2009-11-10 16:00 | カテゴリ:未分類

 

 都史跡 徳田秋声旧宅を見学した

 

 

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      徳田秋声

    

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左の御影石の標識には 「都史跡 徳田秋声旧宅」

とある。玄関前には下記の東京都教育委員会による

パネルの説明文が建てられている。

 

 

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                 説明文

  

都史跡 徳田秋声 旧宅

所在 文京区本郷六丁目六番九号

指定 昭和三十九年四月二十八日

 

 秋声(一八七一~一九四三)は石川県に生まれ、尾崎紅葉に学び「藪柑子」発表以来覘友社の四天王の一人といわれた。明治三十六年表町(文京区)に一戸を構え、三十八年この地森川町に移った。地味な作風のうちに自然主義作家の代表者とみられ「新世帯」「足跡」「黴」「爛」「あらくれ」「仮装人物」などの代表作を発表、未完の名作「縮図」を最後に昭和十八年十一月十八日、七十三才で歿した。秋声は歿するまでこの家に居住し、代表作はみなこの家で書かれ、かれの本格的創作活動はここで行われた。

 旧書斎および離れの書斎は全体的にかなり老朽化しつつも、なお昔のおもかげがよく保存されており、日常愛用の蔵書、調度品、日記、原稿など、遺品もきわめて多く保存されている。

 指定地域面積は約四四五.五平方メートル

昭和四十三年十月一日 建設

 東京都教育委員会

 

  

   

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 か細い字が原稿用紙の行間に書かれている

  

 

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       全41巻の全集

   

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庭の向こうの白木の建物がフジハウスという下宿屋

    

      

         

  先日、年に一回の徳田秋声旧宅の開放日に宅内を見学させていただいた。文京区の東京大学の正門前から5分の距離にある。説明盤が建てられているのでいつも気になってはいたのである。

  

  現在はお孫さん達が住まっておられ、毎年特別にこの日に向けて、都民に開放されるのだとのことであった。御家族はそのための準備もたいへんであっただろうと思うと同時に、当日は緊張の一日になるだろうと、ここが都史跡に指定されていることにいささか同情した。

     

  座敷に通されて最も目についたのは、机の上に拡げられていた秋声の生原稿の文字で、ペン字が、か細く、しかも原稿用紙の升目ではなく、縦の行間の細い部分に書かれている文章が結構あったことである。これが彼のどういう執筆中の心理を表しているのか大いに気になった。いまだにその理由がわからない。単に升目が大きすぎて、彼の文字が小さいので、升目脇の行間に書き込む方が能率的であっただけなのかも知れない。

        

  驚くべきことに彼の書いた文章は徳田秋声全集(八木書店)として現在41巻まで上梓されている(残念ながら小生はその一編も読んだことがないのだが)。ひたすら書き続けたそのエネルギーには圧倒された。

       

  それでも戦前戦中の弾圧に抗して文士して一本筋が通っていたのは、庭の一角に建てられているフジハウス(現在もこの名で経営されている)という下宿屋を経営して経済的に安定していたからからであろうと、勝手に納得した。

  

  これまで何故彼の本を読まなかったのかとつらつら思うに、その大きな理由は、単に、小生が学んだ教科書に載っていなかったからなのでは無かろうか。これを契機に彼の本を読んでみようと云う気になった。

     

(森敏)

 

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