2009-02-06 17:16 | カテゴリ:未分類

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               映画『生きる』の憂愁のカメラアングル

 
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 映画『赤ひげ』の中で、 「この馬鹿者が!」 と弟子を叱るカメラアングル

  

カメラアングル

 

昨晩は明け方の零時半まで黒澤明監督の『赤ひげ』を鑑た。一昨日は『生きる』を鑑た。

 

黒澤映画には数え切れないぐらい各所に美しい映像場面があるのだが、今回、この二つを見ていて、黒澤監督は人物の配置に本当によく気を配っているということがわかった。とに角、<登場人物が2人の場面>での人物の立ち居振る舞いに対するカメラアングルが非常に美しいのである。

 

上に掲げた映像は、いずれも空をバックに下から相対峙する2名の人物をアップで見上げる形で逆光で撮っている。印象的である。

 

ところで、この下の方の「赤ひげ」の映像場面はこの映画のラストシーンである。目の前に保証されている“御殿医”になる道を放棄して、非常にいろんな意味での<医師としての腕がいい>「赤ひげ先生」の正式な弟子になりたいという保本登(加山)に向かって、赤ひげ先生(三船)が、「民間の、貧乏で、且つ、ときには狡猾な策略をも労さねばならない下町の医者の邪道を本当に歩みたいのか?」というニュアンスの問いかけに対して、「はい、なりたいです」と明るく答える保本に対して、「この馬鹿ものが!」と叱りつける場面である。三船の絶妙な叱り方が本当に <本心に迫っていて> うまいと思った。

  

「うれしいけれども、困ったものだ。こいつはまだまだ一人前になるには手がかかるのだがな。。。」というのが本心なのだろうと思う。

  

我々大学教師が学生を叱るのは非常に難しいことは誰もが実感していることである。この学生が自分の経験してきた以上の困難に耐えることが出来る様な学生であるかどうかを見抜くのは、至難の業である。であるから、研究上のことで本当に研究一本やりの人生を歩む覚悟があるのかどうかを、我々教師は何回も確かめなければならない。特に研究上のデータの信憑性、再現性に関しては、いつも厳格にチェックをくわえる必要がある。その時、曖昧なことをいって言い訳をする学生には「この馬鹿ものが!」とはっきりと怒りをあらわにして、その学生の真剣度を検定する必要に迫られるのである。研究人生の結節点では、そういう言葉をぶつけてみることが必要なのである。

 

「この馬鹿ものが!」というのは愛情の表現なのだが、うけとる相手によってはそれが、単なる侮辱であり、先生から私は見捨てられた、と思う場合もあるのである。「赤ひげ」先生も真剣勝負であるが、研究者もいつも真剣勝負なのである。でアルから、弟子もその緊張に耐えられる強靱な精神が必要なのである。

  

(森敏)

 

 


 

秘密

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