2010-07-10 13:18 | カテゴリ:未分類

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  リスト記念館(中央はリストの座像)

          
リストの指先からの連想
(ブダペスト報告4)

          

    ガイドブックを詳細に読める某君の案内にしたがって、ブダペストの街を歩き回って、カフェ街の公園にある、ピアノ演奏家かつ作曲家であるリスト(Ferenc Liszt)の像にようやく到達した。その近くにはリスト・ピアノコンクールが毎年開催されているという晩年のリストの座像が正面3階からあたりを睥睨している建物があった。

   
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   ピアノ演奏する(?) リストの像
    

    長い両手の指で、リスト自身でしか弾けない4オクターブにも亘るピアノ曲を作曲していた、という噂の記憶が小生にはある。そういう目で見ると、この銅像はまさに、右手の指幅でそれを強調している。

       
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             右手
  
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                 左手
   

    この像を見るまで、彼がハンガリー人であるとは思わなかった。きつい顔つきなどからしてきっとドイツ人だろうと思っていた。しかし彼はオーストリア帝国支配下の時も、ドイツで活躍しているときでも、父親がハンガリー人であるので、自分自身もハンガリー人であることを強く主張していたとのことである。

      

    その話は大いに納得できた。

          

    ハンガリー人はアジアからコーカサス山脈を乗り越えてきた人種で、チンギスハーンの末裔が率いるモンゴリアン(蒙古系)の血をひいており、旧共産圏の東欧諸国とは人種的に一線を画して、非常にプライドが高いのだそうである。
 
  ハンガリー語は文字も言語も東欧近隣諸国のどこにも似ておらず、非常に特殊で小生には全く読めない。実はリストもハンガリー語を正確にはしゃべれ無かった、ということである。

      

    であるから、この国は第2次世界大戦後ソビエト共産圏に繰り込まれた後も、一番最初に1956年に「ハンガリー動乱」を起こしたのだが、徹底的にソビエトの戦車隊に蹂躙弾圧された。また、1989年の東・西ベルリンを隔てているベルリンの壁の崩壊の時には、ハンガリー政府はどの共産圏諸国よりも先駆けて旧共産圏諸国から西欧への逃亡民を助けるために東ドイツへのパスポートを無条件に発行し、崩壊したベルリンの壁を経由して東ベルリンから、西ベルリンへの亡命を積極的に助けたことは有名な話である。
   
  これが、きっかけになって、東欧諸国の共産党政権が全面的に崩壊したのである。それほどに、この国の国民は自尊心が強いのである。

       

    このリストの銅像の建設の年代が確かめられなかったのだが、銅像の両手の指からは、彫刻家が敬愛の念を込めて全身全霊を傾けて創作した気持ちがひしひしと伝わってくる。

           

〔森敏〕

秘密

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