2010-09-13 10:38 | カテゴリ:未分類

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有島武郎の文学碑

     

北海道大学で開催されている学会の合間を縫って、札幌の大通り公園を歩いていると、有島武郎文学碑に出くわした。碑は横幅4メートル、高さ2メートルぐらいある。これまでも札幌を訪れるたびに何回か同じところを歩いていたはずなのだが、何故かこの碑には気が付かなかった。碑の側面には、昭和37年9月22日有島武郎記念会が建立し、武者小路実篤が碑文を書き、半澤洵が題字を書いたと記されている。

    

これまでこの碑に気が付かなかった理由は、大きな大理石が太陽光線を反射して遠くから離れてみると文字が全く読みにくいことと、右半分にある浮き彫りの母子像があまり印象的でないからだと思う。だからなんの碑なのか道路からわざわざ近寄って文字を読んでみる気がしなかったのだろう。左半分の文字盤には短編「小さきものへ」の一節が刻印されている。

    

今回、おなじく学会の合間に北大の構内にある北大博物館を見学した。北大の歴史の掲示コーナーで、有島武郎が明治29年(1896)札幌農学校予科最上級に入学してから本科に在籍していたことを知った。彼は農学の出自なんだ!

   

また、つい最近、文京区の朝日新聞勉精堂発行の、「界隈の話」というのがここのWINEP事務所のポストに投げ込まれていたのを読んで、少し驚いた。なんと有島武郎は文京区小石川水道町の生まれ(明治11年)ということでその略歴が書かれていた。

   

その記事によれば、有島武郎の学歴は学習院・札幌農学校予科・札幌農学校本科(卒業論文「鎌倉時代初代の農政」)・ハヴァフォード大学大学院(文学修士論文「文日本文明の発展-神話時代から徳川幕府の滅亡まで」)の後、明治41年(1908年)東北帝国大学農科大学に赴任。大正3年大学に辞表を提出し、文学者の道を歩み出した、とある。

    

小生が中学生の時、筑摩書房の「有島武郎文学全集」を購入して、全部読んだのだが、「或る女」などはいくら読み込もうとしてもちんぷんかんぷんであった。今から思うとまだ人生経験がないので当たり前である。しかし「一房の葡萄」などの童話には、いたく感激した。この作者は年齢相応にならなければ理解できない作者の1人である。

    

いまiPadで有島武郎の著作を全部ダウンロードして、再度短編から少しずつ読んでいるのだが、彼の随筆や評論では、小生自身の若いときの未熟さを想起させられて、恥ずかしくて少し読むに耐えない文章に出くわすところがある。もちろん、晩年の芸術論は冴え渡っており、いまでも充分批判に耐えると思う。

 
             

(森敏)

秘密

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