2010-02-11 13:05 | カテゴリ:未分類

立花隆はよほど小沢一郎を殺したいらしい

      

文藝春秋の今月号(3月特別号)も 「政治家」小沢一郎は死んだ という立花隆の記事を掲載している。そのタイトルが表拍子に載っている。 ロッキード事件のときの爆発的な本の売れ行きの二の舞をねらっているのか、文芸春秋はいろんな人物を使っての<小沢一郎たたき>に極めてご執心である。

       

それにしてもこの立花隆の論説は支離滅裂である。

  

この論説は、小沢一郎不起訴が決定される前に書かれたものである。であるから、小沢一郎が起訴されようが不起訴であろうどちらに転んでも良い巧妙な論調となっている。

   

「小沢はいずれ生理的に死ぬだろうから、彼がどうなろうと、現在の若者は関心がない」、という牽強付会(自分の都合の良いように無理に理屈をこじつけること:広辞苑)の結論に向かって、邁進(まいしん)している。論説にも値しない単なるアジテーションである。

   

彼は、詳細に今回の検察の政治資金問題でのリーク情報を紹介するのが厭になったのか、体力が無くなったのか、あるいは、この原稿を執筆する前での宗像元特捜検事との対談で「小沢起訴」の感触があまり感じられなったからなのか、政治資金問題から話題をそらして、東京大学教養学部(したがって受講生は18才から20才のはずである)の自分の最終ゼミでのアンケートを延々紹介して、原稿料をかせいでいる。(これは秘守義務または著作権侵害に当たる可能性がある。我が輩は学生の感想文を公的に公表するような卑しいことは慎んだ)

    

学生アンケートから彼が引き出したい結論は、20才の若者からすれば「気が抜けるほど小沢はどうということがない存在になっている」ということらしい。若者にとって小沢一郎なんか過去の人物だ、すでに死んだ人物だ、といいたいらしいのだ。

     

しかし学生の感想文をよく読むと、それは全く逆で、多くの学生達は小沢一郎という人物の、彼らの理解を超える不可解さ、について語っている。

   

我が輩に言わせれば、たかが20才の若者に政治家の「清濁併せ飲む」熟成度が分かるわけがないのである。

    

立花隆は<田中角栄・金丸信・小沢一郎>は一心同体の不純な政治資金を集めた不潔(ダーテイー)な政治家の系列であるというイメージを発信し続けて、それが証明されることを、一生の願いにしたいのだろう。

  

     

この<アジ記事>で立花隆は

「小沢が本当にいつ権力を失うことになるかはまだ定かでない。しかしこの事件で小沢が権力を失わなくても、そう遠くない時期に小沢は確実に死ぬ。小沢はすでに67才。最近の記者会見で自ら述べたように、「そう長くはない」のである。政治的にしばらく持ったとしても心臓に重い持病を抱えていることもあり、ガン手術の後遺症もある。これだけストレスの多い政治生活を続けるのはもう限界だろう。」

   

とまるで、小沢よオレも死ぬからおまえも早く死ね、といわんばかりのエールを送っているのである。

     

我が輩もガンの再発を恐れているのだが、立花隆はいくら自分が膀胱ガンの再発に滅入っているにしても、自分はどうせ死ぬのだからと捨て鉢になって、他人の死を望むのは良くない。

  

それにしても立花隆の筆力は落ちたな。もう政治を語るな。

            

(喜憂)

秘密

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