WINEPブログ
「飯舘村のカエルの放射能汚染」
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2023-06-18 16:21 |
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村上春樹の精道中学時代の写真 広井大先生提供 (転載)
村上春樹の『街とその不確かな壁』(新潮社)を2週間かけて読んだ。
読んでいるうちに、この話の展開はいつもの村上春樹が得意とするパラレル・ワールドの記述法であり、整合性のあるストーリー展開でもなさそうで、感性が鈍磨している小生にとって、読んでいて中身がわくわくするものでもなかったので、一気読みする必要がないと思った。
出版後2か月もたっているので、そろそろ、村上春樹自身によるインタビュー記事(読売新聞(文化部 待田晋哉)や、正攻法に構えた鴻巣友季子の文学潮流など、読書評論家によるこの本に対する深読みの村上春樹論が雑誌やネット上で出始めたので、普通の読者である小生は、ここでは専門の評論家とは別の得手勝手な読後感を述べたい。
読書の途中で、今回遅まきながら、はじめて気が付いたのだが、この小説にはいたるところに、美文がはめ込まれている。おそらくこれまでもそうだったのだろうが、今回初めて気になったので、これまでの小説よりもその頻度が高いのではないだろうかと思った。大まかに言うと、
「:::::は、まるで::::::::::かのようであった」
というカタチの「たとえ話」の文章表現が満載であった。全655頁のうち軽く数えて付箋を挟んでいっても、50カ所以上にわたってそういう表現があった。それぞれがけっこう普通にはあまり思いつかない軽妙なあるいは深遠な表現なのである。
小生はそういう表現をなめるようにじっくり味わいながら、この作家がどうしてそういう表現を発明することができるのか、想像を巡らせながら読むのが今回はすこし楽しかった。
付記に、その例を書き写しておいたので興味のある方は味わってください。
ところでここからいつものように話が少し脱線するのだが、小生は中学生の時に、高価な筑摩書房の作家ごとのA4判の大きさの文学全集を親に買ってもらったことがある。その中で、太宰治の様々な短編小説や、芥川龍之介の「侏儒の言葉」の中での、えもいわれぬ文章表現に、大いに感心して、それらをノートに熱心に書き写した時期があった。その一部を「潮騒」という精道中学校の文芸雑誌に投稿したら、掲載されて、なんとなくうれしかった。
実は、この精道中学校の国語の先生が神戸大学教育学部(国語学科?)出身の広井大先生であった。広井先生の卒業論文は紀貫之の「土佐日記」であったと聞いている。年譜を調べると、村上春樹さん(現在74歳)は、小生の7年後輩で、この精道中学校の同窓生であるらしい。このことはこのWINEPブログでも述べたことがある。
広井先生は国語学でこの春樹君のお父さん(確か当時甲陽学院の国語の先生?)と家庭訪問などで親しかったので、「村上春樹がノーベル賞を取るまで生きていなくては」と、人知れず頑張って生きておられた。春樹君が本を出版するとすぐに買い求めていたとのことである。ただし、『ノルエーの森』以外はなんとなく本の内容には馴染めなくて、自宅の本棚への積読(つんどく)が多かったとか、ご本人から聞いたことがある。
今回、「村上春樹」で画像検索すると、彼の中学校卒業時の写真が出てきた。なんと、その写真の下には、広井大氏提供と書かれているではないか!!
先日のWINEPブログで紹介した92歳で逝去された人物は実はこの広井大先生なのである。先生は「村上春樹がノーベル賞を取ったら、マスコミのインタビューを受けて彼の中学時代の人物像を語ってみたい」と楽しみににされていたのだ。
しかし、実のところ、村上春樹の小説には、香櫨園の小学校の時と神戸高校の時のことが時たま、登場してくるが芦屋在住の精道中学校の時のことは、小生の知るところではどの本にも登場してこなかった。
今回の小説 『街とその不確かな壁』 の中にわずかに中学時代と思われる記述が以下に修飾的に出てくる。
:::::学校での生活についても、取り立ててかたるべきことはない。成績はそれほど悪くはないが、人目を引くほど優秀なわけでもない。学校でいちばん落ち着ける場所は図書室だ。そこで一人で本を読んで、空想のうちに、時間をつぶすのが好きだ。読みたい本のおおかたは学校の図書室で読んでしまった。
春樹君は、きっと中学時代も、体調などにわけがあってか、学校が面白くなくて、自宅で好きなレコードをかけたり、本ばかり読んでいた目立たない、人好きの良くない子だったと、勝手に想像される。小生の時代には、精道中学から神戸高校に行く子は結構クラスでも成績が上位の子が多かったと記憶している。小説家村上春樹には、残念ながらいくら思い出しても、小説に書くほどの中学時代の感動的な体験のネタがないのかもしれない。
(森敏)
付記:以下は [街とその不確かな壁」から「:::::は、まるで::::::::::かのようであった」 の類の表現を拾ったものです。
・古井戸のように深いため息をついた。
・規則性と単調さとの間に線を引くのは、ときとしてむずかしいものになるとしても
・そこにあったのは喩えようもなく奇妙な感触だった。その層は物質と非物質の間にあるなにかでできているらしかった。
