2009-02-09 17:35 | カテゴリ:未分類

あらためて「茶の本」岡倉天心著(桶谷秀昭訳)を読んで

 

  先日、文京区にある講談社の野間記念館に出かけたら、そこの売店に「茶の本」岡倉天心著(桶谷秀昭訳)が置いてあった。以前にも何がきっかけであったのかはもう忘れたが、岡倉天心の「茶の本」を古本で買った記憶がある。平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)の彫刻による岡倉天心(おかくらてんしん)像のエキゾチックな姿にほだされていたからかもしれない。その時の本は桶谷氏による訳ではなかったように思う。

 

  今回は先日のWINEPブログに書いたように、直木賞山本謙一氏の『利休にたずねよ』に触発されて、またついついこの「茶の本」をこの店で買ってしまった。眠れない明け方に睡眠剤のつもりで読んでみた。ところが、以前はちんぷんかんぷんであった内容が、今回は自分でも意外に思うくらいスムーズに頭の中に入っていった。訳者が変わったからなのか、年をとって少しは小生も熟して来たからなのか、理由はよくわからない。一気に読んでしまった。そして、あらためて岡倉天心の審美眼に脱帽した。

 

  ところで、この本には 第7章に茶の宗匠たち という章があり、そこには秀吉に切腹を命じられた利休の <最後の茶会> の場面が文庫本2頁にわたって描かれている。なかなか迫力がある。客が回し飲みして自分が最後に受けて飲み干した茶碗を最後に利休は「不運の人の唇によってけがされたこの茶碗を、二度と決して人に使わせない。」といって粉々に打ち砕く。そののちあらかじめ茶人装束の下に付けていた白装束になり、絶唱し、切腹する、とある。この場面は天心の独創であろう。

 

  あらためて、『利休にたずねよ』の内容を思い起こすと、この小説に通底する響きは、利休が生涯持ち続けた緑釉の小壺(香合)である。その中には愛する女の桜色の爪が入っている。高麗からヒト買いに拉致されてきた高貴な女人と若き利休(与四郎)は逃亡するが、追いつめられて女人に毒をあおらせる。しかし、自分は死にきれなくて、あまりにも美しいこの女人の小指を食いちぎって、それを女人が持っていた緑釉の小壺にいれてずっと70歳過ぎまで形見に持っている。利休は切腹の最後の茶会でこの高麗の壺を茶釜にぶつけて粉々にする。そのことによって己の美学を完成する。こちらの方は白装束は切腹の後に妻の宋恩が屈腹した利休の背後からかぶせる。純白の装束には茶室の畳に流れた深紅の血が裾から潤々と染み渡る。これは天心と同様に今回の直木賞受賞作家山本謙一氏のすばらしく独創的なシーンだと思う。

 

  この2名の作者の記述を見ると、茶室が、<わび、さび>というくすんだ虚構の世界とはほど遠い、リアルな現実の葛藤の場であることを利休は最後に示したのだと思わされる。

   

(森敏)

秘密

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