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WINEPブログ内で「 中国 」を含む記事

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2023-10-18 16:04 | カテゴリ:未分類

「文芸春秋」社は創始者菊池寛の精神の伝統を守って、ときどき検察と司法がグルになって、無法に長期にわたって獄中に収監された被告の手記を歴史的に優先的に公開している。のちに無罪であったり有罪であったりに関わらず。

権力によって不当に命の危険にさらされた獄中生活者の経験の手記は、抜群の一次情報として、誰が読んでも胸を打つものがあるからであろう。

文芸春秋の11月号には、角川歴彦(前)会長の東京オリンピックに関わる賄賂の問題で、何回も検事による一見柔和な尋問を受けているときに、ある日突然、「あなたを逮捕します」と強制的に逮捕・収監されて、その後226日も小菅刑務所に拘留され続けた手記が公開されている。

高齢者である角川さんは、何度もいくつかの命に係わる持病で、その発症のたびに獄中からの保釈申請を出していたのだが、その都度裁判所に「証拠隠滅]を理由に却下されている。裁判所の判事が検察官とぐるになって収監されている被告の獄中死を何とも思っていない冷酷さを、恨みを込めて告発している。角川さんが検察が作成した調書に不本意であるので、決して署名しないからである。完全ないやがらせによる長期拘留である。

角川さんの手記のタイトルは以下のとおりである。

KADOKAWA前会長 角川歴彦
我が囚人生活226日


「人質司法という問題を自らの経験から指摘したい」
検察の暴走を訴える痛哭の手記

という長いもので、文章中のサブタイトルは
〇娑婆に出てきた喜び
〇不意打った逮捕します
〇拘置所の思想
〇冤罪を生む温床に
〇「死なないと出られません」
〇小菅で読んだ獄中俳句
〇釈放が決まった瞬間
“人質司法禁止法” 制定を


である。

小生の記憶では厚労省元局長であった村木厚子さんの印鑑偽造事件というでっちあげの冤罪の手記が、文芸春秋に載っていて、印象に残っているが、検察の取り調べの内容は今回の角川歴彦さんの場合と似ていたように思う。

日本における過去の多くの冤罪事件は以下のホームページに満載されている。
Category:日本の冤罪事件 - Wikipedia

戦前戦後一貫して、日本は冤罪製造国家であり続けている。


(森敏)


追記:大川原化学工業事件では、中国への輸出禁止品目を輸出したとして、代表取締役らが逮捕投獄されて、実はこれが捏造であるということを、当時の取調官が告白して、無罪が発覚し、検察庁は控訴を取り下げた。しかし被告の一人である相談役は病死した。この損害賠償裁判が本日(12月27日)結審する
https://news.yahoo.co.jp/articles/4f2b7c8e7a63efa9a19edaf9036152ab9f0285bf
2023-09-22 16:26 | カテゴリ:未分類

五木寛之さんが週刊新潮の連載随筆「生き抜くヒント」で
私が相続したもの というサブタイトルの文章の最後を、

:::(親から)相続すべきものは今は無い。とにかく親の昔話をできるだけ多く聞くことである。それこそが本当の相続なのではあるまいか。

と締めくくっている。

これを読んで腹の底から同感した。

今、思い浮かべても、明治37年高知県生まれの父親の幼少期や、成人して結婚するまでの昔話などは、10指にも満たない。言わんや大正14年占領地台湾で生まれている母親においては5指にも満たないエピソードだけである。

二人とも戦前戦中には中国大陸で、波乱万丈の新婚後の経験をしてきているはずだが、食卓でもそういう昔話はほとんど聞かされなかった(と思う)。小生が7番目の子供であったためか「こんなちびに話してもわからんだろう」と父親にはずっと死ぬまで思われていたと思う。

そういえば、今から考えると、父親の生涯を通じて、小生が父親と差しで話し合った記憶が皆無である。父は高知の「いごっそう」の典型的な亭主関白であったし。

しかし、小生自身が「新老人」の今では、そういう両親の生涯の記憶のパズルの空白の部分を無性に埋めたくなっている。すなわち「親の昔話」という遺産相続の貧困さに今さらながらほぞをかんでいる。頭が何となく空腹感で満たされないままである。

小生自身が父親のいごっそうの気質を汲んでいるようなので、「父ちゃんの昔はどうだった?」と、子供たちに聞かれた記憶はない。孫たちも毎日の生活が楽しすぎて、ジジババの昔話何ぞは今のところ金輪際興味がないようだ。

