2009-09-28 11:41 | カテゴリ:未分類

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  (写真1)紅もゆる丘の花の碑

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     (写真2)逍遙之歌の碑

    

      

吉田山を逍遙して

   

9月16日学会を抜け出して、昼下がりに京都大学の脇の標高125メートルの吉田山に、蛇行する苔むす道を約30分かけてゆっくりと登った。

  

山頂には、「紅もゆる」と書かれた巨大な碑(写真1)があり、その脇にはこの「逍遙の歌」の全歌詞が白い大理石に刻まれていた(写真2)。 

   

小生が芦屋の精道中学生の頃、理科の先生(古市景一)と国語の先生(広井大)が大学を卒業して若くして赴任していたのだが、両先生はクラブ活動の新聞部の顧問をされていたので、放課後から夜にかけて何かと、お世話になった。というよりバンカラに鍛えられた。

  

夜は打出(うちで)の砂浜にでて、先生と一緒にこの三高寮歌の「紅もゆる」や一高寮歌「ああ玉杯に」や北大寮歌「都ぞ弥生」を、それこそ肩を組んで放歌高吟した。そんなときは、ほんとうに早くも大学生になった気分であった。無性に大学にあこがれた。

   

ところが小生の親父も次兄も京大工学部の卒業生であるが、彼らがこの歌をどこかで口ずさんでいるのを聞いたことはなかった。なぜだか分からない。親父は岡山の六高から京大に進んだので余り三高の寮歌にはなじまなかったのかも知れない。しかし親父は学生の頃に母と結婚して京都に住んでいたので、晩年まで、京都の5月の葵祭(あおいまつり)には必ず夫婦で見学に出かけていた。又、年に一度の8人の家族旅行は京都か奈良方面であった。

  

翌日(9月17日)の朝、ホテルで部屋にドアの下から差し入れられた京都新聞を読んでいると、文化覧に歌人の永田和宏さんの「京都歌枕」 吉田山 という随筆が載っており、

   

デモの火照(ほて)りのままに登りて飲みたりき   吉田の山の月影冽(さむ)し

  

という秀逸な歌が載っていた。それと同時に、ここ吉田山が原節子主演の「わが青春にくいなし」(黒澤明監督)の撮影舞台であったこともしっかり書かれていたので、何となくうれしかった。

   

そこで、早朝からいっぺんに滝川事件や60年安保闘争や70年学園闘争のほろ苦い思い出に引き込まれたのであった。

   

永田氏は京大の生化学の教授であり、歌人である。昔、岩波書店でのセミナーでストレスタンパクにかんする先駆的研究を聴いたことがあるが、それ以来、文理両道を行く姿を遠くから拝聴させて頂いている。

    

(森敏)

秘密

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