2010-03-10 15:02 | カテゴリ:未分類

山本五十六には2本の指がなかった

     

“・・・・・・食事と言えば、12時からの昼食は、スープ、魚料理、ビフテキ、デザート、そして食後のコーヒーまでの、フランス料理のフルコースでした。山本五十六連合艦隊司令長官は日露戦争で左の人差し指と中指を失っておられましたが、器用に指を使って食事されていました。・・・・・・”(近江兵治郎元連合艦隊司令部従兵長の文章:文藝春秋3月号)

 

 

  山本五十六の伝記を読んだことがないので、上記のことは当時の国民には常識だったのだろうが、小生には新鮮な事実で意外だった。

  

  艦上での水兵の前での敬礼には、ピン!と指を揃えた右手を帽子に対して水平にかかげるだろう。又、諸外国の高官などと握手するときなども右手でだろう。障害が左手の指で良かったなーと思う。それとも公衆の面前では海軍司令官はいつも真っ白い手袋をはめているようだから、指がないことなんかあまり気にする必要がなかったのだろうか?

   

  それにしても、日露戦争のどんなときに山本五十六長官は指を失ったのだろうか? 苛烈な実戦の最中なのだろうか? このことがその後の彼の意識や決断に何らかの影響を与えることはなかったのだろうか?

    

  山本長官による太平洋戦争勃発の端緒を切った真珠湾攻撃は、歴史に残る先制攻撃で、 <日本人が油断も隙もない“こすっからい”奴だ>、という印象をアメリカ人の脳裏に植え付けてしまったのだが、それこれとは深層心理で関係がなかっただろうか?

 

 

野口英世は幼少の時のいろりの火に手を突っ込んでの手のやけどがその後の彼の <人一倍頑張る人生> に大きく係わっていると、昔の教科書で教えられた。しかし、野口英世の伝記である「遠き落日」(渡辺淳一作)にはこの点の心理分析はあまりなされていなかったように記憶している。

 

 

文藝春秋の以上の従兵長の記事をベッドでまどろみながら読みながら、つらつらとこんなことを考えた。

     

(森敏)

秘密

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