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WINEPブログ内で「 研究室 」を含む記事

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2024-02-07 15:12 | カテゴリ:未分類
今週号の週刊誌「AERA」が「叱れない社会」という特集をやっている。
  
新聞でこの週刊誌のタイトルを見て、わが人生で「叱られた」経験の記憶を思い出してみたら、なぜか、たった一つしか思い出せなかった。それが以下の60年前の話である。
  
大学院修士課程のときに、東京大学植物栄養肥料学研究室の三井進午教授が日本学士院賞の受賞が決定した。6月に天皇陛下の前での発表と身内での祝賀会があるというので研究室がなぜか湧きたっていた。
  
ある時教授室から出てきた三井先生に「祝賀会には背広で参加しなければいけませんか?」と質問したところ、先生が珍しく怖い顔で「君、背広の一着ぐらい持っておらんのかね?!」とにらみつけられた。
  
それで震えあがって、夏休みに急いで芦屋に帰って、このことを母に告げると、母はすぐに大阪の道頓堀の呉服店に小生を連れて行って採寸させて、わが人生初の背広を仕立てさせた。
  
祝宴会に間に合って、胸をなでおろした。。。。。。。という顛末が今でも強烈だ。
  
これ以外は、わが人生で「叱られた」経験も、「怒られた」経験もない。対人関係に鈍感だったからだろうか。都合の悪いことはすぐ忘れる健忘症だったからかもしれない。
  
別件だが、
灘高校では「𠮟られた」経験はなく、英数国の教師から3年間ずっと「嫌がらせ」(いまでいう「いじめ」)を受けた経験が満載である。小生自身が教師をものとも思っていなかった(たぶん今でいう「発達障害児」だった?)ので、なんとか耐えたのだと思う。

現在YouTubeで灘高卒業生がしきりに発信している「雷獣チャンネル」を時々見るのだが、今の灘高は小生のころと隔世の感があるようだ。 生徒たちは十分すぎるほどに自由を謳歌しているようだ。
2023-11-24 20:30 | カテゴリ:未分類
スライド1
3種類のレタスの葉


スライド2
ポットにレタスの根が新鮮に食い込んでいる


スライド3
この厚手のポリ袋にいれて店頭に並べられている。


近くのスーパーの店内の野菜の棚に 
三種のレタスで構成されている「サラトリオ」
という野菜が登場しているのに遅まきながら気が付いた。

これは3種類のレタス、「グリーンオーク」「レッドオーク」「グリーンクリスビー」
を植物性ポットに同時に植えて水耕栽培したものである。
それをポットごと水耕培地から抜き取って、新鮮なうちに店頭販売している。
水分と養分がまだ少しベッドに残っているので、葉枯れが見当たらない。つまり日持ちがよさそうである。
根元から切り取り、丁寧に水洗して、そのままサラダ菜として食べられる。

衛生的で、新鮮で、なかなかおいしい。

一日で30株ぐらいが完売されているようだ。

(森敏)

追記:誤解してほしくないのだが、この記事は生産者から頼まれて書いているのでは一切ございません。
ここで用いられている水耕栽培法の基本培地組成は、東京大学肥料学教室(現植物栄養肥料学研究室)の5代前の春日井新一郎教授が戦前に苦労して開発したものです。案外、水耕栽培業者はそのことをご存知でないのではないかと思います。

2023-10-31 20:50 | カテゴリ:未分類
スライド3

Ranの看板もこれでお終い。 左側は本郷通り。

スライド3

写真の展示額縁が外されても、積年のたばこの煙を浴びなかった壁が、白いままである。

らん奥

右の空白は、らくだの毛を編んでできたジュータンを取り外したあと

スライド2
 
店の守り神であった「蛇を呑み込もうとしている鳥」 。大きすぎて引き取りてがつかない。

スライド2
  
奥さんが壁からアフリカの大地図を外しているところ。

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傷心だが店じまいに勝気にふるまう奥さん。

スライド2
かたずけ中の店内側に向けて撮影。

スライド3

かたずけ中の店外側に向けて撮影。店の向こう側は本郷通りを隔てて東大農学部キャンパス。

スライド1

常連客からの閉店別れの花束。

  

開店以来50年以上が経過したレストラン「らん」が今日閉店した。

現在の店主は2代目であったが、小生は2代目になってからは、東大農学部の生協食堂がいつも同じ味付けで飽きていたので、ある時期からはここでほとんど昼食を食べていた。1種類が定番の定食で3種類は日替わり料理を供していた。最近まで670円と格安で通していた。

研究室でのコンパや、外国人の歓迎会などは頻繁にここで行っていた。

店主はフランス料理を修行しており、1970年代にはJICAの鉱物発掘の探検隊の調理人としてアフリカに参加してきた人物であった。そのときにアフリカの各所で集めた様々な化石や民芸品を店頭の棚に飾っていた。壁にはタピスリーや絨毯も。写真にも趣味があり、センスのいいカラー写真を店内に飾っていた。ラクダやアフリカの砂漠の民族やニコニコ顔の現地の子供たちである。