子孫たちは、きっと年を取って「親の生涯記憶」という遺産の貧困さに後悔することだろう、と思う。


(森敏)
2023-09-12 20:11 | カテゴリ:未分類
私見ですが、ウクライナ戦争の渦中で、数々の国際会議の場でせっかく顔が世界に知れわたったのが林芳正外相です。

林外相は一昨日(9月9日に、ウクライナの首都
キーウでゼレンスキー大統領と会談したばかりです。


岸田内閣改造でこの林氏を新しく外交がど素人の上川陽子さんに変えるのは適切ではないと思います。

こんなことでは日本は本気で外交していないと思われるでしょう。

ふてぶてしい面構えのロシアのラブロフ外相は、過去19年にわたって現在も外相を務めています。

こんなにコロコロ外相が変わっては日本外交が舐められるのは必定でしょう。

実に情けない。

内閣が変わっても(有能な)外相はころころ変えるなと言いたい。



(森敏)

追記1:産経新聞によれば、本日午後の記者会見では、林を上川に変えたのは以下の理由らしい。
自分自身が首脳外交をやるので、目立つ林に退いてもらって、上川は飾り物外相にするということだろう。


首相会見 外相交代の理由聞かれ「林氏は有能だが…」

岸田文雄首相は13日、同日に行った内閣改造で林芳正前外相を続投させず、後任に上川陽子元法相を起用した理由について「従来の林大臣も大変有能な大臣だったが、党内における有能な人材にもそれぞれの力を発揮してもらう。こうした態勢を組むことも、より外交を前進させていくうえで意味があると考えている」と述べた。

一方、自身が外交を主導したい考えもにじませた。安倍晋三内閣で4年7カ月の外相経験を持つ首相は「私も長く外相を務める中で、首脳外交の重要性を痛感した。首脳外交において大きな役割を果たしていきたい」と強調した。

追記2: 14日の産経新聞によれば

林芳正外相は13日午前、外務省で記者団の取材に応じ、「今日で外相を退任することになった。令和3年秋に就任して以来、歴史の転換期とも言っていいような時期だったが、あっという間に駆け抜けたという印象だ」と述べた。

林氏は、昨年2月から続くロシアによるウクライナ侵略や先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)のほか、関係改善が進んだ日韓関係に言及し、「世界の分断から協調へ、日々努力をしてきた」と振り返った。

後任の上川陽子氏については「外交一日一日、待ったなしだ。しっかりとバトンを引き継ぎ、外交に滞りがないように後押ししたい」と語った。

追記3:こんな考察もなされている。林外相の更迭は失敗人事と言えるのではないか。
 
以下は日刊スポーツ新聞社 によるストーリー

第2次岸田再改造内閣は13日、正式に発足した。
今回の内閣改造をめぐっては、外相の留任が確実視されていた林芳正氏が退任し、同じ岸田派の上川陽子氏に交代。この人事は、今回の内閣改造「最大のミステリー」と臆測を呼んでいる。 政治ジャーナリストの角谷浩一氏は、林氏を岸田派の後継者として早く育てたい首相が、閥務(派閥内の業務)に専念させるためにあえて閣僚から外したのではないかと分析した。内向きな理由にも見える外相交代劇の背景について、角谷氏に話を聞いた。
◆  ◆  ◆
林氏は対中関係でも重要な役割を担っていただけに、交代には外務省もびっくりしただろう。一方、現在岸田派は総裁派閥にもかかわらず「ポスト岸田」が見当たらない。2世議員で性格も穏やかだが、気が利くタイプではないというのが、周囲の林氏評。参院から前回の衆院選でくら替えしたばかりだが衆院初当選直後に外相となり、衆院議員としての派閥での振る舞い方もほとんど知らない。岸田政権もいつまで続くか分からず、今後も「宏池会時代」を続けるには林氏を育てるしかないと、首相は考えたのではないか。「林派」に向けた第1歩だろう。 後継者がおらず、混乱している安倍派を目の当たりにした影響も大きいはずだ。派閥の体制がしっかりしているかどうかは、首相が最も重視する来年の自民党総裁選再選戦略そのものに関わってくる。首相は、急ごしらえでも派閥の「顔」を育てる必要性に、駆られたのではないかと思う。

追記4: 上川陽子さんは「女性ならでは::::」と外相就任時の発言をしていた。
外務大臣に女性も男性もないだろう。
まず最初に国際情勢として ウクライナ を語らなくてどうする。
顔が国内に向いていているんだ。 先が思いやられる。
英語が喋れるだけが能じゃない。
急速に勉強して外交力をつけてほしい。

追記5:テレビを見ていて、国連での日米外相会議に出席しているブリンケン国務長官の上川外相に対する柔和だが不安げの目つきが印象的だった。明らかに値踏みされている。
予想通りというか、上川外相は「女性問題」を筆頭に切り出しているようだ。外交で優先順位を女性問題にしたがっているようだ..しかし、世界でもまれにみる男尊女卑の日本が、外交で女性問題を主張しても全然受けないだろう。ちょっとピントがずれている。大丈夫か?

