の後、皮膚がただれたやけどを冷やすために原爆ドーム横を流れる太田川には多くの市民が飛び込んだ。結局みんな亡くなったのだが。

ゼレンスキー大統領はウクライナの各地でのロシア軍による惨禍をこの400日間ずっと見てきているわけだが、彼も今回原爆資料館を見学して、ウクライナのそれとはまた少し異なった印象を持ったのではないだろうかと想像する。

ところで、ザポリージャ原発のロシア軍による占領は大きな危険性をはらんでいる。

狂犬プーチンは追い込まれて6基のザポリジャ原発を爆発させて自爆テロを行って、けんか両成敗的なウクライナ戦争の戦局の終焉を導くかもしれない。

それは、今回のG7広島サミットに、非常な危険を冒してでも急遽対面での会議に来日したゼレンスキー大統領が、来日前の飛行機内でtwitterで発信した

「日本、G7,ウクライナのパートナ-や友好国との重要な会議。今日平和はもっと身近なものになる」

という期待とは真逆の結果になるかもしれない。

以下に記録のためにゼレンスキー大統領の名演説を転載した。広島での超多忙の中で、これほどの集中した内容の演説を即興で行える文才を、小生にはほとんど信じられない。
ーーーーーーー
ウクライナのゼレンシキー大統領は21日、訪日日程の終わりに記者会見を開いた際に、日本国民へ向けた演説を行った。

ウクライナ大統領府広報室が全文を公表した。ウクルインフォルムによる日本語全訳以下のとおり。

親愛なる日本国民よ! 平和を大切にする世界の全ての人よ!

私は、戦争によって歴史の石に影のみを残すことになってしまったかもしれない国からここへ来た(編集注:ロシアの全面侵略戦争でウクライナが消し去られてしまう可能性を指している)。しかし、私たちの英雄的な人々は、私たちが戦争をこそそのような影にしてしまうべく、歴史を戻している。

私は、世界に戦争の居場所はないと信じている。人類は、とても長い道を通ってきたのであり、血塗られた対立で多くの命を失ってきた。死が空から降ってきて、死が海からやってきた。放射線が死をもたらした。人々は、互いに死を持ち寄ってきた。ある者は、人類の歴史は戦争抜きには想像できないと述べる。私たちは、人類の歴史は、戦争抜きにしなければならないと述べる。

ウクライナは殲滅戦の中心地にいる。私たちの大地には、私たちウクライナ人を単に服従させたいだけではない侵略者がやってきた。ロシアは世界に嘘をついている。あたかも「ウクライナ人など存在しない」と。

もし私たちがこれほどまでに勇敢でなければ、ロシアの私たちに対するジェノサイドは成功してしまっていたかもしれない。ウクライナは影だけになってしまっていたかもしれない。全ての人々が、影だけに!

しかし、ウクライナ人は、果てしなく勇敢である。果てしなく自由を愛している。そして、私たちは生きていく! そして、私たちは自由に生きていくのだ。

敵は核ではない兵器を使っているが、ロシアの爆弾と砲弾で焼き尽くされた町々の廃墟は、私が先ほどここで見たものと似ている。私にとっては、その平和記念館を訪れられたことは光栄である。そのような機会を与えてくれたことにつきとても感謝している。あなた方の民が自分たちの歴史で目にしてきたことは、何千という家族のありふれた生活の代わりに、灰だけが残り、町の代わりに焼け落ちた廃屋が残り、建物の代わりに瓦礫だけが残る、というものだ。

今、広島は復興している。そして、私たちは、現在、ロシアの攻撃の後で廃墟となっている全ての私たちの町、一軒たりと無傷のものの残っていない私たちの一つ一つの村の復興を夢見ている。

私たちは、自分たちの領土を取り戻すことを夢見ている。ロシアに占領されていた北部の領土を取り返したように、私たちは、東部と南部のウクライナ領を取り返さなければならない。私たちは、現在ロシアに拘束されている人々を取り戻すことを夢見ている。それは、捕虜や、民間人や、追放された大人や拉致された子供だ。

私たちは、勝利を夢見ている! 私たちは、勝利の後の平和を夢見ている。

しかし、そのためには、その侵略者が負けなければいけないだけではなく、現存する戦争の野心が敗北せねばならないのだ。そして、それは世界中の全ての人にとって重要なことである。私は、世界にウクライナの団結の呼びかけを聞いてもらうために、ここ、広島にいる。