10年ほど前から、店主がたびたび病気で入院するようになってから、「店内での喫煙は禁止したら方がいいのではないか」と何回も忠告したのだが、たばこのみの客筋が離れるのを恐れて、店内でのたばこはずっと解禁であった。

物価が上がるたびにでも、極力値上げを低くして、最近でも定食は670円だった。お客さんは誰もが「こんなおいしい料理で670円なんて、考えられない値段だね」と言っていた。チェーン店ではない付近のレストランは今はほとんど800円から1000円台だ。

店主は10年ほど前に大手術をして以来、様々な病気を繰り返しては全部で5回ぐらい手術したようだった。何とか入退院を繰り返して店に出てきては味の変わらぬ料理を提供してくれていたが、8月ごろ調理場でずいぶんせき込んでいるなーと危惧していたら、やはり入院してしまった。1か月ぐらいがんばっていたが、今回はついに帰らぬ人となった。奥さんによれば、入院するたびに病床では「また新しい料理を発明したぞ!」といつも再起を期してやる気むんむんだったということであった。

それからが大変だった。店主の店内の遺品をどう処分するか奥さんが困っている様子だったので、小生もいろいろアドバイスをして、店の前の狭い道路わきに、ぎちぎちに遺品を日替わりで展示して、超格安で売ることにしたようだ。自宅にもっていく容積がないので、店を閉じるときは60万円も払って全部粗大ごみになるということであった。なので、ダダに近い値段で、展示していると、意外にも店の常連客ばかりでなく、様々な通行人が立ち寄って、予想外に大小様々遺品を買ってくれたそうである。特に留学生など外国人が興味を示してくれたとのことである。

主逝きて 壁に残りし ジュータンの影


【森敏)


2023-10-30 07:06 | カテゴリ:未分類
五木寛之さんが

「船と会話には乗るべきだ」

とコロナが5類移行したので、これからは積極的な対面会話を、と勧めています(週刊新潮 「生き抜くヒント」 )。彼は人間に「言葉」というものがあるのは会話を楽しむためのものだと云いたいようです。

しかし、現実には、彼が話しかけてもあいづちも打たない寡黙な人が結構いるので苦労するんだそうです。

「男は黙って勝負する」と、会話を極端に節約することを美徳とする男社会が気にくわないらしい。「年寄りの冷や水」と言われようと、「巧言令色少なし仁」と言われようと、会話を楽しみたいんだそうです。

昨今、コロナのおかげで、ZOOMでの会話は遠隔でもできるので便利になったのだが、対面で本人が無意識に発しているbody languageが意外に重要な心のシグナルである場合が多いので、対面での丁々発止の会話は楽しいはずである。

しかし、小生の経験でも、今の若者ばかりでなく大人たちも年齢が上下の関係ではあまり話したがらない。彼らはiPADやiPhoneに向かって四六時中睨めっこをしているので、日本ではお笑い芸人やYou-Tuberや政治家以外は会話能力が低下してきているのではないかと思われる。

五木寛之さんは随筆の最後を

「現状は、明らかに、非対面の世界に変わりつつあるらしい」

と閉じている。

さて、以下は、小生の会話経験です。誰もが感じていることでしょうが。

〇国際学会などでは、のべつ幕なしの会話(議論)をしている研究者たちがいた。食事の時も食後も延々お互いにアイデアを出し合って相互批判をしているのである。そんな中にわけ入っても、残念ながらいつも会話が長続きしなくなるのは、こちらの英語力が話していくうちに低下してきて、次第に言葉が出なくなっていくからでもあった。日本の学会での日本語での微妙なエスプリの効いたニュアンスの会話はとても小生の英語力では無理であった。そんな時は「顔で笑って心で泣いて」いたかもしれない。

〇老人になって会話力と滑舌力が低下してくるのは、潜在的に認知症が進行して、人の名前がすぐには出てこなくなってくるので、そこで会話が止まってしまうからでもある。先日の大学の研究室での同窓会でも後期高齢者はその傾向が顕著であったと思う。ちょうちょうはっしとは話が前に進まないのだ。

〇知人と頻繁に交わす国際情勢の電話での会話でさえも、最近ではバイデンやプーチンやトランプや岸田の名前さえ、すぐには出てこない場合があって、お互いにもどかしく、そこでいったん会話が止まる、焦る感じが毎回あるようになってきた。コロナ禍の結果、対面の会話が極端に少なくなったせいだ、と弁解したいところではあるのだが。

〇現役のころは、会話を促すためにこちらが話しかけても、応答が無い実に寡黙な学生が何人かいた。こういう学生は、おだててやっと会話にこぎつけても、こちらのエネルギーがぐんぐん吸い取られる感じがして本当に疲れた。かれらはえてして実験はとても優秀なんだが。

