2010-07-25 16:44 | カテゴリ:未分類

「ビタミン研究の回顧」 鈴木梅太郎著 に感動した


  

    iPadを購入して、慣れるのに悪戦苦闘している。

 

  これを購入して一番最初にやったのは、例のページがめくれる書籍のダウンロードである。「i文庫」をあけ、青空文庫に入会金を払って、無料でダウンロードできる(つまり著作権が切れている)本棚のリストを開いたところ、まことにおどろいたことに、文芸作品でもない

「ビタミン研究の回顧」 鈴木梅太郎 底本「研究の回顧」輝文堂書房

というのが眼に飛び込んできた。

 

  偶然とは云え、農芸化学の大先輩である鈴木梅太郎の、読んだことがない文章が読めるとは実にありがたく懐かしいことだ。

   

  早速ダウンロードして開いて見ると、当時大流行した脚気の研究に取り組んだ動機と、脚気の原因物質が米糠にあるという現象の発見から、米糠からオリザニン(後にビタミンという命名が主流となる)という脚気の治癒に有効な粗抽出化合物を発見するに至る過程と、この化合物の結晶化の過程が詳しくのべられている。

   

  オリザニンに関しては鈴木梅太郎が国内での口頭発表(1909年東京化学会)から1912年にドイツ生化学誌に発表し、1929年に2mg結晶化し、1930年に300mg結晶化に成功したことが述べられている。

 

 曰く
 

この結晶は0.02mg位で鳩の白米病を直す力があるから、人間には1mg位で効く物と思はれる。この結果を、昭和5年11月、日本学術協会で大嶽君が発表したので、引き続き元素分析やその他の化学的性質を試験した。

「オリザニン」の結晶を1gも作るには、少なくとも数百貫目の糠(ぬか)より出発せねばならないが幸いに三共会社から注射用の強力「オリザニン」を大量に供給されたから出来たのである。一方また大嶽君の巧妙なのと、根気のよいのには驚くべきものがあった。

今後B(注:主成分のこと)の結晶の化学的構造を決定し、これを合成するのは何年かかるか知らないが、兎に角結晶となったのは、化学者の一大収穫である。

 

  このビタミン研究の回顧という文章は1931年に「研究の回顧」というタイトルで「科学知識」2月1日発行に掲載されたということである。

  

  したがってこの文章を書いた時点ではまだオリザニン(後のビタミンB1)の構造決定は行われていないのである。

  

  この回顧録の中で、鈴木梅太郎は ビタミンなる名称 というサブタイトルを付けた文章で、オリザニンよりもビタミンの名前の方が世界的に有名になってしまった“悔しさ”を正直に書いている。

 

  曰く

 

「オリザニン」の発表より1年ばかり遅れて、英国リスター研究所に於いて、フンク氏が私と同様の有効成分を抽出せることを報告した(明治45年2月)。而してその命名せる「ビタミン」なる名称が世界一般に使用された為に、兎角フンク氏が先鞭をつけたもののように思い誤られ易いが、しかし当時フンク氏は、単にこれを以て鳥類の脚気様疾患を治癒せしむべき成分と見なし、それが栄養上如何なる意義を有するかに就いては、実験もせず、またこれに論及もしなかった。ただ、氏がこれを結晶状に抽出したことを発表した為め、世人の注意を惹いたのである。が、それは誤りで、その結晶なる物は有効成分ではなく、私がすでに発見せるニコチン酸であったのである。私は日本に於いて数年前より発表せる成績十数報に亘る論文を一括して、1912年(明治45年8月)、ドイツ生化学雑誌に掲載したのであるけれど、初めは日本文のみで発表した為に、素より外国人の目には触れず、恰かもフンク氏よりも遅れたかの観を呈したのである。

   

  また、後にビタミンでノーベル賞をかっさらったアイクマンについて、この回顧録の執筆時点では、まさかアイクマンがノーベル賞を受賞するとは思っても見なかったであろうが、以下のような記述がある。

     

  (臨床の現場で)和蘭(オランダ)の医者でアイクマンといふ人がジャヴァで脚気の研究をやって居ったとき(この人は当時日本へも来たことがある)偶然に病院の残飯を鳩に与へると鶏はヒョロヒョロになっって死んでしまふことを見いだした。そこで白米で鶏を飼ってみると、みな同じように衰弱し、脚が麻痺して、ちょうど人間の脚気に似た病状を呈する。が、玄米を与えれば病気にはならない。また、白米に糠を与へても、やはり効果のあることを確かめた。

併し、アイクマンは白米に微生物が付着しており、これが鶏の胃の中で繁殖して中毒を起こすのであって、糠の中にはこの毒素を中和する物質があるだらうと考へたのである。

   

  つまり、アイクマンによる米糠が脚気を治癒するという現象の発見は正しいのであるが、解釈は完全に間違っていたのである。
  
  後に、鈴木梅太郎はフンクの提唱した「ビタミン」の名称で「オリゼニン」の名称を埋没させられ、米糠の投与で脚気が治癒するという現象の発見でアイクマンにノーベル賞をさらわれた。

 

  この回顧を読むと、鈴木梅太郎はドイツの留学先のフィッシャーの研究室から帰国後「(当時の)日本人の体格が何故外国人に劣るのか」という実に日本固有の正当な命題に農芸化学者として正面から取り組んだ人物であるが、先陣争いの激しいサイエンスのグローバリズムを軽視していたこと(研究成果を最初から国際的な学術雑誌に投稿しなかったこと)、日本国内での当時の医学分野での栄養学の無理解により人間に対する臨床研究に悪戦苦闘を強いられたこと、などが、ノーベル賞を取り逃がした原因とも考えられる。

     

  であるから、彼は現役の東大農芸科学科の「生化学」の授業の時には学生の前では“机を叩いて”「論文は(日本語でなく)英語で世界の一流雑誌に投稿しなさい」といつも涙を浮かべながら激励していたという語りぐさがある。このことは、このブログでも以前に述べたことがある。
   
 
このタダ本に出会えたことをiPadに感謝している。
        
(森敏)

秘密

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