ロシアは、文明的なものの全てを踏みにじった。ロシアはもう、1年以上私たちの最大の、欧州にて最大の!原子力発電所を占拠し続けている。ロシアは、戦車から原子力発電所を砲撃した世界のテロ国家である。原子力発電所を武器や弾薬の保管用演習場にした者は他に誰もいない。ロシアは、私たちの町を多連装ロケットシステムで砲撃するために、原子力発電所によって身を隠しているのだ。

もし世界の誰かが、ロシアの他の戦争犯罪をまだ無視することができるのであれば、そのような人道に対する罪は、間違いなく全ての人を行動に駆り立てしまうことだろう。

これを話しているのは、1986年にチョルノービリの放射線の惨劇を経験せざるを得なくなった、私たち、ウクライナなのだ。私たちの大地の一部は、いまだに立入禁止区域、汚染区域である。想像して欲しい。ロシア軍はその区域を通って進軍してきたのだ。彼らは、ソ連時代に放射線に汚染された物質を埋めた森に塹壕を掘っていたのだ。

そのような水準の悪と愚行のロシアの行動が悪い結果をもたらすことなく放置されるのだとすれば、世界は間違いなく破滅するだろう。国の要職に就く他の犯罪者たちが同じような戦争を望んでいる中では、それは時間の問題に過ぎない。

もしロシアに占領した領土をほんの一片でも与えてしまったら、国際法はもう決して機能することはないだろう。

ウクライナは「平和の公式」を提案した。公正で現実的なものだ。その最初の項目は、放射線・核の安全だ。ロシアは、放射線・核で世界を脅迫することを止めて、現在占拠している原子力発電所をウクライナと国際原子力機関(IAEA)の完全な管理下に戻さねばならない。

私たちの平和の公式には、全部で10の項目があり、その1つ1つの意味が国連(総会)決議によって確認されている。そこには、私たちの国に対するロシアの戦争を終わらせるために機能するあらゆるものが含まれている。

しかし、ウクライナの「平和の公式」の力は、ロシアの侵略の野心を止めて、ロシアが侵害した安全を回復した後でなお、世界にもう1つの追加的な結果をもたらすものでもある。それは、他の潜在的侵略者を麻痺させる、というものだ。戦争を望む者一人一人が、世界が平和を望む時にはどれだけ団結し、どれだけ覚悟を示すのかを目にしたら、戦争を始めることには意味がなくなるのだ。

これまで世界には、侵略者を止められるような公式がなかった。ウクライナはそれを提案している。ウクライナは世界に、戦争からの救いを提案している。そのためには、団結して、ロシアを最後の侵略者にしなければならない。そのロシアのウクライナへの侵攻の敗北後に、平和のみが栄えるようにだ。

私たち、人類は、異なる文化、異なる見方、異なる国旗を有している。しかし、私たちは、自分のため、自分の子供、孫のために等しく安全を望んでいる。そして、戦争が訪れてしまったら、私たちの命は、等しく灰じんと化してしまうのだ。

戦争からは影のみが歴史の石に残るよう、それが見られるのが記念館だけとなるようにするためには、世界の誰もが、あらゆる可能なことをしなければならない。

世界の誰もが、他国の人々を尊重しなければならない。

世界の誰もが、国境を認めなければならない。

世界の誰もが、正義を守らなければならない。

世界の誰もが、命を大切にしなければならない。

世界の誰もが、自らの義務として平和を受け止めなければならない。

広島よ、この数日間、通りで見られた青と黄の旗について、私はあなたに感謝している。ウクライナの旗があるというのは、自由への信念、命への信念、私たちを信じる心があるということを証明している。ありがとう!

日本よ、ありがとう。
岸田文雄首相よ、全ての日本の人たちよ、包括的な支援をどうもありがとう!
戦争の全ての犠牲者を永遠に追悼する。

平和が訪れますように!

ウクライナに栄光あれ!



ーーーーーーーー

(森敏)
付記1::小生が太田川を散策しているときに、原爆ドームを仰ぎ見ると向こう岸を、一人で京都大学の高橋英一教授も散策されていたことを、妙に思い出す。


付記2:以下はウクライナの子供たちの核攻撃からの防御訓練御の模様である。テレビの動画から切り取った。
核兵器対策訓練
先生が頭上で風船を針で爆発させて核爆発の模擬訓練を行っている。

付記3:広島に避難してきたクリミア半島の姉妹の一人。順調だと思っていた希望の人生が一変したと悔し涙で語る。 テレビ画像から切り取った。

広島に避難したウクライナ姉妹1




2023-05-20 11:43 | カテゴリ:未分類
日本人としてウクライナを勝たせるためにどういう貢献をすべきでしょうか?と悩んでいる大人が多いようだ。私見ではウクライナ問題に関心を持ち続けることが第一の支援だと思う。

