2009-05-25 11:54 | カテゴリ:未分類

秘書のいない教授の頭の中はどうなっているのだろうか?

     

数十年前までは国立大学の理系講座では教授に公務員としての秘書が付いていた。それがだんだん行政改革の目玉として、国立大学の公務員が多すぎるということで公務員の定員削減の格好の対象となり、秘書(教務職)や、技官職は、“直接教育にかかわらない”ということで、彼/彼女らの定年に伴い定員不補充の原則が貫かれて、現在、国立大学法人の正式な常勤職員としての教授秘書はほとんどゼロとなっている。

   

そればかりか、現在は、教員そのものにも定員削減が及んでおり、教員の定員が満たされていない不完全な、旧来の意味での「小講座」のほうが多くなっている。大学院大学は[大講座制]にすべしということで、定員の話が完全にごまかされてしまっている。

  

そのうえ大学は法人化されて、事務系職員が合理化されて1か所に集中管理されることになったので、個々の講座の教授に対するきめの細かい教務科のサービスをまったくしなくなった。教授は細かな授業の準備や、成績の管理や、下手をすると、諸々の会議の資料つくりまで、ことごとく自分でやるか、研究室員の無償の手助けを必要としている。

  

したがって、教授はこうした雑用(部外者にはわからない実に諸々の雑用がある)をこなすために必要な場合は秘書を個人的努力で獲得した研究費(外部資金)で非常勤職員として雇用せざるをえない。ところがこの研究費を獲得できない教授が国立大学には結構いて、彼らは実におとなしく不便に耐えている。大学教授の5割以上の教員が秘書を持っていないのではなかろうか。電話をしても取り次ぎ手が在室していない(つまり秘書がいない)教授が実に多い。

 

教授は、こういう雑用をひとりで孤独にやらされているうちに、頭の中が電話の交換手なみに、情報の切り替え能力(条件反射の能力)ばかり発達して、日中大学にいるときは1つのことを集中して考えることができなくなってくる。下手をすると、ひとつの雑用をこなして、また次の雑用がないと、さみしくなってしまうという体たらくになってくる。雑用が大学での仕事という事になってしまう。本末転倒である。

   

多くの教授は土曜日と日曜日が論文を書く研究のかき入れ時である。忙しさにかまけて、実験系の講座ではほとんどの教授が自分で手足を動かして実験することが不可能になっている。凡人は自分で手足を動かさないと、いずれアイデアも枯渇するのは理の当然である。

  

今回、自公与党の提案で300億円の補正予算で研究支援者の雇用資金を2年間補償するという案が急に浮上している。直接大学関係の予算獲得に政党が動くということはこれまであまりなかったのでこれは驚きである(国会議員が大学人にサービスしても直接、選挙での票には結びつかないであろうという意味ですが)。

  

しかし非常にいやらしいことに、今回の”つかみ取り予算”も全大学に均等にこの資金を分配するのではなく、「各大学は、学内有力プロジェクトに応じた規模で3年間の具体的な取り組み計画を策定する」、しかるのちに何らかの評価基準(はまだ示されていないが)に応じてたったの50大学にしか配分しない、ということらしい(科学新聞 2009年5月22日号)。

   

実質的にはこの300億円のうちの100億円ぐらいは、大学の役にも立たない文科省や学術振興会や大手企業の退職者の天下り先を確保することになるのではないかと小生は大いに危惧している。

   

 何回も繰り返して主張したいのだが、当面、真に必要な支援の人材は、<共通機器を操作管理できるエキスパートの技術者>と <個々の教授付き秘書> であることをお忘れなく。

 

 それだけでも大学教授の頭の中がかなりの程度の時間、研究そのものに振り向けることが可能になるだろう。

        

(森敏)

秘密

トラックバックURL
→http://moribin.blog114.fc2.com/tb.php/521-546b6b7f