2008-03-25 07:52 | カテゴリ:未分類

冬の栗林公園・法然寺・金比羅宮めぐり

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                栗林公園
 

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             法然の像

 

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   堀江健一氏のプラスチック製太陽電池・ヨット

 

小学校の修学旅行で金比羅山や栗林公園に行った記憶があるが、それ以来50年以上これらの観光名所を再訪する機会がなかった。今年の正月に入って高松の小さな農村での講演会があって、講演の翌日、一日を使って50年ぶりに友人の案内でこれらの名所を訪問した。 

 

栗林公園は岡山の後楽園や水戸の偕楽園や東京の浜離宮、六義園、小石川植物園、後楽園などとは比較にならないぐらい庭が手入れされており、面積も広大でとても2時間では歩けなかった。午前中なので人がまばらで閑散としているのが気持ちがいい。うっすらと昔の記憶にあるのは「たいこ橋」だけであった。書院造りの掬水(きくすい)亭ではゆっくりとお茶とお菓子をいただきながら、書画骨董などの展示物を鑑賞し、いろいろな部屋からの庭園の眺めを愛でた。冬場なので松の木々のみが目立っていたが、白砂の花崗岩の地にさまざまな名前を付けられたそれぞれが由緒のある老松が端整に手入れをされているのが本当に清々しい。だが、いまでは日本中の上記の庭園の何処でもそうだが、ここでも空を入れた園庭写真を撮ろうとすると、どの角度から狙っても必ずと言っていいほど無粋な高層ビルがじゃまをすることが少し残念であった。(写真上)

  

金比羅宮に行く途中には法然寺というお寺があり、全長8メートルもあろうかと思われる『寝釈迦』を見た。このお寺は昔の合戦や現代の戦争の焼失を免れたとのことで、開祖である法然上人(写真中)以降の歴代の宗主の数十体の極彩色の座像が暗闇の廊下の中に端然と並んでいた。その姿は、実に生々しく、異様な迫力があった。

 

金比羅では、残念ながら時間がなかったので、途中まで別の路をタクシーで登った。そこから合流した多くの老弱男女の参拝者達は杖を持ってにぎやかに声をかけあいながらけっこう急な階段を元気よく登っていた。わいわいがやがやの雰囲気がとっても楽しそうである。最上段に到達して、この神社が「海難よけ」の神様であることを初めて知った。意外なことに、頭上に永年の風雪で原色がすでに消えかかった多くの歴代の絵馬が飾られている社殿の下に、海の冒険家である堀江健一氏のプラスチック製太陽電池を用いたヨット(MALT'S mermaid号)の実物が、展示されていた。よくもこんな小さな船(全長10メートルぐらいか?)に乗って一人で太平洋を渡れたものだと、素直に感心した。船体が傷だらけであったが、それがかえって幾たびかの海難をのりこえてきたのだなーと思わせるものがあった。(写真下)

 

神社の土産物屋ではウコンで金色に染めたお守りを息子の嫁の安産祈願の記念に購入した。

 

帰りに階段を下っていくと、途中左手に光沢のする立派な袴姿の銅像が建てられていた。説明文をよく読むと昔のこの神社の宮司であるとのこと。彼は金比羅宮を日本中で有名にした中興の祖として祭られていた。神社で宮司が銅像になっているのを初めて見た。神社にとっては確かにもっとも集金力に貢献した人物なのであろうがちょっと妙な気もした。

 

階段の両側には土産物屋が延延と続いていた。高さ1メートルもありそうな立派な一木彫りの七福神や龍などがあった。近寄って見ると値段の高いものでは52万円というのがあった。が、残念ながらすでに日本の各所で見てきた造形なので小生には美的にはいずれも陳腐に思われた。

 

そこから高松空港への途中で立ち寄ったさぬうどん屋でのあつあつの「釜揚げうどん」はたいへんおいしかった。ご当地讃岐のうどん屋はどこも昼間は大入りなので、店の作りが非常に大まかで開放的なのがよい。やはり讃岐は「うどん」を抜きにしては語れない。

 

(森敏)

 

 

 

 

秘密

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