2008-11-27 09:49 | カテゴリ:未分類

再論:物理学者戸塚洋二氏はなぜ植物に感動したのだろうか

   

先日の東京大学の農芸化学科時代のクラス会で、そのメンバーの一人が、「教養学部時代に戸塚洋二氏が同じ語学のクラスだったが、彼は今年の教養学部時代のクラス会に『具合が悪い』ということで来られなかった。結局ガンで療養中だったんだ」といっていた。すなわち戸塚氏はやはり小生とクラスは違ったのだが同じ学年にいたわけである。いつもどこかで見た顔だなーと思って戸塚氏の写真を見て思っていた。ひょっとすると学内でもどこかの会議で同席したことが何回かあったのかも知れない。

 

友人のその話を聞いて、戸塚洋二氏が、スーパーカミオカンデでの仕事の気晴らしに付近の野山を散策して、植物の葉の形態に興味を持っていた、ということに関してその理由が、すこし理解できたように思った。

 

われわれの教養学部時代は、東京大学には理科3類コース(現在の医学進学コース)はまだ無く、理科2類コースに農学・薬学・理学・医学への進学コースが設定されていた。であるから、学生の中には植物や人体に興味を持っている輩から原子力や天文に興味を持っている輩までが、ごっちゃに同じ語学の授業を受けていたわけである。(医学コース以外は今でもそうなっている)

 

駒場(教養学部)の授業では生物学のうち植物学は湯浅明教授が担当していたと記憶する。戸塚氏はこの授業を受けたことがあるに違いない。

 

湯浅明教授は当時昭和天皇の植物分類学の研究を支えていたといううわさであった。いつもネクタイをして、白髪で、柔和な目つきで、いかにも紳士然とした風格があった。授業内容は植物分類学であり、毎回徹底的に植物の学名をラテン語で記載していくものであった。その横文字を黒板にずらずらと書いていくのをノートに写すのだが、小生は栄養失調で視力が落ちていたためと学生運動で疲れていたためもあって、これについていけず、眠くて眠くて仕方がなかった。完全にこの授業からは途中で脱落した。

 

はっきりいってこんなのが学問とよべるのかなと思ったものである。今考えると実に生意気な浅はかな認識だったのだが。しかし、湯浅明教授は淡々とあきもせず、いかにも楽しそうに授業を進めていったのである。

 

小生は、なぜこの植物をここに分類するのか、ということについていつまでたっても明確にされない分類基準のあいまいさに、失望したのである。この当時の記載学に絶望したのである。いやいや受けた湯浅教授の試験の単位は『可』だったと思う。

 

当時スポーツに明け暮れていた戸塚洋二氏も疲れた体でこの授業を受講して、小生と同じような感想を、持ったのではないだろうか。

 

戸塚洋二氏はその後、理学部の物理学科に進学したので、おそらく彼の植物学に対する知識レベルは、当時のものから、あまり進歩していなかったものと思われる。だから、晩年「葉の形態のデータベースを構築せよ」という様なことを真面目に説いていたわけである。「植物分類学が学問として遅れているのではないか」と主観的に感じていたのだろう。

 

実はその後の植物分子生物学の進歩は著しく、現在ではあらゆる生理現象を遺伝子のレベルで解明しようとしており、着々と成果が上がってきている。もちろん植物形態分類学もその例外ではない。しかし、実のところ、記載学としての分類学の知識がしっかりしていないと、遺伝子からの研究のアプローチも結論があいまいにならざるを得ないのである。

 

たとえば植物に他の植物の特定の遺伝子を導入したときに、この対象植物に関してどれが自然界で正常(普遍)でどれが異常(特殊)な形態であるのかなどのその <種> に関する膨大な亜種や品種に関する周辺知識がないと、じつは作成した遺伝子導入植物の形態が異常になっているのか、あるいは正常の範囲内であるのかを正確には見分けられないのである。

  

それにしても、晩年の戸塚洋二氏が“植物に癒された”のは、少しでも彼が駒場時代に湯浅明教授の植物の形態分類学の授業の影響を受けたことがあるからではないかと、今小生は勝手に思うのである。もしそれが事実であり、その事を冥土の湯浅明教授が知ったなら「教えたかいがあった」と、あの柔和な目できっと喜ぶに違いない。

   

 

(森敏)

 

 

秘密

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