そこで、遅まきながらも、Bingに聞いてみた。以下が返事です。

ウクライナを勝たせるために日本人として貢献できることはいろいろあります。例えば、以下のようなことが挙げられます。
• 国際機関への寄付:ウクライナに対するロシアの軍事侵攻により、多くの人々が避難生活を強いられています。国連やユニセフなどの国際機関は、人道支援や平和構築のために活動していますが、資金や物資が不足しています。日本人は、これらの機関に寄付をすることで、ウクライナの人々を支援することができます1,2。

• 日本企業の支援活動への参加:日本企業の中には、ウクライナへの支援活動を行っているところもあります。例えば、イオンやユニクロ、日清食品ホールディングスなどは、生活物資や衣料品などを現地に送ったり、国際機関に寄付したりしています1。また、トヨタ自動車やドン・キホーテなどは、ウクライナから日本に避難してきた人々に住宅や仕事の提供を行っています 1。日本人は、これらの企業の支援活動に参加したり、購入したりすることで、ウクライナを勝たせることができます。

• JICAの協力事業への関心:JICAは、ウクライナの自立的・持続的経済成長を後押しするために、我が国独自の技術や知見等を活かした協力事業を実施しています。例えば、農業分野では、農業生産性向上や農産物加工・流通改善などを支援し、食料安全保障や農村振興に貢献しています 3。また、エネルギー分野では、エネルギー効率改善や再生可能エネルギー導入などを支援し、温室効果ガス削減やエネルギー安全保障に貢献しています 3。日本人は、JICAのウェブサイトやSNSなどでこれらの協力事業に関心を持ったり、情報発信したりすることで、ウクライナを勝たせることができます。

以上のように、日本人としてウクライナを勝たせるために貢献できることは多くあります。ウクライナはロシアによる侵略に勇敢に抵抗しており、日本から何ができるかと考える必要があります1。
詳細情報:
1. www3.nhk.or.jp 2. www3.nhk.or.jp 3. jica.go.jp4. nhk.or.jp


駐日ウクライナ大使がこれまでの日本人の貢献として以下の期待と感謝を述べている。

インフラ復興で「新幹線」=日本の技術に期待―駐日ウクライナ大使

時事通信
 ウクライナのセルギー・コルスンスキー駐日大使は18日までに、ロシアの侵攻で破壊されたウクライナの鉄道インフラ復興に際し、日本の「新幹線」のような高速鉄道の整備を検討していると明らかにした。日本政府や新幹線の製造を手がける日立製作所と協議していると説明。日本の技術に強い期待感を示した。

 コルスンスキー大使は、先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)を前にインタビューに応じた。この中で「国家インフラ開発プロジェクトとして、スピードと快適性の観点から新幹線に似た全く新しい鉄道システムを建設する可能性について、協議を始めた」と明言。高速鉄道網の整備に関し、運行システムを含め高い技術を持つ日本の支援を望んでいると語った。

 さらに、破壊された建物や道路の再建にとどまらず、「ウクライナの経済を近代化させるプロジェクトを実現させたい」と強調。インフラ分野のほか、主要産業である農業分野への投資も訴えた

 ロシアによる核兵器使用の脅威にさらされる中、G7に軍事面でさらなる支援を要請。「国民を守るためにはできるだけ多くの高性能な武器が必要だ」と訴えた。ロシアが2014年に併合した南部クリミア半島を含め、全ての領土から撤退することが対ロ交渉に応じる「最も重要な前提条件だ」と、ウクライナ政府の立場を改めて示した。

 武器供与に制約がある日本が果たす役割については、「他国の復興支援で培った経験があり、金融大国でもある」と語り、軍事面にとどまらない独自の貢献の在り方を歓迎。港湾都市オデッサに横浜市が浄水装置を送るなど、自治体レベルでの支援に謝意を示した。

 日本が受け入れているウクライナからの避難民は約2300人。欧米に比べれば少ないものの、コルスンスキー大使は「大きな数字だ。多くの学生が授業料の免除を受け、大学で学んでいる」と評価した。また「避難民が困難な時期に地域の人々に受け入れられていると感じることが非常に重要だ」と述べ、日本の市民に協力を呼びかけた。


ーーーーーーー

(森敏)
付記:小生は東京大学に避難して留学しているウクライナ人学生へのカンパをしたことはすでに述べた。役立っているようでうれしい。戦争は長引きそうです。年寄りは身銭を切って大いにカンパしましょう。

