2009-04-16 11:58 | カテゴリ:未分類

立花隆と朝日新聞の巧妙な自己弁護のためのキャンペーン

 

本日は2つの文藝春秋(5月特別号)の記事について述べたい。

  

(その1)

 

文藝春秋が「小沢一郎の罪と罰」というセンセーショナルなタイトルを打った記事を掲げている。内容は立花隆と村山治(朝日新聞編集委員)の対談である。一体、この二人は何の権限を持って公党の党首を一刀両断に「小沢は罪人であり罰を与えなければならない」と断罪するのだろうか? この見出しだけを読めば誰もがそういう記事だと思うだろう。 彼らは自分たちを裁判官のつもりで居るのだろうか? 実に高慢である。

 

しかるに中身を読むと対談の内容はきわめて卑屈なべたべたの「検察養護論」であり、今後検察がどう出るかのおどおどとした推測記事である。立花隆は徹底的に小沢一郎の退場を待望している。そうならないと自分のロッキード事件以来これまで展開してきた古典的な「不正摘発の正義の味方」という立論が成り立たなくなるからである。汚職問題ではいつもマスコミにしゃしゃり出てきてメシを食ってきたから、頭を切り換えられない点には同情できないわけでもないが。以下に要点を引用する。

 

立花 とはいえ、そうした談合構造、まさに田中角栄、金丸以来の伝統的な利権政治がいまだに存在しているのだとする情報が流布されていることで、国民の事件を見る目は確実に変わってきたでしょう。検察のいわゆるリークの効果も大きいのではないですか

村山 一連の報道が本当にリークなのかどうか、私は今回の報道に直接関わっていないのでちょっとわかりません。但し自分の経験で言うと、検察取材の現場はそんなに楽な世界じゃない。・・・・・・

今回の事件でも、記者側は独自に西松建設が受注した公共事業や献金状況を調べ、地元にも入って業者や発注者側から取材しています。そうすると、検察が触っている関係者にぶつかることがある。その事実を検察側に突きつけて捜査の方向を見極めつつ、報道側の責任で疑惑を指摘する記事を書いているのが実態だと思います。・・・・・・・・(下線は筆者(管窺)による)

 

この両者の発言を素直に読めば朝日新聞の編集委員(いわゆるデスク、この場合いは村山氏本人)自らが現場の記者から上がってきた、先日朝日新聞に載った以下の記事(違法献金認める供述 小沢氏秘書 便宜供与は否定) の内容が「事実なのか?」「検察によるリークなのか?」をチェック機能を働かせずに記事を“掲載可”としたことになる。朝日のデスクはそんなに無能なのか? そんなことはないだろう。意図的にこの不確かな記事を掲載して、世間を扇動したい、と思ったに違いない。

 

先日のブログにも掲載したが、問題の大久保秘書に関する朝日新聞の憶測記事 (2009/03/26 朝刊)を以下に再度掲載する

 

違法献金認める供述 小沢氏秘書 便宜供与は否定 

(略)・・・・・大久保秘書は、二つの政治団体を経由させる献金の割り振りを西松建設と協議して決めていたことや、同団体がダミーとの認識があったこと等を供述しているという。(略)・・・・・大久保秘書は、今月3日に逮捕された直後、容疑を否認していたが、その後の調べで「西松建設からの献金である事を知っていた」などと、容疑を大筋で認めたという。・・・(略)

 

この記事の 違法献金を認める供述 が事実でなかったら、朝日新聞は大久保秘書や、この記事を契機に大きく支持率を落としている民主党に対してどういう責任をとるのだろうか。報道側の責任で疑惑を指摘する記事を書いている と、朝日新聞は大いばりであるなら、 “という”という言葉で結ばれている上記の憶測記事に対する責任をぜひとってもらいたいものである。

  

