2008-12-28 12:38 | カテゴリ:未分類

東山魁夷のことば

  

テレビをつけたら、東山魁夷画伯の言葉として、

 

「普通の風景も心が純粋になれば生命にあふれる」

 

というテロップが流れて特集の番組が終わるところであった。

 

うーむ! 

 

日本画の風景画家ほど対象を長い時間かけて密着して観察する人はいないだろう。野外で描いている間に今まで見過ごしていた、見えてこなかった生命の動きが次々と見えてくるのだろう。

 

東山魁夷は自分の制作した個々の絵について、いろいろなところで饒舌に語っているので、素人なりに理解しやすいのだが、それが鑑賞者の自由な空想を制約しているような気がしている。語っていることより絵のほうがはるかにすばらしいのに惜しいことである。言葉に表すとせっかくの羨望が浅薄に感じられる。所詮、デジタル情報はアナログ情報を包摂しえないのだから。

 

しかし、東山魁夷画伯の画業全体のなかから生まれてきた上記のテロップで流れた自然観は小生の胸にも強く響いた。

   

(森敏)

 

追記:上記の文章を読み直して

 

「言葉に表すとせっかくの羨望が浅薄に感じられる。」

 

というヶ所の文章は読者に理解されない表現かなと思った。こういう文章は悪文である。これを細かくかみ砕いて表現し直すと、

「東山魁夷の絵を見ると、いつも「すばらしい!」とその芸術性に羨望の気持ちになるのだが、作者自身にその絵を書いた意味について”絵解き”をされてしまうと、「なーんだ 、そういう程度の浅薄な気持ちでこの絵を描いたのか。。」といささかがっかりする。」

 

という意味である。

 

秘密

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