〇60年前の教養学部(駒場)の時の同級生で、一度社会人を経験してきた年上の友人がいた(今は故人だが)。彼と話していると、今でいう「マウントを取る」という感じで、彼から見ると初心(うぶ)なこちらの言うことを、まず彼は否定してかかってくるので、会話で疲れることがはなはだしかった。

〇先日、コロナが明けたので先輩後輩を囲む大学での学科の教員懇親会が3年ぶりにあったのだが、そこでは相変わらず早口の発信型の後輩がおり、マイクを持っていて、話があちこち飛びまくるので、いったい何を言っているのかさっぱりわからなかった。ただ、ひと前でしゃべることによって、わたしはあれもこれもやっていてこの年で忙しくて大変です、と言いたいのだなということだけはわかった。いつものことだが。発信型の人格(性格)というものは年を取ってもなかなか変わらないものだと得心したもんだ。会ったことがないが、随筆の文面からすると、五木寛之さんも多分発信型の人間だろうと思う。

〇今朝、図書館の隣りの児童公園を横目で通るときに、4人の中年のおばあさんたちが石垣に仲良く横に並んで座って孫の世代の遊具でにぎやかに遊ぶ子供たちを観察しながら、談笑していた。と思ったら、よく見ると彼女たちは手話をしている様子だった。にこにこ顔で本当にbody language が楽しそうだった。

 
(森敏)
2023-07-31 14:01 | カテゴリ:未分類
   本日の朝ドラ「らんまん」で万太郎(牧野富太郎)が植物学教室の田辺(矢田部良吉教授)に激怒され「研究室への出入りを禁止する!」という場面が出てきた。万太郎がアカデミズムの流儀をわきまえない振舞をしたことに対する最後通牒的なお仕置きである。

   田辺は海外留学の後に初代植物学教室教授として、海外から万巻の専門書を購入整備してきたし、国内の植物の押し葉標本も着々と自分で採取して蓄積してきた、授業も担当し後輩を育ててきた。東京大学の職員でもなく、東京大学の学生でもない万太郎に対してその植物愛に心からほだされて、自分の研究室への自由な出入りを許してきた、という自負があった。だから万太郎がいくら植物学雑誌を自費出版するからといって、論文の共著者に田辺の名を掲載していない、謝辞も載せていないことに、心底カチンと来たのである。論文は研究者の命だからである。朝ドラ「らんまん」では、田辺は万太郎に向かってみんなの前で『お前は研究室に土足で入ってきた泥棒』とまで切れまくっている。

   ところで、ここのところは牧野富太郎自叙伝(講談社学術文庫)には以下のように記されている。

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図篇第六集が出版されたのが、明治23年であったが、この年私には、思いもよらぬことが起こった。というのは大学の矢田部良吉教授が、一日私に宣言して言うには、「自分もお前とは別に、日本植物誌を出版しようと思うから、今後お前には教室の書物も標品も見せることは断る」というのである。私は甚だ困惑して、呆然としてしまった。私は麹町富士見町の矢田部先生宅に先生を訪ね、「今日本には植物を研究する人は極めて少数である。その中の一人でも圧迫して、研究を封じるようなことをしては、日本の植物学にとって損失であるから、私に植物の本や標本を見せぬということは撤回してくれ。また先輩は後進を引き立てるのが義務ではないか」と懇願したが、矢田部先生は頑として聴かず、「西洋でも、一つの仕事の出来上がるまでは、他には見せんのが仕来りだから、自分が仕事をやる間は、お前は教室に来てはいかん」と強く拒絶された。私は大学の職員でもなく、学生でもないので、それ以上自説を固持するわけにはゆかなかったので、悄然と先生宅を辞した。
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   これは牧野富太郎による一方的記述であるから100%正確かどうかわからない。この案件を矢田部教授自身がどこかで記している形跡がないからである。とにかく、この後世に残るべき「自叙伝」では、牧野は自分が悪かったと一言も釈明していないのである。
矢田部教授から見ると、当時の研究者としての未熟な牧野富太郎は「自意識過剰で、高慢で、恩義を知らない、恩を仇で返す輩(やから)」のそしりを免れなかっただろうと思われる。

   先にこのWINEPブログでも紹介した大場秀章氏や小説家大原冨枝氏等の説では、牧野富太郎が教室の書籍や標本を勝手気ままに持ち出して、それらを長い間返却したりしなかったので、矢田部教授の研究や教育にも支障をきたし始めたのも「激怒」の要因の一つだっただろうと考察している。

      
       
(森敏)

追記:なお、矢田部良吉の詳しい年譜は以下の文献に紹介されている。

矢田部良吉年譜稿 太田由佳・有賀暢迪 Bull. Natl. Mus. Nat. Sci., Ser. E, 39, pp. 27–58, December 22, 2016


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