2008-02-24 18:15 | カテゴリ:未分類

最長1836文字のだらだら文- 再び川上未映子について

 

以前のブログで指摘したが、今回の芥川賞作家の川上未映子(かわかみみえこ)の受賞作 『乳(ちち)と卵(らん)』を読んだ。前回ブログを書いたときは「文芸春秋」が出版されていなかったので作品の実態が不明であったが、やはり予想どおり、この作品は万葉調の大部分が大阪弁のだらだら文であった。万葉集を意識したのかと思ったら本人のインタビューでは、樋口一葉の文体を意識しているとのことで、大いに納得した。暇つぶしに数えてみると、最長で文藝春秋誌上の活字で74行(1836文字、約1ページ半)にもわたって句点「。」のない文章があった。この部分は息をもつかせぬ(つもりの?)クライマックスの部分である。ほかにも全編が似たような長文の句点のないだらだら文である。

 

審査員の一人である石原慎太郎の選評では

「・・・・・一人勝手な調子に乗ってのお喋りは私にはただ不快で聞き苦しい。この作品を評価しなかったと言うことで私が将来慚愧(ざんき)することはおそらくあり得まい」と、断罪している。

 

小生も「乳(ちち)と卵(らん)」のストーリーには全く興味が湧かなかった。読んでいて苦痛であった。大阪弁の使い方も年齢による使い分けが出来ていない(小生は芦屋に住んでいたので関西弁はよくわかる。)

 

もとより芥川賞は“可能性に賭ける賞”であろうから、石原慎太郎以外の多くの選者が川上未映子を今回の受賞者に選んだのには選者各人がプロ作家としての選球眼があってのことだろうけれども。

 

小生はもう何十年も(宮本輝以降かな)、あまり芥川賞作家の作品には興味が湧かなくなってしまっていた。小生の周りにも意外にそういう人が多いようだ。中学生の時に筑摩書房のハードカバーの「芥川龍之介全集」(たしか当時としては珍しい良質の紙でA4サイズだったと思う)を親に買ってもらった。この本を大事に大事に一語一句をかみしめるように読んだ夏休みの夜の感動の記憶が今もって忘れられない。意味がよくはわからなかっったけれども『侏儒の言葉』には惹かれた。昨今の芥川賞作家達の作品にはこの龍之介の練りに練ったとぎすまされた文章の切れ味が感じられない。

 

しかし、文化は変化し流行は変転する。普遍の美文意識という物もまたあり得ないことである。多分小生もorthodoxy(正統性)を好む志向になった、すなわち年を取りすぎたのだろう。

 

そこで小生は勝手に思うのだが、川上未映子嬢の将来性は、これまでのようにあまりあれこれの芸術のジャンルに浮気をせずに、洗練された小説の文体の確立に傾注出来るかどうかではないだろうか。テーマの”引き出し”は多い様だから。そのむかし野坂昭如も自戒気味に言っていたではないか、「小爆発を繰り返す小説家は大作家にはなれない」と。出版界の消耗品にならないためにも、集中してがんばってもらいたい。

 

(森敏)

秘密

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