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2021-11-12 15:48 | カテゴリ:未分類
本日の新聞各紙は、中国共産党の 六中全会 における 習近平主導の「歴史決議」なるものの紹介と、作家である瀬戸内寂聴さんの死亡記事で満載である。
   
この二つの記事は小生には非常に対称的に映った。

瀬戸内寂聴流にいえば

美は乱調にあり:寂聴流の自由奔放な生き方は美しい。

諧調は偽りなり:習近平による第3次中国共産党路線「歴史決議」のような体系的な造り話は偽りである。




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40年ぶり歴史決議採択=共産党100年の歩み自賛習氏3期目へ権威確立・中国

 

2021/11/12 08:17

 【北京時事】北京で開かれていた中国共産党の第19期中央委員会第6回総会(6中総会)は11日、結党から今年100年を迎えた党の歩みを総括する「歴史決議」を採択して閉幕した。

国営新華社通信が配信したコミュニケによると、党の歴史的意義を「経済の快速発展と社会の長期安定という二大奇跡を創造した」などと自賛。毛沢東、トウ小平の時代に続く40年ぶりの歴史決議は、習近平総書記(国家主席)の権威を確立し、来年秋に開かれる党大会での異例の3期目入りを後押しするものとなった。

 決議の名称は「党の100年奮闘の重大成果と歴史的経験に関する決議」。全文は未公表だが、コミュニケによると、1921年の結党から習氏が総書記に就任する2012年までを、毛が率いた「革命」と「建設」、トウと江沢民、胡錦濤両氏の3人が率いた「改革開放」と三つの時代に区分した。

 新中国の建国は「半植民地、半封建社会の歴史を終わらせた」、改革開放は「中国の命運を決める鍵となった」などと評価。文化大革命(66~76年)や天安門事件(89年)には言及していない。

 一方で、習氏が就任した第18回党大会以降を「新時代に入った」と位置付け、前の三つの時代の合計に匹敵する2000字余りを費やして詳述。習氏の下で「反腐敗闘争は全面的な勝利を獲得した」「総合的な国力は新たな段階に飛躍した」などと成果を誇示した。

 その上で、「中華民族は立ち上がり豊かになる時から、強くなる偉大な飛躍の時を迎えた」と強調。今後の目標に、経済格差を是正する「共同富裕」や、科学技術の「自立自強」などを明記した。

 45年4月の決議は、路線闘争を勝ち抜いた毛が政敵を批判し、トウがまとめた81年6月の決議は毛が発動した文革を否定した。今回は「負の歴史」に具体的に触れず過去を肯定することで、共産党による統治と習政権の継続を正当化する狙いがあるとみられる。 

 

  
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以下に、本日のネット上の主要紙による瀬戸内寂聴の死亡記事を読者にはうんざりするであろうほど転載した。全部読めば、どうすればこんな「人たらし」の生き方ができるのだろうかと、誰もが思うことだろう。

  
  
瀬戸内寂聴さん死去、99歳=純文学から伝記、大衆小説まで

2021/11/12 08:17

 

© 時事通信 提供 作家・僧侶の瀬戸内寂聴さん

 私小説から伝記、歴史物まで幅広く手掛け、文化勲章を受章した作家で僧侶の瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)さんが9日午前6時3分、心不全のため京都市の病院で死去した。99歳だった。葬儀は近親者で行う。後日、東京都内でお別れの会を開く予定。

 1922年、徳島市生まれ。東京女子大在学中に結婚。北京に滞在したが、46年に引き揚げ後、夫の教え子と恋愛関係になり協議離婚した。前後して小説を書き始め、丹羽文雄主宰「文学者」の同人に。57年に新潮社同人雑誌賞を受賞し、初の短編集「白い手袋の記憶」を刊行した。

 続けて発表した短編「花芯」で人妻の不倫を描き、「子宮作家」と呼ばれるなど物議を醸した結果、文芸誌からの執筆依頼が数年途絶えた。その間も雑誌に発表した作品が人気を集め、流行作家に。純文学と大衆小説のジャンルをまたいで活躍し、61年に伝記小説「田村俊子」で田村俊子賞、63年には「夏の終り」で女流文学賞を受賞した。

