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WINEPブログ内で「 日本 」を含む記事

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2024-03-20 15:26 | カテゴリ:未分類
チャットGPTのインパクト ―われわれはどう向き合い、どう活用すべきかー

というタイトルで川村秀憲(ひでのり)北海道大学大学院情報科学研究院教授が新着の学士會会報(No.965)で述べている。9頁に渉る長文なのだが、今回の議論に関する部分のみを勝手に引用させていただいた。

::::今後チャットGPTに回答できる問題を、人が解くことに意味があるのでしょうか。人が猛勉強の末にやっと身に着けた能力をAIが簡単に代替できるなら、そうした能力を獲得する意味があるのでしょうか。

:::::人とのリアルな触れ合いや社会性の育成などはAIには担えないので、人の仕事として残るでしょう。

:::::進学、就職、結婚、経営、政治などの意思決定は、複数の目的から構成される多目的最適化問題なので、AIには解けません。

::::::::これから生まれてくる子供たちは幼いころからチャットGPTに親しんで育つので、今の中高年とは全く異なる考え方や発想をするでしょう。それを考えると、今の社会フレームに固執してはいけません。「調和系工学」の示す通り、人間とAIは共存し調和すべきです。AIの存在を前提に、倫理観、法律、教育、ビジネスなどを更新し続けることが大事です。::::::


これを要するに、些末なことはチャットGPT に任せておけ、今後は真に人が人としての独創性を発揮することを時代が要請しているということである。

そのためには人の独創性とはなんぞや?ということを万人がよく認識する必要があるだろう。と思いなら、最近の、日本人研究者による「創造性」に関する本をAIで検索したら、以下の本が出てきた(そのほか外国人の書籍も多数出てきたのだが)ここでは省略する(後日紹介したい)。
   
さっそく図書館で借りて読んだのだが、大変読みやすかった。かなり「創造性」に関して本質的なことに挑戦して考察しているので感心した。
数式がないのがおすすめです。以下に目次だけ紹介しておきます。
      
創造性はどこから来るか?
潜在処理、外的資源、身体性から考える 
阿部慶賀著 共立出版
(越境する認知科学日本認知科学界編2 The Cutting Edge of Cognitive Science)

第1章 ひらめきはどのように訪れるか
第2章 ひらめきの訪れを予測できるか
第3章 創造的思考を助ける外的資源と外化
第4章 外的資源としての他者
第5章 外的資源と創造性をつなぐ身体
第6章 創造性とあいまいになっていく身体
終章  創造性はどこからくるか、どこにあるか

この本の終章の最後の言葉を引用しておく。(多少陳腐に思う人がいるかもしれないが。。。。)

  強いて、ここまでの議論から創造的思考をするための教訓めいたことを述べるとするならば、「失敗を恐れずに愚直に自ら行動し、体験すること」があげられる。現状では最も有力視されている制約論的アプローチに従うと、試行錯誤を通して初期の誤った制約を解消することが洞察に至る堅実な方法だといえる。思考錯誤することで、環境を変え、変化した環境から新たな手掛かりが得られるかもしれない。そしてその環境の中の手がかりを手掛かりとして認識できるかどうかは、事前知識や身体との相性が関係する。ある身体を持った人間にとっては見過ごされてしまうような手掛かりが、別の身体を持った人にはポップアップされて見えるかもしれない。自分の知識と身体では見つけにくい手がかりがあるならば、他者の協力を得ればよい。誰もが他の誰かの創造性を触発する可能性を秘めているのである。

 
 
(森敏)
2024-03-19 11:16 | カテゴリ:未分類
封切後の宮崎駿監督の映画 『君たちはどう生きるか』 の人気はいま一つだったように思う。

小生が時々通りがかりにチェックしている上野のPARCOでの東宝シネマの映画館でのこの映画の上映時間がしばらくの間毎日一回しかなかった。

思うにこのタイトル 『君たちはどう生きるか』 が今どきの若者には説教臭くて若者たちが距離を置いていたのではないだろうか。

ところがアカデミー賞を受賞してから上映回数が二回に格上げされた。人気が上昇しているのだろう。

そこで小生も、この映画を見に行った。

観終わっての感想は「ストーリーには感動がなかった」。しかし、映像技術的には各所で新しい試みがあったのだろうと思った。何しろ漫画映画をあまり見てこなかったので、この点からの感想は全くできません。

会場で映画を観終わった聴衆からの反応は「沈黙」でした。解釈に戸惑っている様子がありありでした。

代わりにこの映画に対するアカデミー賞受賞理由をAIに検索してもらったので、以下に青字で記しておきます。


長編アニメーション映画賞:『君たちはどう生きるか』 』(日本語:『君たちはどう生きるか』)がアカデミー賞長編アニメーション賞を受賞した。 宮崎駿監督のこの映画は、第二次世界大戦中に母親を亡くした少年が、不思議なサギと出会い、魔法の世界への旅に出る、幻想的で心温まる物語です。 このアニメーションは、宮崎監督の特徴的な手描きのスタイルとコンピューター生成の効果を組み合わせたもので、視覚的に素晴らしく、感情的に共鳴する体験を生み出しています。 アカデミーは、この映画の芸術性、ストーリーテリング、そして世代を超えて観客を魅了する能力を認めました。 これは、2003 年に「千と千尋の神隠し」で宮崎監督が受賞したのに続き、2 回目のアカデミー賞受賞となります。

