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2022-11-09 15:15 | カテゴリ:未分類
  上野の都美術館に散歩がてら岡本太郎展に出かけた。

  その前に東京芸大の横を通っていたら偶然芸大構内の列品館で、今年退任された赤沼潔教授の記念展示があり、無料ということなので鑑賞させていただいた。アルミ細工ということで、すべての作品には題名がないのが特徴かと思ったのだが、小生にとってはすべての作品そのものが新鮮であった。日展でもあまり絵画以外はきちんと見てこなかったので、鑑識眼がないので、感想は表現できない。
  
  岡本太郎展に関しては
「自分の中に毒をもて」
「岡本太郎 芸術という生き方」
などの本を昔読んだことがあり、精神的にけっこうエンカレッジされた。(これらの本は残念ながら10年ほど前に、全部破棄していま手元にはありませんが。)
  
 それにしてもこの人はなぜこんなにやたら「元気」を発信しつづけることができるのかとずっと実に不思議であった。ものすごい自信家なんだろということはわかるが、その自信がどこから来るのだろうかとずーと疑問だったのである。
  
 たぶん岡本太郎は自分をピカソと同じ「天才だ!」と自己暗示にかけて、周りの人の云うことは全く気にならない性格だったのだと思う。今でいう一種の「発達障害児」だったのだろう。

  今回展示されている岡本太郎の作品の中にはその本の中でも見た記憶があった。しかし、今回小生も年齢を重ねて「新老人」になってきたので、実物大の作品を時系列的に見たらどう思うかが自分なりに興味があった。

  やはり実物と本のカラー写真では大違いと感じた。特に彼が用いる赤・黒・黄・青の原色が、実物ではなかなか迫力があった。これだけ多数の抽象画を(会場には500枚以上あったのではないだろうか)、見る者に飽きさせず(マンネリに思わせず)絶えず画面に新機軸を投入する努力は、大変な構想力とエネルギーが必要だっただろうと素人ながら単純に感嘆した。
この岡本太郎が延々と画面に投入し続ける新機軸はまさに「天才だ」と思った。

  余計なお世話だが、晩年にはアルツを患ったようだが、自然とアイデアが枯渇して焦ったのではないだろうか?


  
  画風を通して感じたのは図1が典型だが、お墓の墓石の背後によく立てかけてある木片に書かれているサンスクリット文字の「梵字」の影響を取り込んでいるのではないかと思われる絵が多々あったことである。これは小生にとっては今回のあたらしい発見であった。ヘッドホンを借りて解説を聞いて回ったわけではないので、あるいはすでにそういう説明をしているかもしれない。
 
スライド1

図1
 
  ところで、会場には、1967年にベトナム戦争でワシントンポスト紙に掲載されたべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の反戦メッセージ広告が展示されていた、この時紙面で使われている岡本太郎の「殺すな」という斜体の文字は、小生が助手になりたての頃であり、どこかで見たことがあり、今回改めて歴史的な意義を感じたことである。(図2)彼が生きていたらクライナにも同じような、メッセージを発していただろう。(核を)「落とすな」とか。
 
スライド2

図2



 岡本太郎の「太陽の塔」の発想の原点をブタペストで見たことは以下のブログで書いたことがある。
  
• 2010/07/05 : 岡本太郎の原点(?)を発見(ブダペスト報告1)
  
  画家と言えども全くのゼロから発想はできないことは、科学者と同じである。きちんと無意識の中に蓄積されてきた悟性や感性の踏み台があっての発想なのである。

  岡本太郎本人に聞いても「馬鹿野郎!全ての作品が俺のオリジナルだ!」と激怒すること必定だろうが。

  なお、この岡本太郎展は東京の後、1年をかけて、全国を回るとのことである。日本中の漫画世代の子供たちが、改めて岡本太郎をどう受け止めるだろうか、小生には非常に興味深いものがある。
  
 
(森敏)
付記:渋谷駅構内の広大な岡本太郎の壁画については以下にのべたことがある。
  
• 2009/10/04 : 岡本太郎の壁画




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