2010-09-14 12:06 | カテゴリ:未分類


なりたくない自分になるな

 

電車の座席に座ったら、向かい側の座席の頭の上の広告掲示版に、某学園の入学案内のポスターが貼られていて「なりたくない自分になるな」というキーワードが書かれていた。
  
  これはだれも否定のしようのないすばらしい言葉である。

   

これを見て、思い出したことがあるので、すこしコメントしたい。

   

実は、ほとんどの小説家の場合は、若いときは片方で会社務めなどの実務をやりながら生計を立てて、一方で原稿を新聞や、懸賞小説に投稿したりして、徐々に自分の小説家としての技量を確認しながら、ある時点で、エイヤ!と小説家への道に踏み切るようである。

   

昨日のブログで紹介した有島武郎も東北大学農学部の助手(多分農業経済学科?)のポジションを投げ捨てて、小説家としての実力に疑心暗鬼(ぎしんあんぎ)であったのだが、なりたくてなりたくてたまらなかった小説家への道を決然と歩み始めている。

   

非常に印象的なのは、森鴎外のケースである。彼は医務官から出発して終生行政官職を務めている。いわばその公務の傍ら、小説や雑記をモノしている。彼のいくつかの懐古的雑文を見ると、どちらかというと、物書きの傍ら公務をこなしていたことがよく分かる。ここでいう公務というのは、部下から上がってきた「未決」書類にコメントを付して(付箋を差し込んで)、「既決」の書類に入れることである。彼はそれが厭で厭で、本当に、給料のために義務感でやっていたようである。いまでいうエフォート(effort:勤務時間内でのエネルギーや時間の投入割合とでもいおうか)の比率で言えば、実際に公務に費やす時間は20%ぐらいであっただろう。公務の最中でも頭の中身は小説の構成のことで常に占められていただろうから、実質的には10%ぐらいしか公務には頭脳を使っていなかっただろう。

 

つまり、森鴎外はなりたくない(不本意な)医務官職を最終的には最高位の陸軍省医務局長にまで上り詰めたいっぽう、小説家としてもなりたい自分を全うできた希有な人物であろう。人物のキャパシテイーが大きかったので、両立できたとも言える。しかし、官職の医療行政の方面では、詳細は省くが「脚気」に対する議論などでは、所詮西欧からの輸入学問(当時のパラダイムといおうか)に拘泥して、軍隊において玄米食ではなく西欧流の食事を強調するなど行政的誤りをしている。彼の場合は、ドイツに給費生として留学しているが、実際のところ研究者としては有能でなかったので行政職で俸禄を得る道をえらんだとも言えよう。それが国民健康に対しては、ネガテイブに作用している。いくら頭がよくても、なりたくないことはやってもらいたくない例であろう。

      

一方、夏目漱石は一貫して松山中学校、第5高等学校の教職を奉職して英文学の道を歩んでいる。ロンドン留学の後、東大講師、それを辞任して朝日新聞社に入社して後、「吾輩は猫である」などの本格小説を書き始める。文科省が強く推薦した文学博士の称号も断固拒否している。創造活動と官による肩書きはなんの関係もないという意思表示である。

 

あるとき、森鴎外は夏目漱石に対する感想を聞かれて「そんな人物には興味がない、優秀かも知れないが」、と結構冷たい評価をしている。それは、自分は当初から物書きになりたいのだが不本意にも医務官の道を歩まざるを得なかった。にもかかわらず正当な文学の道を、夏目漱石がまっすぐ歩んでいることに対する、ジェラシーのように小生には感じられる。

 

  かくのごとく、なりたくない自分になるな と若い人を煽っても、ことはそう簡単ではない。凡人には夢がないようだが、まず生活ありきなのだから。

  
(森敏) 
   
付記:多くの有名な小説家や画家が最終的に、経済的困難と、芸術的才能の枯渇で自殺に追い込まれている。その貧困や精神的病弱が実は彼ら芸術家の迫力を生むテーマになっているところが、じつにじつに、逆説的である。

      



 
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秘密

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