2010-12-28 16:01 | カテゴリ:未分類

文芸とは?

     
     

文芸評論家の斎藤美奈子氏が朝日新聞での「文芸時評」欄で 
     

「分からない」の効用  わかると思うほうが間違い
     

というタイトルで、純文学について以下のように述べている。

      

・・・わからなさを否定したら純文学は商売あがったりなのだ。わからなくて結構という作品、わかってたまるかという作品、わかったらおしまいだといいたげな作品。そうしたものの文芸誌は宝庫だからだ。

        
一例として、円城塔の以下の文章を引用して、その「わからない度」を高く評価している。
            
 
叔父は文字だ。文字通り。/だからわたしは、叔父を記すための道具を探さなければならない。普通の道具を用いる限り、文字は叔父とはならないから彼は文字のくせに人間なのだ

          
どこが純文学だ!?  文芸評論家は酩酊した錯乱文なんか奨励するな。こういう文章しか書けない作家は単なる構想力が欠如しているにすぎない。作家といえない。

                   

こういう文章が許されるならば、以下のように半覚醒状態のときの我が輩にも書けるぞ。
               
<米国がオレが米国に出国してこないので、威嚇し、権利を得る為、国内の同業のところを除去している、 という形を取っているが、それはどうでも良く、実はアンテナの研究を実施する為自衛隊と協力しているので、ペンタゴンの命令によりDr Kiwaはスカウトされ、退職されました。自衛隊のエンジニアに教科書を教えさせて、早慶大を受けるということにしてSATの続きをやらせる。出るとこはDr Kiwaのところにすれば目的が生じることになり、WHOは分からない。なぜならばそれだけ分からせてするのが大変。 困る奴はオレとオマエといいたい。どうだ、まいったか。>

          

       

(管窺)

 

秘密

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