2010-02-05 20:29 | カテゴリ:未分類

マスコミの落胆と虚勢

   

 

今回の<小沢一郎不起訴>で一番落胆したのは、マスコミ陣営であろう。朝日・毎日・読売・産経のすべてが、「小沢問題はこれで終わったわけではない。」という捨てぜりふのキャンペーンに終始している。

    

この間の熱狂的(クレージー)な<小沢逮捕>に向けてのマスコミの報道内容が、検察庁記者クラブからのリーク情報ではなく、「社会部記者などによる、40人近い独自の大取材網による報道である(本日朝刊・読売新聞 社会部長溝口烈)」とか、「読売新聞は真実に迫るため、検察官や弁護士、ゼネコン関係者などに幅広く、丹念な取材を積み重ね、その結果を報じてきた(本日朝刊・読売社説)」のなら、なぜ特捜部はそれらの証拠を採用して、小沢一郎を起訴しなかったのであろうか。

    

観念的な思いこみの強い現今の“特捜部”からみても、これらのマスコミの社会部記者からの<たれ込み>の内容が、ことごとく裁判になったときの証拠としては耐えない“がらくた情報”ばかりであると考えたからであろう。実際、今回の3人の秘書と国会議員の裁判も、もし裁判員制度下で始まれば、理系の裁判員によって「そんな薄弱な証拠で、日本の検察は人々を起訴してきたんですか?!」という声がわき上がることだろう。

    

もし今後、政治家を裁く裁判に裁判員制度が導入されれば、これまで、裁判官と検察がつるんで、<起訴>されることがすなわち<有罪>としてきた<国策裁判>が、今後は様変わりするだろう。

   

その意味において「裁判員制度」は政治家の冤罪を避ける強力な手段になりうるし、今回与党が「取り調べの可視化」を推進しようとしていることは、“特捜部”にとってはかなりのダメージを与えることになるだろう。

    

「“検察”は正しい」、「逮捕された人は罪人だ」等というアホな一億総催眠術化から国民は目を覚ますべき時代がきたのである。

   

マスコミも “どんなテーマでも一斉に煽れば日本国民の世論を変えられる”、という傲慢な思いこみを転換しなければなるまい。

   

今回のこと(小沢一郎不起訴)で一番謙虚にならなければならないのはマスコミ(大新聞・テレビ)である。

        

(管窺)

秘密

トラックバックURL
→http://moribin.blog114.fc2.com/tb.php/747-539b871e