2008-02-07 13:59 | カテゴリ:未分類

ジクロルボス(DDVP)に思う守住正昭さんのこと

 

   現在展開している中国産冷凍ギョーザによる中毒事件で、メタミドホスとは異なる、同じく有機リン剤であるジクロルボス(DDVP)が検出されたことが報告された。

 

   この事件に関しては、小生は過去に家庭用殺虫剤中毒事件の裁判に関わったことがあるので強い関心を抱いている。

 

   以下のことは、資料を処分してしまったので、あらかじめ断っておくが詳細は正確ではない(このブログを書き換えるときに正確を期したいと思う)。しかし読者諸氏には歴史的事件として銘記しておいていただきたい。

 

   1969年8月15日、当時山二証券の社員であった守住正昭(もりずみまさあき)氏は,自宅でダニか何かで毎晩子供達が痒(かゆ)がって泣くので、思い切って、スプレー缶式殺虫剤「ニッサンサニタ」(日本油脂製造)を買ってきて、潔癖な彼はラベルの仕様どおり二階の2室全室を隅から隅までくまなく2缶全量を散布した。このスプレー缶の主成分はBHCとそれよりもはるかに残留性が高い有機塩素系のデルドリン(現在は共に生産使用禁止されているはずである)の2種類であった。当時、鶴川団地ではDDVPを含む家庭用殺虫剤「ニッサン・ニューサニタ」を散布した人たちもあり同じく中毒事件が頻発していた。

 

   その散布直後に守住氏は昏倒し、何度も嘔吐した。医者に行くとGOT1600という超異常値であるにもかかわらず、当時は農薬中毒の専門医がいなかったせいか、どこでも、風邪やウイルスを疑われ、正確な診断をしてもらえなかった。40歳代の働き盛りであった。そのあと死ぬまでつづく体の絶望的な不調は常勤の就業を困難にし、ノイローゼや鬱病状態を誘発して、ある病院では「精神科」を勧められた。東大病院でもしかりであった。日大病院と北里病院と佐久病院が薬物中毒をなんとか認定してくれたが手遅れで決定的な治療法はなかった。その後併発したいろいろの症候群のために累計1年以上の入院を繰り返した。

 

   こういう家庭用殺虫剤は製造使用禁止すべきであると会社側と被害補償を掛け合ったが、会社は製造物責任を認めず、全くらちがあかず、守住さんはついに東京地裁に国と会社を訴えた民事裁判を提訴した。小生達数名の研究者がこの民事裁判の支援活動を約10年おこなったが、この一審裁判では敗訴した。

  すなわち「守住さんは農薬中毒であるという証拠はなく、仮に中毒であったとしても、本人の不注意によるものである」という裁判長の退嬰的な判断であった。この間判決までに裁判長は5人も交代した。全くのたらい回しの無責任極まる責任回避の扱いであった。当時愛媛大学教授の立川涼氏は守住さんの血中からデルドリンを検出してくれたが、そういう厳然たる科学的証拠があるにもかかわらずである。

 

個人が国や企業に徒手空拳でたたかうとこうなるのだという、全国でも最初のみせしめの農薬裁判の判決であった。当時3つの農薬裁判が行われていた。もう一つは和歌山のミカン園で有機リン剤を散布して急死した18歳の若者に関する民事裁判であった。この裁判は一審で勝訴した。阪大の支援グループの成果であった。

 

   守住さんは資金的にも体力的にも精魂疲れ果てて絶望し、上告せず、長い間の慢性肝炎ののち肝臓ガンで2001年に死去した。享年70才であった。まことに痛恨の極みである。

 

  支援の内容の詳細は省くが、この裁判闘争には大学の内外の同僚の青春のかなりの時間とエネルギーを投入したのであった。

 

(森敏)

 

秘密

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