「::::::::
上川陽子外相は18日夜(日本時間19日午前)、米ニューヨークでブリンケン米国務長官と会談した。両氏の対面での会談は初めて。覇権主義的行動を強める中国を念頭に、台湾海峡の平和と安定の維持や、東・南シナ海での国際法順守の重要性を再確認した。ロシアによるウクライナ侵略や、北朝鮮による核・ミサイル開発や拉致問題への対応でも緊密に連携することで一致した。
会談で上川氏は「女性や平和、安全保障の分野での協力を密にしていきたい」と述べた。ブリンケン氏は「共にやるべき仕事が多くある。日米間のパートナーシップがかつてないほど強固で重要であるという事実を反映したものだ」と強調した。」
両氏は、日米同盟の抑止力・対処力のさらなる強化に向けた具体的な協力の深化に関する議論を継続することで一致。米国の「核の傘」を同盟国に広げる拡大抑止の強化に向け、さまざまなレベルで緊密に協議することも確認した。


2023-07-26 16:34 | カテゴリ:未分類

康保険証の2024年秋廃止方針、河野デジタル相「待ったなしだ」…期限延長しない意向
読売新聞 によるストーリー • 9 時間前

 マイナンバーカード問題に関する参院地方創生・デジタル社会特別委員会の閉会中審査が26日午前、開かれた。河野デジタル相は健康保険証とマイナカードを一体化する「マイナ保険証」に関し、「メリットは非常に大きい。医療DX(デジタルトランスフォーメーション)は待ったなしだ」と述べ、健康保険証を2024年秋に原則廃止する方針は変更しない考えを示した。
 マイナ問題を巡っては、マイナ保険証に別人の情報がひも付けられる誤りが相次いでいるほか、埼玉県所沢市がマイナンバーの誤登録により、別人の公金受取口座に振り込みをしていたケースも明らかになっている。与党内からもマイナ保険証への一体化の期限について延長を求める意見が出ているが、河野氏は「保険証を廃止し、マイナカードの利用に統一した後も安心して保険診療を受けていただけることに変わりはない」として、延長しない考えを示した。
 河野氏は、最長1年間は発行済みの現行保険証を利用できる経過措置も設けているとあらためて説明し、「この期間も使いながら丁寧に説明し、不安払拭(ふっしょく)に努めていきたい」と強調した。デジタル庁が個人情報保護委員会による立ち入り検査を受けたことについては「個人情報保護に関する重大な事案が起きてしまったと認識している」と述べた。

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 大学を退職したときに財布に入るカード大の「名誉教授の証」をもらったが、これが大学の外で身分証明書として役にたったことはこれまで一度もない。

  小生は車に乗らないので (乗ると人をひき殺す自信があるので) 車の免許証を一度も持ったことがない。運転免許証は顔写真があるので、日本のどこでも本人確認には最高に威力を発揮するようである。

  最近、小生は体調不良で国際学会にも過去10年ばかりは外国出張していないので、パスポートも2027年には切れる。延長申請するつもりもないし、外国人でもない限り、普段は日本人が日本国内でパスポートを持ち歩くことなんか無いだろう。だがこのパスポートも写真付きなので、本人確認には日本の役所では重宝がられているようだ。

  というわけで小生にとっては、健康保険証は「命綱(いのちずな)」といってもよい。定職を持たない後期高齢者などは、みんながそう思っていることだろう。

  国民総背番号制 (マイナンバーカード) が定着したから、国民の資産がくまなく紐付(ひもづ)けられて政府当局には丸見えになったので(つまり、国民一人一人の全財産が可視化されるので)、タイやインドの「経済が飛躍的に発展している」と報じられている。

それは事実かもしれないが、これらの国の行く先は、経済合理性を極めた末に、そのまま放っておくと中国のような人権無視の弱者いじめの独裁国家になるのがオチだろう。日本も後塵を拝するつもりなのか、小生には河野デジタル相はIT企業に尻を叩かれて血迷って旗を振っているとしか思えない。

