2010-08-17 19:19 | カテゴリ:未分類

報徳学園と富田砕花

   

  報徳学園と佐賀学園の高校野球を見ていて、13対5で勝利した報徳学園の校歌がテレビで演奏された。小生に、どの高校の校歌もだいたい同じ様な雰囲気だという先入観があるためか、このときも、歌詞もメロデイーも何気なく聞き流していた。のだが、作詞・富田砕花(とみたさいか)と歌詞がテレビ画面に映し出されたのにはいささか驚いた。

 

  いつかこのブログで書いたかも知れないが、富田砕花氏は小生が芦屋市宮川町に住んでいたときに、わずか100メートルばかりの所に屋敷があった。阪神大震災で土塀が解体したが、再建されて、今では富田砕花記念館となっているはずである。(震災当時人手に渡っていた旧我が家は完全に崩壊して、新婚の奥さんが無くなったということで、すでに均された土地の中心部に葬いの幣がミカンと共に飾られていた)。

 

  小生の母校の宮川小学校の校歌はたしか富田砕花氏の作詞であったと思う。これは今でも非常に好きな歌である。

 

  校歌というものを作詞するのは名誉なことなのだろうが、甲論乙駁あってなかなか勇気が要ると思う。しかし、この富田砕花記念館を一度見学したことがあるのだが、富田砕花氏は戦前戦後に亘って阪神間のあちこちの小・中・高の校歌を作詞していたようである。

 

  そういえば、わが母校の精道中学校の校歌は、なぜか小生が在学中に、突然変更されたので、子どもながらに、とまどった思い出がある。作詞・作曲の全部が変更された。その理由が誰からも全く知らされなかった。前のはいささか文語調であったが後のは完全な口語調であった。だからなのか、この母校の中学校の校歌には格調が感じられなくて今でもあまり親しめない。

        

(森敏)
     
    
付記:高校時代に我が屋の斜め隣の家の同学年の親友のM君は、なぜか報徳学園に2年遅れて入学し、その夏に芦屋の海岸で小生とボートにのっていて、ボートが転覆して、溺死した。このことは、以前にもこのWINEPブログで書いたことがある。
  
追記:最近若山牧水の随筆を読んでいたら、文中に富田砕花の名前がひょっこりと出てきた。
 なんでも、昔、千葉の市川に画家の友人と遊びに行って、川縁で画家が風景を描いている間に、牧水がうたた寝をしてしまったので、その画家が、牧水の寝姿を写生してしまった。宿に戻るとお金が足りなかったので、宿代のかたにその絵を置いてきた。後に絵を取り返したが、その絵を富田砕花がどこかに持っていったのだが、どいうわけかそれがまた富田砕花の愛人に渡って、そこから九州のどこかに行方不明になってしまった。という話である。この話から富田砕花が若山牧水と親交があったことがはじめて分かった。(2010.9.1.記)
 

秘密

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