2010-11-06 08:15 | カテゴリ:未分類


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島崎藤村と北村透谷の関係

 

銀座の端にあたる泰明小学校の門前になんと
 

島崎藤村

北村透谷
 

幼き日

ここに

学ぶ

      

という石碑が建っていた。二人の関係はちっとも知らなかったなー。赤煉瓦の塀には紹介文のパネルが貼り付けてある。ご興味のある方は現地で見てください。

          

島崎藤村の著作集をiPadでダウンロードして読んでいると、「北村透谷の短い一生」という、短文があった。そこには、確かに以下の関連記載がある。

   

・・・北村君自身の言葉を借りて言えば、不羈磊落(ふきらいらく)の性質は父から受け、甚だしい神経質と、強い功名心とは母から受けた。こういう気風は少年の時からあって、それが非常にやかましい祖父の下に育てられ、祖母は又自分に対する愛情が薄かったという風で、後に成って気鬱病を発した一番の大本は其処から来たと自白している。明治14年に東京に移って、そして途中から数寄屋橋の泰明小学校へ入った。透谷という号は、この数寄屋橋のスキヤから来たのである。私も小学校の課程は、北村君と同じ泰明小学校で修めた者だが、北村君よりは、その弟の丸山古香君の方を、その時代にはよく覚えている。・・・

 

この藤村の短文に依れば、透谷は27歳で首吊り自殺をしているのだが、透谷が基質的にそこに至らざるを得なくなっていく過程の観察も記されている。藤村は透谷の死後、透谷の奥さんの願いで、透谷が書き散らした“部屋中いっぱいになるほどの”様々な原稿を取捨選択して、「透谷全集」を編集して世に残したのだそうである。藤村と透谷が実際に交流したのは透谷死亡前のわずかに3年間であったのだが、藤村は透谷の先駆者的な才能を最大限に評価し、この未完の大器の夭折を惜しんでいる。

    

(森敏)

秘密

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