2010-03-28 11:13 | カテゴリ:未分類

熊本大学の漱石記念碑

    

夏目漱石は東京大学を卒業後、紆余曲折を経て松山中学(愛媛県尋常中学校)に赴任し、その後1896年に講師として前任者小泉八雲(ラフカデイオ・ハーン)と共に5年間だけ五高の英語教師をしていた。教授に昇格して1900年に八雲を残して漱石は五高を離れてロンドンに留学している。

    

  熊本大学構内を散策していると、写真で見るよりもいささか頭でっかちの夏目漱石の像(金剛株式会社創業50周年記念)があった。

 

IMG_7113-2.jpg 

 

その左には、

 

 

ソレ教育ハ建国ノ基ニシテ

師弟の和熟ハ育英の大木タリ

 

明治三十年十月十日

 教授 夏目金之助

      

 IMG_7105-2.jpg

 

と言う漱石記念碑が建っていた。言わずと知れた夏目金之助は夏目漱石の本名である。

これを読んで、当時はまだ30才前半の若さなのにあらためて漱石は教育者だったのだなーという感を深くした。

    

このときに漱石が宣言しているごとく、のちに作家漱石の家(漱石山房)には小宮豊隆鈴木三重吉森田草平などが出入りしていた「木曜会」があり、門下には内田百野上弥生子、さらに後の新思潮派につながる芥川龍之介久米正雄といった小説家のほか、寺田寅彦阿部次郎安倍能成などの学者がいる。

 

  

この漱石像の右側には

  

    秋はふみ

     吾に天下の

       志

 

IMG_7099-1.jpg 

    

と言う漱石の句が建っている。この句をどこで詠んだのか定かではないが、若さがみなぎっており、このころ彼は「躁」状態だったのではないかと思われる。

      

留学中のロンドンでは急速に「鬱」(当時の用語では極度の“神経衰弱”)になって行き、文部省が心配して強制送還に近い形での帰国を余儀なくされている。

      

 残念ながら今回は熊本城の北側にあるらしい夏目漱石内坪井旧居には出かける時間がなかった。訪れれば、何か感ずるところがあるに違いないのだが。。。。

          

(森敏)

 

秘密

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