・その針が午後三時をわずかに回っていることを確認してから、一度深呼吸をし、湖に張った氷の厚さを、そこを渡る前に慎重に確かめる旅人のように。
・そして彼女たちの意見は、あるいは総体としての意見は、汚れた洗濯物のように、どこか奥の方にそそくさと仕舞い込まれてしまった
・「どうだろう?恋愛というのは医療保険のきかない精神の病のことだ、と言ったのは誰だっけ?」
・小さな口を半ば開き、虫を間違えて喉の奥に飲み込んでしまった時のような顔をした
・私はため息をつき、机の上に両手を置いて目を閉じ、時間の過行く音に耳を澄ませた。
・旅人が自分でも気づかぬうちに、大事な意味を持つ分水嶺を踏み越えてしまったみたいに。
・岩の隙間から水が湧き出すみたいに、文章がすらすらと目の前に浮かんできたものだったが。
・自分はいったいこれまで何のために生きてきたのだろう?ひょっとして地球が逆に回転し始めたのではあるまいかと、真剣に不安に駆られたほどだった。
・嫌な予感がした。心臓が乾いた音を立てた。
・なんだか建物の太い柱があっさり取り払われたような、そんな虚脱感に襲われました。
・「意識とは、脳の物理的な状態を、脳自体が自覚していることである」という誰かの定義を:::
・松の大枝に積もった雪が時折重く積もった音を立てて地面に落下した。まるで力尽きて手を離した人のように。
・そうするうちに出し抜けに―まるで足元の茂みから鳥が飛び立つみたいに唐突に―その題名を思い出した。
・頭の中にあるのは心地よいただの空白だった。あるいは無だった。雪の予感を含んだ寒冷さが、鉄の腕のように私の意識を厳しく締め上げ、支配していた。
・私は黙ってストーブの火を眺めていた。私の体内で時間が淀む感触があった。
・まるで栄養ドリンクでも飲むみたいに、そこにある情報を片端から吸収していきます
・まるでついさっき世界の裂け目を目撃してきたかのような悲痛さを含んだ叫びだ。
・いくら特殊な能力があるといっても、個人のキャパシテイーには当然限度がある。まるで海の水をバケツでくみ上げているようなものだー
・そして身動きせず、一心不乱に猫たちを観察していた。まるで地球の創生の現場を見守る人のように。
・共存共栄。誰も傷つかない。それは読書という行為の優れた点の一つだ。
・彼はそれをじっと見つめていた。ポール・セザンヌが鉢に盛られた林檎の形状を見定めるときのような、鋭く批評的なまなざしで。
・私はどうやら本格的に、習慣を自動的になぞって生きていく孤独な中年男になりつつあるようだ。
・私の中で時間が入り乱れる感覚があった。二つの異なった世界が、その先端部分で微妙に重なりあっている。満潮時の河口で、海の水と川の水が上下し、前後し、入り混じるように。
・私はそれに対してうまく返答することができなかった。しばらく沈黙が続いた。その沈黙は宇宙に浮かぶ白紙の息というかたちをとっていた。
・心も身体もまだじゅうぶん馴染んではいない。新品の衣服に身体がうまく慣れないみたいに。
・寒い夜に赤々と輝く火には、遺伝子に深く刻み込まれた集合的記憶を呼び起こすものがあった。
・考えてみれば、私がそこに暮らしている時から既に、町を囲む壁は刻々とその形状を変化させていたのだ。まるで臓器の内壁のように。
・電車が固定された軌道の上を進んでいくみたいに、その習慣から外れることはまずやりません。
・父親はそれについてじっくり深く考え込んでいた。飲み込みにくい形のものを、何とか喉の奥に吞み込もうとしている人のように。
・彼女は山の端に上ったばかりの月のような、淡い微笑みを口の脇に浮かべた。
・言うなれば水面下深くにある無意識の深い領域に」
・強い既視感が、私の身体全体にもやもやとした痺れをもたらした。身体を巡る血液に何か目に見えない異物が紛れ込んだかのように。
・その顔には、いったんは笑いかけたが思い直してやめた時のような、どことなく中途半端な表情が浮かんでいた。
・それで少しは気持ちがおちついたものの、心臓は相変わらず、槌で平板を打つような、乾いた音を立てていた。
・彼女の指先で優しく撫でられたあと私の耳の痛みは―その微かな夢の名残は―あとかたもなく消え失せていた。新しい陽光に照らされた朝霧のように。
・夢の内側と、夢の外側との境界線がきっと不明瞭になっているのだ。
・まるで強い潮の流れに運ばれていく漂流者のように、私の内側で周りの情景が転換する。
・君の隣に腰を下ろすと、なんだか不思議な気持ちになる。まるで数千本の目に見えない糸が、君の身体と僕の心を細かく結び合わせているみたいだ。
・その安定した日常が、今日初めて乱されたのだ。梯子の段がひとつ取り払われるみたいに。
・私の心は私の意思に反して、若い兎が初めて春の野原に出た時のように、説明のつかない、予測のできない野放図な躍動を欲しているようだった。
・振動のおかげで、トレースされた画像が原形から微妙にずれていくみたいに。
・「さよなら」と彼女も言った。まるでこれまで見たこともない食べ物を始めて口に入れる人のように、ゆっくり注意深く、そして用心深く、そのあと、いつもの小さな微笑みが口元に浮かんだが、その微笑みもいままでと同じものではなかった。
・この作品は僕にとってずっと、まるでのどに刺さった魚の小骨のような、気にかかる存在であり続けてきたから。
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