生成AIがまとめてくれた映画のストーリーは以下の青字のとおりです。

「君たちはどう生きるか」は、太平洋戦争中の1944年、空襲で母を失った少年・眞人(まひと)が父の戦闘機工場と一緒に郊外に疎開するところから始まります。新しい母親となる人物との出会いや学校での孤立、そして偶然見つけた本を通じた冒険が描かれています。物語は、不思議な世界に迷い込んだ眞人が、アオサギとともに、生と死が渾然一体となった世界を探求する過程を描いています。宮崎駿監督が原作・脚本も務めたオリジナルストーリーで、タイトルは宮崎監督が少年時代に読んだという、吉野源三郎の著書「君たちはどう生きるか」から借りたものです。

この映画は、宮崎駿監督が引退宣言を撤回してまで製作に乗り出した作品として、そして本当に最後の宮崎作品になる可能性が高いとも言われています。不思議で感動的な物語をぜひご覧いただきたいですね。

(森敏)

付記:この映画の主人公の一つであるアオサギの生態描写は実に秀逸だと思いました。特にアオサギが、水面から飛び立つ描写やアオサギが水面に静かに着水する描写などは、実に気合が込められていると思いました。小生はいつも散歩がてら不忍池で、アオサギ、オオサギ、コサギ、カワウ、雁、カモメなどの湖面からの離着水の姿を眺めているので。

追記:この映画を見た3日後、NHKで過去の宮崎監督の作品である「魔女の宅急便」を20分ばかり見た。人物の動きがすこしぎくしゃくしていたり、背景の風景描写などが単調であったりなど、今回の『君たちはどう生きるか』 の映画が、当時と格段の進歩をしていることが確認できた。ストーリー性は魔女の宅急便のほうがハラハラドキドキと楽しくて優れていると思った。
2024-03-13 16:22 | カテゴリ:未分類
スライド1
左はソーセージから出た油分。右は電子レンジでパンクしたウインナソーセージ。

 某社のあらびきポークウインナー(JAS上級規格品と表記)900g袋入りを業務スーパーで購入した。

 それを小分けにして冷凍庫に保存して、その一部を室温で解凍して、はさみで一つ一つのウインナーに切り込みを入れてから、電子レンジに600ワットで3分間かけると、ソーセージがパンクして一部焦げができる。

 驚いたことに、油分が相当量流れ出て来た。この油分をコーヒーカップに掬うと上図のようになる。これを一日室温に放置していたら、真っ白いラードになった。

 余りにも多い油分量なので、この包装ビニール袋裏面に小さく書かれている栄養成分表示(100g当たり)というのを書き写すと、

エネルギー 346 kcal
たんぱく質 10.3g
脂質 32.9g
炭水化物   2.2g
食塩相当量  2.3g

であった。要するにソーセージの32.9%もが脂質なのである。ここに書かれている成分の合計が47.7%となるので、これ以外に含まれるいろいろな添加物の量を除くと、水分は約50%ということになる。いずれにしてもこんなにも脂質が多いとはこれまで気が付かなかった。

 小生がストラスブール大学に滞在しているときに、農芸化学科の有機化学講座出身の中川教授に連れて行ってもらったレストランでのザワークラウトと各種ソーセージの盛り合わせはビールに相性がよくとても美味だった。なので、それ以来時々ドイツ製のザワークラウトの瓶詰めを購入して、国産ソーセージとともに食べることがある。おいしいので馬鹿食いしている。
 
 実は小生は、もう30年以上健康診断での血液検査ではLDH値がHigh(日本人の値の上限以上)と表示され続けており、この値は一向に下がらない。食品には全く油がないとおいしく感じられなくなると思っているので、あまり気にしていないからである。そのかわりに合成食品添加物に対しては袋の裏面での表示を読んで、おおいに気を使っているのだが。

 本日の朝日新聞に「食品の栄養表示 包装全面にも」というタイトルの記事が載っていた。消費者庁が「包装前面栄養表示」(FOPLN)義務を、任意ではあるが加工食品業者に推奨する方針を決めたようである。国民が自然に健康になれるための環境づくりの一貫とのことのようである。

その際の表示は、
熱量(カロリー)、たんぱく質、脂質、炭水化物、ナトリウム、であり表示の単位は1食分の量を原則にすべきだ、としている。

 そうなると小生の好物のソーセージの“馬鹿食い”は減るかもしれない。しかしソーセージの低たんぱく高脂質の含量を知った今後は、ソーセージからは電子レンジで油分を徹底的に取り除いて食することにしようと思う。
 