 明治・大正期の女性解放運動に共感し、伊藤野枝らを題材に「美は乱調にあり」などの伝記小説を次々と発表した。古典文学にも造詣が深く、70歳になる92年から「源氏物語」の現代語訳に取り組み、98年に全10巻を完成。京都府宇治市の源氏物語ミュージアムの名誉館長も務めた。

 多忙を極める中で出家への思いを募らせ、岩手県平泉町の中尊寺で73年に得度(出家)した。旧名「晴美」から法名「寂聴」に改名し、執筆を続けながら、京都市の「寂庵」を拠点に法話活動を展開。岩手県二戸市の天台寺住職も兼ね、孤独や病、家族などに悩む人々に寄り添った。

 政治・社会運動にも関わり、91年の湾岸戦争や2001年の米同時多発テロの際は断食により反戦を訴えた。東日本大震災後も現地の慰問や脱原発運動などに奔走した。

 著書は、谷崎潤一郎賞の「花に問え」、芸術選奨文部大臣賞の「白道」、野間文芸賞の「場所」、泉鏡花文学賞の「風景」のほか、エッセーや対談集など多数。06年に文化勲章を受章した。

 14年に背骨の圧迫骨折、胆のうがん摘出を経験したが、その後回復し、17年に作家としての来歴や闘病を題材にした長編小説「いのち」を刊行するなど、晩年まで精力的に文学活動を続けた。 

 

 

寂聴さん「うなぎパイ」とコラボも 担当者「人生の大きな経験」

毎日新聞 2021/11/12 08:30

 

 9日、99歳で亡くなった作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん。多才さを発揮し、2019年に「うなぎパイ」で知られる浜松市の菓子製造販売業・春華堂と商品を共同開発したこともあった。

 春華堂商品開発担当の雪島知佳さん(26)が寂聴さんと共同開発したのが「しあわせクッキー」(12枚入り、税込み3024円)だった。若い女性が気軽に手に取れる菓子をつくろうと、寂聴さんが暮らす京都市を何度も訪れ、アドバイスや試食をお願いしたという。「寂聴さんはお酒好きで、塩味が利いた菓子を好んだ」(雪島さん)ため、塩キャラメル味のクッキーが誕生した。

 しあわせクッキーの包装は寂聴さんの言葉を記していた。雪島さんは「『青春は恋と革命。』というフレーズが、恋愛に生きた寂聴さんらしくて一番に好きだった」としのぶ。駆け出しの社会人として寂聴さんの才能に触れた雪島さん。「人生の大きな経験で、その後の仕事にも生きている」と生前の交流に感謝した。【太田圭介】

 

  


瀬戸内寂聴さん死去、心にしみる言葉を振り返る。「人生は大体何とかなる」「逃げることも勇気」

ハフポスト日本版2021/11/11 17:11


作家で僧侶の瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)さんが
119日に亡くなった。ハフポスト日本版では2017年に、当時95歳だった瀬戸内さんにインタビューしていた。

瀬戸内さんは1957年に「女子大生・曲愛玲」で文芸雑誌の賞を受賞して文壇デビュー。1973年、51歳のときに岩手県の中尊寺で得度し「寂聴」を名乗った。

ベストセラー作家として活躍する中で、人生の酸いも甘いも噛み分けた瀬戸内さん。その印象的な言葉をインタビューから引こう。

人を好きになるのは「雷が落ちるようなもの」

「人を好きになるって、雷が落ちるようなもの。当たったらしょうがないのよ。不倫したいと思って付き合うんじゃなくて、好きになっちゃったから付き合うんだもの。でも、人の幸せを奪っての幸せはダメよ」

人生は「大体なんとかなる」

「(人生は)大体なんとかなるものよ。仏教と一緒。全て、物事は変化するの。だから今はつらいつらいって思っても、それがずっと続くことはない。変わるの。今、嬉しくてしょうがなくても、それもまた変わるの。つらかったらうれしくなる。だから大丈夫、なんとかなる」