  病院に行って、窓口で「健康保険証」を見せて、診察や治療を受けて、病院窓口で受診料を払い、医者に薬の処方箋をもらって、薬局で薬を出してもらって、お金を支払うときが一番「あー俺は日本国民でよかった」と実感するときである。

医学の発達に感謝しつつも、不遜な話かもしれないが、一方では小生の壊れつつある体が、巡り巡って、医薬品業界や、医療器機メーカーの発展にも貢献して、ひいては日本の GDP(国民総生産) の向上にも貢献しているんだろうなと、勝手に思うことにしている。

  紙ベースの「健康保険証」こそは日本国民としての強固な identity (存在証明)の基盤であると思う。

  その意味で、小生は紙の健康保険証の廃止には断固反対である。
    
   
 (森敏)
2023-06-29 14:28 | カテゴリ:未分類
スライド1
図1。不忍池湖畔の鑑真像 向こう側に見えるのは八角堂とスカイツリー

スライド2
図2。盲目の鑑真

スライド3
図3。台座のネームプレート

スライド4
図4。雨の日の鑑真像



少し古い話になるが、コロナ禍最盛期の2021年から2022年の間は小生も散歩を控えていた。その後、不忍池を散歩していると、ある日忽然と銅色の立派な銅像が建てられているのには驚いた。(図1)
  
像はなんだか目を閉じているか、薄目らしい。(図2)
台座を見ると「鑑真像」688-763と金文字で刻印されている。呉島一糸書(と読めたが間違いかもしれない)2022年立 と書かれている。(図3)
だれがどういう理由で建てたのかその由来について像の裏面には何も書かれていない。
思うにどこかの日中友好人士が建てたのだろうと勝手に推測した。
  
70年ほど前に芦屋市宮川小学校の遠足で奈良の唐招提寺(とうしょうだいじ)に連れていかれて、鑑真和上(がんじんわじょう)の座像をわけもわからず、畳の上に上がってま近かで拝まされた記憶がある。
  
その時、このお坊さんは大陸から来た偉い人で、盲目だと教えられた。どす黒い顔で目をつぶっており、両目の周りが白かった。その理由は教えられなかった。このお坊さんのどこが偉いんだろうと全然ありがたいという気持ちになれなかった記憶がある。(小学生の感想なんてそんなものでしょう)
  
最近散歩のたびにこの像を眺めているのだが、最初は風景になじまない違和感があったのだが、最近は銅像(?)も風雨にさらされて、色がくすんできて湖畔の風景になじんできたと思う。そぼ降る雨のときに顔の拡大写真を撮ったのが(図4)である。
  
盲目であるにもかかわらず両目から涙が頬を伝って法衣の胸元まで流れており、大陸から日本になかなか到着できない悔し涙なのか、それともやっと到着したといううれし涙なのか、なかなかたくまざる感動的な光景だった。
  
あらためて調べてみると鑑真は749年から753年にかけて、大陸から日本に向けて6回も渡航を試みており、船が難波や漂流を繰り返して、やっと六回目に日本の屋久島に漂着したのだった。すでに当時66歳であった。その後76歳で没するまでわずか10年間の間に、日本の各所に戒壇を設け菩薩戒を布教したとのことである。
  
この法衣を風になびかせている鑑真像を、散歩のたびに観るのだが、その立像の風貌は湖岸に映えて、歌舞伎でよく演じられている喜界が島に流された「俊寛僧都」の姿や、横山大観が描いている中国の紀元前の春秋戦国時代の憂国の士「屈原」の像などを思い浮かべる。
  
ちなみに「鑑真の立像は、日中のどこかにありますか?」とチャットでに問いかけたら、真偽のほどは不明だが「どこにもありません」という回答が返ってきた。だからこの鑑真の立像は後世に残る少なくとも日本初のものかもしれない。


(森敏)

追記: 全くの偶然だが、最近古い本である宮冬二 短歌実作入門(1982年4月出版)を書棚から取り出して読んでいたら

  若葉しておん眼の雫(しずく)払わばや 芭蕉

という小生の上述の光景にぴったりの俳諧が出てきた。
図らずも、小生は芭蕉と同じシチュエーションを実際に発見したのだ。
しかしこの芭蕉の句は、唐招提寺の鑑真和上の盲目の座像をみて、その涙を想像して若葉で拭ってあげたいと空想をたくましくしたものである。
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