2009-01-25 23:34 | カテゴリ:未分類

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  志賀潔博士。メガネと破れ障子に注目

     (週刊新潮より転載)

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       上の写真の拡大図

       実に切ない目つきだし。。。

   

 

晩年の志賀潔博士は何故そんなにものすごく貧乏だったのだろうか?

   

  写真家の土門拳氏による志賀潔博士の昭和24年(1949)のポートレートが週刊新潮に転載された。志賀博士は言わずと知れた明治34年に世界で最初に赤痢菌を発見された大学者である。この写真を初めて見て、小生が幼少の時に抱いていた志賀博士のイメージとあまりにも違うので、いささか衝撃を受けた。

  

  メガネのフレームが紙で補修されており、背後の家の障子紙が新聞紙で、しかもぼろぼろに破れている。太平洋戦争終戦後3年弱しか経っていない頃の写真であるから、幼少の小生も含めて国民の皆さん全員が極貧の生活をしていた。 しかし、赤痢菌の発見者として、慶應義塾大学医学部教授朝鮮総督府医院長、京城医学専門学校長、京城帝国大学総長を歴任し、文化勲章受章者で有り、日本学士院会員(年金がつくはず)でもある、燦々たる経歴の人が、何故こんなに貧困な生活をせざるを得なかったのだろうか?

  

  少し年齢的に先輩の同じ細菌学者である北里柴三郎や野口英雄の華々しさと雲泥の差を感じる。どこでどうなったためにこんなに貧困になったのだろうか? 京城帝国大学総長まで務めているのだから、人間関係がヘタではなかっただろうに。女性関係で失敗して、財産をざっくりとかすめ取られたのだろうか? 株でもやって大負けしたのだろうか? 等々と、俗人にはなかなか理解できない凋落ぶりを感じるのである。

  

  「大学者にもかかわらず、晩年は質素で赤貧に甘んじる生活をしていた」というような、志賀博士が <学者の鏡である> みたいな好意的な解釈がなされているようであるが、小生にはいかにも理解できない。

  

  昔、小学生の時に読んだ「志賀潔」の伝記には、まだ存命中(1957年に死去されている)であったからなのか、そんな貧困な生活ぶりのところまでは詳しく書かれていなかったような気がする。こんな落ちぶれた写真を見せられると、「どんなに栄誉があっても、絶対に研究者になんかにはなりたくないな」と今の子供達は思うだろう。

    

(森敏)

秘密

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