WINEPブログ
「飯舘村のカエルの放射能汚染」
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2023-09-22 16:26 |
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五木寛之さんが週刊新潮の連載随筆「生き抜くヒント」で
私が相続したもの というサブタイトルの文章の最後を、
:::(親から)相続すべきものは今は無い。とにかく親の昔話をできるだけ多く聞くことである。それこそが本当の相続なのではあるまいか。
と締めくくっている。
これを読んで腹の底から同感した。
今、思い浮かべても、明治37年高知県生まれの父親の幼少期や、成人して結婚するまでの昔話などは、10指にも満たない。言わんや大正14年占領地台湾で生まれている母親においては5指にも満たないエピソードだけである。
二人とも戦前戦中には中国大陸で、波乱万丈の新婚後の経験をしてきているはずだが、食卓でもそういう昔話はほとんど聞かされなかった(と思う)。小生が7番目の子供であったためか「こんなちびに話してもわからんだろう」と父親にはずっと死ぬまで思われていたと思う。
そういえば、今から考えると、父親の生涯を通じて、小生が父親と差しで話し合った記憶が皆無である。父は高知の「いごっそう」の典型的な亭主関白であったし。
しかし、小生自身が「新老人」の今では、そういう両親の生涯の記憶のパズルの空白の部分を無性に埋めたくなっている。すなわち「親の昔話」という遺産相続の貧困さに今さらながらほぞをかんでいる。頭が何となく空腹感で満たされないままである。
小生自身が父親のいごっそうの気質を汲んでいるようなので、「父ちゃんの昔はどうだった?」と、子供たちに聞かれた記憶はない。孫たちも毎日の生活が楽しすぎて、ジジババの昔話何ぞは今のところ金輪際興味がないようだ。
子孫たちは、きっと年を取って「親の生涯記憶」という遺産の貧困さに後悔することだろう、と思う。
(森敏)
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