2008-11-13 06:20 | カテゴリ:未分類

木戸孝允の先見性

   

学士会報(N0.873)にお茶の水大学学長・郷道子(ごうみちこ)氏が、「木戸孝允と教育のあけぼの」と題して秀逸な文章を書いておられる。

  

これによれば、明治7年(1874)年3月13日、時の文部卿・木戸孝允の布達によって、翌年、東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)が設置されたということである。したがってお茶の水女子大学は133年の歴史をもつている。

  

木戸孝允(たかよし、通常こういんで通っている)は言わずと知れた剣客・桂小五郎のことである。薩摩の西郷隆盛・大久保利通、長州の桂小五郎として明治政府設立の立役者のひとりである。

  

森有礼が初代の文部大臣ということは知っていたが、調べると、その前身に「文部卿」という職務があり、初代は大木喬任(たかとう)であり、二代目が木戸孝允である。但し木戸孝允はわずかに1874年1月25日に就任し5月13日に辞任している。また彼は同年2月14日に第2代内務卿に就任し4月27日に退任している。一定期間両方の職を併任していた。

  

木戸孝允はその3年後に西郷隆盛が起こした1877年の西南戦争の最中に、西郷をなだめにいこうとして明治天皇とともに京都に上洛し、5月26日にそこで没しているが、持病の脳発作であった。享年わずかに45才であった。

  

このことから考えると、木戸孝允が文部卿や内務卿を短期にしか勤めえなかったのは、彼の病状が悪化していたためと考えられる。

  

郷道子学長の言うように、確かに木戸孝允が子女教育に重きを置かなかったら、現在のお茶の水女子大学は存在しなかったであろう。

  

国立大学法人化の流れの中で、財政規模の小さな国立大学として、お茶の水女子大学は苦戦を強いられていると考えられるが、「女子教育」という伝統を活かして、ぜひ個性を発揮し続けてもらいたいものである。どこかの大学と合併するような愚を避けて。

 

木戸孝允の銘に報いるためにも。

    

(森敏)

秘密

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