2008-01-22 12:54 | カテゴリ:未分類

論文を書かない研究者像

 

大学には論文をなかなか書かない研究者がいる。企業の研究機関の研究者のばあいは論文が出来ていても特許申請から特許取得まで最低1年以上、外国特許のばあいは最低3年以上がかかるので、それまで学術雑誌への投稿が企業の知的財産維持のために許可されないので、結局データが時代遅れになり、投稿しても先駆性に欠けることになる場合が多く、結局お蔵入りとなるばあいが多い。これは本人の責任ではない。会社の方針である。企業に身を預けたがゆえに、個人の「独創性」や「先駆性」と引き替えに安定した研究条件での給与所得者の道を選んだので、論文が世に出なくてもやむをえないのかもしれない。
 
  企業が研究者に対して下す最終評価基準は、彼の仕事が会社の「利益」にどれだけ貢献したか、だからである。しかし最近では特許が製品化して商品として売り出され、会社に多大な利益を生んでも、十分な見返りが発明者にたいして得られない場合は、その研究者が退職したり転職したりしてから裁判に持ち込むケースが増えている。理系の人材が現役の時に経済的に必ずしも恵まれてこなかったという日本的伝統を壊すためには、このような動きもしばらくはやむを得ないのかも知れない。

 

しかし、一方ではいやしくも大学にいる研究者が研究論文を発表しないということは、本人がいくら「私は教育をしっかりやっている」と主張しても、なかなか肯(がえ)んじがたい。大学評価学位授与機構が国立大学の研究評価を試行的にやったときには、個々の大学や学部によるばらつきはあるが、だいたい構成員の5-15%の人材が「要努力」(平均的な研究者としての条件を満たしていない)ということになった。だいたいどの大学の学部研究科もこういうレベルの人材を抱えている。研究者としての明快なアウトプットは研究論文(芸術家の場合は絵画、彫刻、建造物、作曲、演奏、など)であるから、その質が国際レベルで著しく低ければ「要努力」となる。

 

大学では当然のことであるが、よい研究者はよい教育者であることの必要条件である。

 

   

 

大学にはいろんな研究者がいる。

1.     研究者によっては結構豊富な実験データを持ちながら、「あと1つの詰めが甘いので、論文を投稿できずにいる」といつも、いつも、弁明(excuse)する。

2.     ある研究者は、投稿すると、必ずレフェリーにいちゃもんを付けられるので、それに痛くプライドを傷つけられるので(すなわちむやみに本人のプライドが高すぎて)、なかなか投稿できずにいる。

3.     ある研究者は、英語があまり上手でないので、その英文校閲を上司や専門の翻訳家に見てもらうのが恥ずかしくて、投稿以前の段階で萎縮(shrink)している。

4.     日本語の論文なら格調高くばんばん書ける研究者が英語論文になるとからきしだめな場合もある。

5.    急いで論文を投稿すると研究のアイデアが漏れるから、といって、上司とも相談せずに孤独にマイペースで研究を続けたがる研究者がいる。そういう場合はえてして、そのうちに同種の論文が突然世に出て、世界レベルでの先駆性 (priority) の争いに負けてしまう。

.ポスター発表や、口頭発表(講演要旨のみが歴史に残る)でコト足れりとして、なかなか full paper を書かない。

7.     実験データーを何でもペーパーにしたがり、「論文にしないデータはない」とうそぶく研究者がいる。20年以上前のデータを平気で論文にして投稿する。確かにそういう学問分野もあるのかも知れないが。

  

どれも、それぞれが多様な個性であるので、どれがいい、どれが悪いとはいえない。しかし、小生は修士過程終了時にはデータが十分ある場合は必ず英語で論文を最低限1報書かせることを奨励した。データが不十分な場合でも短報で書かせるのである。大上段にかぶって大論文を書こうと思っても、修士過程の2年間程度では実験データも不十分な場合が多いので、新しい事象の発見(new evidence) があれば論文を書かせてから卒業させる方がよい。とにかく第三者の目で評価を一度は受けておく方が本人の将来のためにもよいのである。それは若いときに十分に ”恥をかいて” 世界に発信する癖を付けていないと、年を取ってからは、”恥をかきたくない”という保身的な気持ちになって、筆が進まなくなるからである。

 

 

この件に関しては東京大学の農芸化学科(現在は応用生命化学専攻と応用生命工学専攻に分かれている)で伝承されてきた逸話がある。大先輩(いまは故人)から聞いた話である。鈴木梅太郎先生は脚気の原因物質を米糠(ぬか)から結晶化してオリザニンと命名した業績を、鈴木よりもあとで発表したポーランドのカジミール・フンクにビタミンという名前を付けられて、そちらの方が有名になってしまった。またノーベル賞は「米ぬかをやると脚気が直る」という事実を提唱したオランダのクリスチアン・エイクマン医師がかっさらった。そういう悲哀を味わったので、鈴木梅太郎先生はその悔しさを、若い学生に対する生化学の授業の時にいつも壇上で、「諸君、論文は日本語でなく世界の著名な雑誌に英語で書き、出来るだけ早く発表しなさい!」と、涙を浮かべながら、机をたたいて訴えたとか。。。。

 

 

どこかで読んだ記事だが(以下の内容に間違いもあると思うが)、大阪帝国大学在職中の湯川秀樹講師は、菊池正士教授のもとで、なかなか論文を書かなかったのだそうである。そこへ東北大学から八木アンテナで有名な八木秀次が教授として赴任してきた。八木は論文を書かない湯川を恫喝した(その内容は不明だが、恫喝ではなく叱咤激励(しったげきれい)した?という人もいる)ということである。その結果、追い込まれた湯川が書いた論文が、のちの「中間子論」でのノーベル物理学賞につながったと、今では語りぐさになっている。

 

 

結論として、研究者本人がいくら「すばらしい考え」や「新しい事実」をつかんでいても、それが研究論文(芸術家の場合は絵画、彫刻、建造物、作曲、演奏、など)で表現されて世に出て厳しい評価を受けなければ、本人は結局歴史的に何もしなかったことに等しいのである。国立大学法人の場合は税金をムダ使いしたことになる。このような全く当たり前のことを教育されていない研究者達がしばらく前の日本の大学には居たのである。今はそんな人はいないと信じたい。

 
 

(森敏)

秘密

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