小生の教え子が2011年3月11日の東日本大震災で、東電福島原発からの放射能汚染被ばくにおびえて、一年間ドイツ政府の特別非常事態支援で避難留学できたことがあったことにいまさらながら思いをはせている。
2023-04-03 06:43 | カテゴリ:未分類
坂本龍一さんが亡くなった。71歳という若さである。

全くの偶然だが、昨日「旧制高校物語 真のエリートの作り方」(喜多由浩 産経NF文庫)を読んでいたら以下の文が出てきた。

坂本龍一の祖父である東亜国内航空の社長・会長を務めた下村弥一(1897-1990年、旧制5高-京大)は、寮歌や旧制高校を愛していた。::::::::とりわけ、下村が愛した寮歌が5高を代表する『武夫原頭に』だ。:::::::::長女の坂本敬子がこんなエピソードを明かしている。「父は40歳のころからピアノを買い入れ(略)引くのは決まって5高の代表寮歌『武夫原頭』でした。興が乗れば一日に何回でもピアノを伴奏に、武夫原頭を大声で唄う・・・」(平成8年刊、「日本寮歌大全」から)
敬子の一文には息子(下村の孫)がヨチヨチ歩きのころから祖父に抱かれて「武夫原頭」をピアノで弾く場面が出てくる。「孫」とは世界的な音楽家として活躍している坂本龍一(1952生)のことだ。
母敬子はこう書く。「この古ぼけたピアノは、父から娘へ、さらに孫へと「武夫原頭」という同じ曲をテーマに、引き継がれてきたわけで、龍一の音楽の根底には『武夫原頭』のメロデイーが潜在意識として流れていると思います。龍一の音楽の根底にある民族的な要素、簡明直截さ、心の琴線に触れるメロデイーなど、『武夫原頭』から学び取ったものは真に大きいと考えております」と。

小生は坂本龍一さんとは全く接点がないし彼の音楽にも詳しいわけではないが、以下の挿話がある。

東電福島第一原発で被曝したキビタキの死体を2012年お春ごろカメラマンの森住卓さんが東大赤門まで持ってきて、これをラジオオートグラフに取ってくれないか、というので撮像して差し上げた。その写真をどこかで見た坂本龍一さんが「こういう放射能汚染を可視化した映像は放射能の恐ろしさがとても分かりやすい」と東京新聞の編集会議で参与として述べたそうである。そこで記者が小生のところに来て、このキビタキの映像を紙面に使いたいと言ったので承諾した。その写真が東京新聞の全紙大で紹介されたことがある。坂本龍一さんが環境問題に強い興味を抱いていることはわかっていたが、音楽ばかりでなく映像的感覚に対しても嗅覚が鋭いと思ったことである。

以下のブログをご参照ください。
http://moribin.blog114.fc2.com/blog-entry-1478.html
2012/05/29 : キビタキの幼鳥の被爆像
  
  
(森敏)

追記1:さっそく本日4月3日のスポニチにこんな記事がのった。

坂本龍一さん死去 音楽に影響を与えたのは叔父さん 都内の私立高校で数学の教師だった
スポーツニッポン新聞社 の意見 • 昨日 22:02

 坂本さんの音楽に大きな影響を与えたのは、母方の叔父、下村三郎さん(故人)だった。
 都内の私立高校で数学の教師を務めていた下村さんは大の音楽好きでクラシックのアルバムを数百枚自宅に所有していた。ここに坂本さんは幼少期から足繁く通い、レコード鑑賞にふけった。「人生で最も影響を受けた音楽家」としていたドビュッシーに出合ったのも下村さんのコレクションだった。
 坂本さんの母方の祖母美代さんは教育熱心で音楽に力を入れていた人。そんな母親の下、下村さんは食器をわざと落として割ってその音を楽しむという情操教育を受けていた。
 坂本さんが2020年に発表したコンプリートアートボックス「2025」の中には、ニューヨークの自宅で陶器を割る音を採取して制作した曲「fragments,time」があるが、下村さんから幼いころに教わった遊びが根底にあったのかもしれない。
 坂本さんには「音楽との出合いは子供時代に聴いたものが決定的になる」という持論があった。音楽好きの叔父さんと過ごした日々が世界的音楽家の出発点となったと坂本さん自身も思いがあったのだろう。
 下村さんも静かに甥っ子の活躍を喜び、教え子に「龍一にピアノを教えたのは俺なんだ」とちょっぴり自慢げに話すこともあった。

追記2: 坂本事務所の死亡連絡文によると、

 最後に、坂本が好んだ一節をご紹介いたします!

Ars longa vita brevis.

芸術は長く、人生は短し

追記3:以下のWINEPブログもご参照ください。

2010/03/26 : 武夫原頭に草萌えて(旧制五高の碑)

FC2 Management