2008-10-09 16:10 | カテゴリ:未分類

ノーベル賞と文化勲章

 

 

すでにマスコミにも指摘されているが、ノーベル賞や数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞をもらった人物が文化勲章をもらっていなかったので、日本国が急いで追認する形で文化勲章を授与するという、笑えない状態が続いている。

 

今回の4人の日本の受賞者のうち化学賞の下村脩、物理学賞の益川敏英、小林誠の計3氏がこれまで文化勲章を受けていない。多分文科省は大あわてで、11月3日の文化の日までにはつじつま合わせをするのであろう。これはかなりの顰蹙(ひんしゅく)ものである。

 

ノーベル賞選考には世界規模での選考委員に多額の資金を投入して厳密に秘密を保持して客観的な評価を仰いでいるといわれている。ので、誰が見ても納得する一定の水準以上の人物が選抜されていると思われる。しかし何故そのようなノーベル賞受賞者が文化勲章の選考過で脱落しているのであろうか? 明らかに選考過程に大きな欠陥があるに違いない。

 

一番の問題は、自然科学系では旧帝大系以外の人物がなかなか推薦されがたい状況になっている構造の問題である。たぶん、学士院会員などが中心になって候補を選抜するのであろう。ところが歴代の学士院会員はほとんどが旧帝大出身者である上にお年寄りなので(多分80歳以上が大半であろう)、畢竟(ひっきょう)その大学系列の人物を優先的に推薦してくるのだと思われる。私学や地方大学からのたたき上げの人物で、日本の学士院会員などには強いコネもなく、海外雄飛してすばらしい成果を上げた人物は、なかなか評価の対象とされ難い構造になっているのではないかと想像される。

 

次に問題なのは、世界的に評価が高い日本人の研究成果でも、日本の研究者の目のフィルターを通すと、なぜか相対的に低く評価される場合があることである。その理由は、とりわけ日本のアカデミーの世界では研究者の人物の“性格”や“言動”の方が研究成果自身の評価よりも優先される評価基準になっている場合があるからである。いくら世界的な研究成果を上げていても、“人物がよくない”と学士院賞や文化勲章賞には推薦されないのである。「横綱」のように日本の場合は研究者にも“品格”が要求されるようなのである。

 

今回のノーベル賞騒動を見ても、日本にはまだまだ <研究評価の文化> が育っているとはとてもとても言い難い、ということが満天下に明らかになったのである。

 

(森敏)

追記:予想どうり、文化勲章は下村脩、益川敏英、小林誠の3氏に授与されたが、なぜか下村氏は授与式に来日しなかった(その理由はどのマスコミにも報道されていないようである。色々勘ぐることは出来るがやめておこう)。さいわい南部陽一郎氏はすでに文化勲章を授与されていた。報道によると、南部先生はシカゴの日本領事館のノーベル賞受賞記念パーテイーで「自分の今日があるのはシカゴ市のおかげである。といってシカゴ市に乾杯した」とのことである。アメリカで功なり遂げた研究者はみなさん日本に対する帰属意識がうすい。江崎玲於奈氏も南部陽一郎氏も、東京大学出身であるが出身大学に対する愛着心がない。南部陽一郎、江崎玲於奈、下村脩、利根川進先生達はその大学では受け入れてくれなかったから日本から出て行ったのではなかったか。

秘密

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