 
(森敏)
2024-02-07 15:12 | カテゴリ:未分類
今週号の週刊誌「AERA」が「叱れない社会」という特集をやっている。
  
新聞でこの週刊誌のタイトルを見て、わが人生で「叱られた」経験の記憶を思い出してみたら、なぜか、たった一つしか思い出せなかった。それが以下の60年前の話である。
  
大学院修士課程のときに、東京大学植物栄養肥料学研究室の三井進午教授が日本学士院賞の受賞が決定した。6月に天皇陛下の前での発表と身内での祝賀会があるというので研究室がなぜか湧きたっていた。
  
ある時教授室から出てきた三井先生に「祝賀会には背広で参加しなければいけませんか?」と質問したところ、先生が珍しく怖い顔で「君、背広の一着ぐらい持っておらんのかね?!」とにらみつけられた。
  
それで震えあがって、夏休みに急いで芦屋に帰って、このことを母に告げると、母はすぐに大阪の道頓堀の呉服店に小生を連れて行って採寸させて、わが人生初の背広を仕立てさせた。
  
祝宴会に間に合って、胸をなでおろした。。。。。。。という顛末が今でも強烈だ。
  
これ以外は、わが人生で「叱られた」経験も、「怒られた」経験もない。対人関係に鈍感だったからだろうか。都合の悪いことはすぐ忘れる健忘症だったからかもしれない。
  
別件だが、
灘高校では「𠮟られた」経験はなく、英数国の教師から3年間ずっと「嫌がらせ」(いまでいう「いじめ」)を受けた経験が満載である。小生自身が教師をものとも思っていなかった(たぶん今でいう「発達障害児」だった?)ので、なんとか耐えたのだと思う。

現在YouTubeで灘高卒業生がしきりに発信している「雷獣チャンネル」を時々見るのだが、今の灘高は小生のころと隔世の感があるようだ。 生徒たちは十分すぎるほどに自由を謳歌しているようだ。
2024-01-30 14:31 | カテゴリ:未分類
加藤崇(Whole Earth Foundation(WEF、全地球財団)CEO)が文藝春秋新年号で、

既成の教育は吹き飛んだ というタイトルで、以下のように断定的にのべている(部分抜粋です)
  
「ChatGPT」の登場によって、「情報を整理し、伝達する能力」が社会の中で相対的に果たす役割は、いま終わりを迎えている。::::::「知識を覚えることの意味が社会から消滅した。:::::::ChatGTPによって黒板にチョークでひたすら板書する教師たちの仕事は、すでに消滅している。消滅していないと思っているのは、本人たちだけかもしれない。:::::
   
これを読んで当然出てくる疑問は、ではChatGPT以降の小、中、高の学校教育での教師たちは、これからの教育目標を、何に向かって、何を、生徒たちに教えるべきか? また、生徒たちは、何をどう教師から学ぶべきか?という疑問にただちにぶつかるだろう。

小生は小中校教育にはド素人だが、すでに日本を含めた先進各国の教育の現場では以上のようなことは、改革に向けて懸命に取り組まれ始めているものと推測する。改革は早ければ早いほどいいだろう。AIの発展が予想できないぐらい加速度的だからである。

AIは「知能」のレベルが人間を驚異的に凌駕するが、今のところ「意識」を持たないといわれている。だから私見では、コンピューターサイエンテイストにとっても未だ漠然としていて定義が定かでない「意識」なるものを強化する教育が、小中高教育では求められる物の一つではないかと思う。

ここで、論理の飛躍をあえて許してもらえれば、
たとえば同じ新年号の文藝春秋での巻頭随筆で藤原正彦氏は

「懐かしさ」は「もののあわれ」などと並び有限な人生に付随する情緒で、AIがどんなに発達しても持ちえない人間のもっとも高尚な情緒の一つと思う」
と述べている。これは間違いない指摘だと思う。

高尚な情緒を磨くことは、人生の豊かさの根源だろう。

ここでまた論理の飛躍をすると、現在NHKで放映されているテレビドラマ「光る君へ」は平安時代の美意識を「意識」する契機になると思われるが、さて今後物語がどのように展開するのか。。。

これまで3回の視聴では、物語の登場人物の名前や官位の解説が無いのでとても理解ができていない。次回から小生は他のユーチューブチャンネルで、人物の系譜を勉強しながら視聴することにしている。


  
  
(森敏)

後記:昨日(2月11日)のテレビドラマ「光る君へ」の,道隆が主宰する歌会では、4人の有名な歌人(藤原公任、藤原斉信、藤原元輔、藤原道長)の漢詩が紫式部の父である藤原為時によって朗々と詠まれ、紫式部と清少納言が列席するという場面が紹介された。実際には歴史上ありえなかった人物構成だったが、実に優雅な平安朝の雰囲気を出していた。見終わって我ながら感嘆したので、テレビに向かって拍手をしてしまった。(単細胞ですね)
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