2009-10-19 15:11 | カテゴリ:未分類

「知的好奇心と忍耐力」

    

東北大学の井上明久総長が 上記のタイトルで、以下のように若い研究者に対するメッセージを述べている。(U7 vol 28 October 2009 7大学のアカデミックコミュニテイクラブ 学士会)

      

・・・・略・・・・

特に工学における成果は、地道な研究を重ねた経験の蓄積によるところが大きいと思います。研究における失敗をどれだけ体得したかが問われます。そのためにも教育機関としての大学は、若い研究者を育成するうえで、いかに失敗を積ませてあげられるかが問われます。私が金属材料研究所でやったことの半分以上は失敗でした。それは回り道かもしれませんが、その回り道をした経験こそが、のちのち成果をあげた際に大きな意味があったことに気づきました。そうした失敗を寛容してくれた研究環境は何物にも代えがたいものです。

・・・・略・・・・・

  

     

  現在の国立大学法人では理系の講座ではほとんどが教授1、准教授1、助教1(あるいはその3者の1人が欠けた不完全講座)の教員体制であるので、研究室が研究成果を生産するに際して学生や大学院生が非常に重要な研究上の戦力となっている。したがって、卒論や修士論文や博士論文のテーマには、教官が獲得してきた研究費に見合ったテーマが与えられているのが普通であろう。

     

  教員によっては、非常に学生をうまく歯車のように使って、小さな成果でも確実に生産できる体制で研究を進めている者もいれば、積極性のある学生には特技を生かしてテーマに沿うような、あたらしい研究展開をさせている場合もある。学生の素質と意欲と適性と教員のテーマとの相性をどうマッチさせるかが最も頭の痛いことである。 

     

  小生の場合は学卒で就職希望の卒論生には、だいたいいつも、「どうなるか分からない」試行錯誤のテーマを与えていた。博士課程までの進学を希望する学生にはまさに修士と博士の5年スパンの研究テーマを与えたいのだが、かなり研究志向の高い彼らでも卒業論文や修士論文で多少ともまとまった成果が出ないと、めげてしまって、博士課程への進学を断念する場合があるので、成果の出そうなこともやらせなくてはならず、なかなか頭が痛かった。

      

  現在では、総じて、教員が獲得した研究費の研究成果に対する評価が以前と比べて格段に厳しくなっているので、各教員は小さくまとまる成果が出るように、テーマの展開を行いがちである。つまり、学部生や大学院生といえども余り失敗が許されない。生物系分野では500万円の研究費で一流雑誌に最低2報ぐらいの論文は書かなければならないだろうから。

    

  であるから、実は、こういう学部・大学院教育の実態は、上記の井上明久総長の弁 < いかに失敗を積ませてあげられるかが問われます>  とは相反することになっているわけである。

    

  こういう暑苦しい状況を回避するためには、必然的に教員個人同志や研究組織間での連携や共同研究を促進して、お互いの特技を生かして、コストパフォーマンスを高めて、お互いによい研究成果を出していく、という手法が取られることになって行くわけである。実際、従来のたこつぼ型研究から抜け出して、それがうまくいっている分野も増えてきている。

     

  その際、学生を他の研究機関に短期で共同研究派遣したりして、若手の交流を深め、異分野間での視野を広めれば、それも彼らの多用な発想力の成長にとってはすばらしい経験になりうるのである。

       

  しかし、実際のところ、実験科学者は将来大きく伸びるためにはあくまで個人の失敗経験が豊富であることが最も重要であることに誰も異論はないであろう。

    

  実験科学者は素朴実在論者であって観念論者ではないのだから。失敗経験を体にしみこませなくてはいけない。又、失敗を繰り返すことにへこたれない天性の鈍感力を持っていなければならない、と思う。

           

(森敏)

秘密

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