2011-02-11 11:46 | カテゴリ:未分類

精液の臭いががむんむんする「苦役列車」

    
   

第144回芥川賞授賞作 「苦役列車」(西村賢太)を読んだ。

    

この短編は生涯「私小説」というジャンルに挑むという作者の、自伝的体験話である。

     

「自分よりダメな奴がいると思って救われる人がいればいい。思い出すと恥ずかしく、考えると腹が立つようなことしか書けない。」ということである(朝日新聞1月18日)

    

少し文体に違和感があったのだがそれなりにおもしろかった。

   

小生は酒が飲めないので、昔はよく酒飲みに絡まれたのだが、この短編は酒飲みの絡む内面が良く書けていると思った。

     

主人公が、下宿代を払えなくて何回も下宿代を踏み倒して下宿を転々とする話が出てくる。これを読んで、突然我が東京学生会館時代(1963-1965)のことを思い出した。
  
    東京学生会館は寮費が格安であった。戦後の学徒援護会が主催する、旧近衛連隊兵舎あとの、冬は寒風吹きすさぶ、夏は赤痢が発生する、実に不潔なインターカレッジ寮で、90%以上が苦学生であった。かれらは毎日肉体労働のアルバイトをしており安酒に溺れたり暴力沙汰が耐えなかった。酒乱で毎日暴力事件を起こし、ガラスをたたき割る学生がいて、小生は寮委員だったので、査問委員長に担ぎ上げられて、寮内世論におされて、この学生を退寮処分にせざるを得なかったことがある。今でも忸怩たる思いである。

   

ところで、若い駆け出しの“物書き志願者”は身辺雑記の体験を増やすために、あえて種々の職業に挑戦し、無頼な生活に挑戦する場合がある。そしてだいたいは挫折する。それは本当に書きたいことが内面から涌いてこないからである。

   

しかしこの西村賢太氏は外的条件が人生航路の社会への出発点から制約されている。中学卒の学歴コンプレックスや破廉恥罪で有名になった父親の負い目やを抱えて、日雇い労働者を繰り返す。何かに活路を見いださねば、生きていけなかっただろう。

   

幸い西村賢太氏には「無頼派的小説を書きたい」という心棒(矜持)があるから、今のところはどんな経済的苦難にも耐えていけるのだろう。「表現の自由」が心を開放するのであろう。

   

身体的老化を克服できなくて、芥川賞授賞の後に体験を拡げることが出来なくて、書くことが無くなって、出版社により燃焼・焼却された作家も多い。氏がそうならないことを祈る。

   

作家の瀬戸内寂聴氏(89才?)も語っている。彼女は積極的に仏教の布教活動をするぐらいだから、あらゆる煩悩から解脱しているのかと思ったら、「いまもって“物書き”の欲望だけは絶ちがたい」とのことである。

     

小生の知人の某氏は、70才にして今なお直木賞に挑戦している。

       

(森敏)

秘密

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