2008-11-07 08:51 | カテゴリ:未分類

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    緑化が進行している松木沢(9チャンネルから)

 

  

足尾銅山上流の松木沢の風景から

    

先日、足尾銅山の上流の松木沢の映像がテレビで流れた。山のかなりの面積が緑化しているのを見て感慨があった。

  

35年ほど前に渡良瀬川上流の松木沢、三川合流ダム、足尾銅山、銅を取った後の鉱滓の堆積場、はるか下流の渡良瀬遊水池、渡良瀬川の水を水利している田んぼ、田中正造ゆかりの雲竜寺等を、(故)宇井純氏らと2日間かけて回ったことがある。宿では宇井氏と同部屋で色々面白い話をしてもらった。小生にとってそれが足尾銅山鉱毒事件に興味を持った最初であった。

   

その後、小生は独自に同僚の研究者や学生を連れて松木沢や渡良瀬遊水池の植生調査に出かけたり、渡良瀬川の堆積場ダムに溜まった重金属汚染水や下流の水田の水口の入り口に作られている鉱毒堀の水を採取したりして、ここで何が新しく学問的に意義がある研究対象になるのかをいろいろと模索した。

  

当時松木沢は川筋に沿って足尾銅山からの排煙が気流に乗って湧き上がってくるのをもろに受ける場所なので、全山ほとんど木が枯れて、崩壊を繰り返す瓦礫の山であった。そこをカモシカが、少ない新芽を求めて飛び跳ねていた。そのためにますます山の崩壊が進む様子が感じられた。

  

松木沢では雑草のタネと肥料を埋め込んだ植生マットを崩落する崖に人力で貼り付けたり、ヘリコプターで落としたりして、全くの瓦礫と化したこの急勾配の山を何とか緑化しようとして、営林署が頑張っている最中であった。このような努力をしても緑が回復するには100年かかるだろうと当時は言われていた。積算するとかなりのお金が投入されたものと思われる。皮肉にもそれが雇用を創出してもいたのである。

  

しかしその後、1974年には足尾銅山は閉鎖され、山は排煙をかぶることが無くなったので、植生マットの植え付け効果もあってか、今日のように徐々に緑が回復してきたものと思われる。

  

話は変わるが、その後、1990年前半には雲仙普賢岳が何回も噴火して、その火砕流のために裾野が焼けこげ荒廃した。山口大学丸本卓哉氏(前学長)は緑化・樹林化技術の開発に取り組み、菌根菌を利用した新しい土壌浸食防止・緑化技術の開発に成功した。この技術を使って、この荒廃した長崎県雲仙普賢岳火砕流跡地の緑化を行った。この研究で日本農学賞を得ている。

  

このように、人間によって破壊された自然環境の“修復技術”は徐々にではあるが、進歩してきている。今日では「修復(remediation)」という言葉は、新しい学問の方向性を示す重要なキーワードとなっている。

  

結局小生自身の松木沢・足尾・渡良瀬川・遊水池での調査研究からは論文を一報も書くことが出来なかったのだが、かけだしの研究者として公害問題を総合的に捕らえる視点を得ることが出来たと自分では納得している。

   

この研究の延長線上からは、東大農学部の農芸化学科(現応用生命化学専攻)の分析化学研究室で、飽和硫酸銅溶液の中でも耐える「重金属耐性菌」を某君は分離して、論文を書き上げ、それで博士号を取得し卒業していった。

    

(森敏)

 

秘密

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