また、立花隆が朝日新聞のべたべたの代弁者であることもこの対談ではっきりした。立花隆は朝日の記者のように検察の周辺をぐるぐる回ってああでもないこうでもないという人物を対談の相手にしないで、自信があるなら特捜の中核を経験した元検事と対峙すべきであろう。そうすればおのれの不勉強と政治音痴の馬鹿さ加減が暴露されるだろう。

  

 

(その2)

 

文藝春秋では上記の記事の次の頁に、中西輝政(京都大学教授)が「子供の政治が国を滅ぼす 検察の暴走が招いた歴史の悲劇を繰り返すな」というタイトルの論説を書いている。彼は日頃は右寄りの言辞が多いのだが、今回は冷静に歴史家としての面目躍如である。少し長くなるが要点を引用したい。

  

 小沢氏の政治資金問題に関する報道で、私がことに印象深く感じたのは、陸山会事務所に家宅捜査に入る際の特捜部検事の表情である。「巨悪を衝くのだ」という使命感に溢れたまなざしは、同時に、誰も自分を制することはできない、という傲然さをも感じさせた。その光景はテレビのワイドショウで繰り返し流された。

・・・・・・・・・・・・

 しかし、そこには誰もが抱いたであろう大きな疑問が1つ残されている。それは「何故、このタイミングで?」という、ただ1つの、しかも最大の疑問だ。しかも、突然に強権発動の捜査、逮捕が行われたという点だ。

もし、この捜査がこのタイミングで行われなかったら、今後、政局はどのように進んでいったのか、と考えてみるならば、事の重大さは一層明らかになるだろう。歴史家としての私の直感で言うなら、後世の史家は「あのとき、日本の政治はスムーズな政権交代の可能性を喪失した」と評することだろう。・・・・・・・・・・・・・・

  

中西氏はこう述べて、昭和史の中でのいくつかの検察による政党スキャンダルの摘発が国民に「どっちもどっちだという」政治的無気力感(アパッシー)生み、政党政治の崩壊 ―>軍部暴走 を招いたと断言している。典型的な「司法の暴走」例として、検察によるデッチ上げである「帝人事件」(昭和9年)を紹介している。この事件は当時の政党内閣である斉藤実内閣を総辞職に追い込んだ。しかし、3年後の昭和12年に「犯罪の事実は全く存在しない」ということで「文部大臣鳩山一郎(政友会)、大蔵次官、銀行局長、河合良成、永野護、三土忠造鉄道大臣(政友会)、中島久万吉前商工大臣(公正会)などの全員無罪」の一審判決であった。検察は控訴すらできなかった。しかしこの検察によるデッチ上げの帝銀事件により、その判決が出た時点ではすでに日本は政党政治が崩壊して、軍部の独走に歯止めがかからなくなっており、南京陥落など後戻りできない日中戦争に突入していたのである。中西氏は

  

・・・・・・端的に言えば戦前の議会政治の息の根を止めたのは、この検察によるデッチ上げの疑獄事件であったのである。

  

と述べ。 国民の“清潔”への要求が検察ファッショを招く と警鐘をならしている。

  

  

ところで、

本日、朝のニュースで、「郵便制度悪用の疑いで実態のない障害者団体を強制捜査」ということでまたもや大阪地検特捜部数人が意気揚々と家宅捜査に入るテレビの映像が流れた。一昔前までは、捜査員は国民に顔を覚えられるとその後の犯罪捜査に支障が出るので、捜査はできる限り夜中に、捜査員は顔を伏し目がちに行ったものだが、今は白昼堂々男女を問わず捜査員達はまるで映画スターのように振る舞っている。あくまで「特捜部は正義の味方」というイメージを次々とアピールし続けるつもりなのだろう。うがった見方をすればこれらのテレビショウは <小沢党首を追い落とす> ための間接的な情宣活動以外の何者でもないのである。これからも次々と意気揚々とした特捜の姿がテレビに登場することだろう。

 

捜査官はプロならば人前に顔をさらすな。捜査というのは蔭の仕事だろうが。

 

厭な世の中になったものだ。

    

(管窺)

秘密

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