「人間は自由であるべき」

「人間は生きている以上、自由であるべきよね。『自由でありたい』がために、生きてるんだから。親の介護とか、夫や子どもの面倒を見て一生を終わることなんてないのよ」

自由を求めて「逃げることも勇気」

「戦争中は、もうどうしようもなかった。「戦争に行きたくない」なんて言ったら「国賊だ」って言って、やられるしね。そりゃ悲惨なもんでしたよ」

「逃げることも勇気ですよ。権力者の都合で変わる道徳にとらわれないでね。逃げると言っても、自由を求めて逃げるんだから、名目はちゃんと立ってるの。どうせ生きるなら、自分のしたいことをして、自由に生きてね」

 

 
瀬戸内寂聴さんとの思い出がどれも温かい。訃報に各界から悼む声上がる

ハフポスト日本版2021/11/11 17:11



作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが亡くなったことが
1111日、明らかになった。

訃報が伝えられると、親交のあった著名人らから悼む声が上がった。その死を悼み、つづられた寂聴さんとの思い出話は、どれも温かいものばかりだった。

作家の村山由佳さんは自身のTwitterで、寂聴さんと会った後の別れ際に、「今度はぜひ彼氏連れて遊びにいらっしゃい。大丈夫よ、とらないから」と声をかけられたことを明かした。

俳優の梅沢富美男さんも自身のTwitterで、寂聴さんと笑顔で映った写真を添えて悼んだ。

寂聴さんの言葉に触れ、「寂聴さんは『私は多く傷つき、多く苦しんだ人が好きです 挫折感の深い人は、その分、愛の深い人になります』と言っていました」「悲しくてなりません」とつづった。

このほか、ミュージシャンの水野良樹さんもTwitterで、ライブの楽屋に寂聴さんが訪れた時の思い出を明かしていたが、後に削除している。

 

 

   

瀬戸内寂聴さん死去 創作意欲、死の先まで
2021/11/11 19:28  横山由紀子
 

 京都・嵯峨野にある寂庵に平成30年晩秋、当時96歳の瀬戸内寂聴さんを訪ねた。ちょうど文芸誌に載せる小説を徹夜して2本脱稿し、一息ついていた。「この年で連載2本ってすごいでしょう。私は死ぬまで意義のあることをして暮らしたいの。それは小説を書くこと」と話していた。

大正、昭和、平成、令和を生き抜き、文学に燃焼した人生。とりわけ「恋と革命を小説に描いてきた」と語っていた。

「美は乱調にあり」「諧調は偽りなり」-。無政府主義者・大杉栄の言葉に強くひかれ、代表作となる評伝小説のタイトルにしたほどで、自身の歩みにも重ねていた。「なまぬるい生を送るよりは、乱調の美に身を投じ、地獄の火に焼かれる方が望ましい」と。

伊藤野枝(のえ)、平塚らいてう、岡本かの子。桁外れのスケールで恋やそれぞれの分野で激しく生きた女性たちを描き続けたが、「私の中にも、革命家の闘志のようなものがある」と口にしたことがある。

昭和61年に連合赤軍のリーダーだった永田洋子元死刑囚(平成23年死去)との往復書簡を刊行。元日本赤軍リーダー、重信房子受刑者とも手紙でやりとりを重ねた。作家として、彼女たちの根源にあるものを探ろうとしたのだろう。

51歳で仏門に帰依してからも精力的に書き続け、生涯を文学にささげた。「死んだら、あの世があるのかないのか。尼になっても分からない。それこそ、書きたいんです」。創作意欲は死の先にまで及んでいた。(横山由紀子)

   

 





訃報 瀬戸内寂聴さん、99才で・・・・
2021/11/11 13:20  
テレASAニュース


作家で尼僧の瀬戸内寂聴(本名同じ)さんが9日午前63分、心不全のため京都市内の病院で亡くなった。99歳だった。
寂聴さんは1922年、徳島県生まれ。43年に東京女子大学国語専攻部を卒業。56年「女子大生・曲愛玲」で新潮同人雑誌賞を受賞。57年には、のちに映画化された「花芯」を「新潮」に発表。63年「夏の終り」で第2回女流文学賞を受賞し、作家としての地位を築いた。

以後、「かの子撩乱」「美は乱調にあり」「青鞜」など強烈な女たちの伝記的小説を多数執筆。また西行、一遍、良寛の3人それぞれの出家の動機をさぐる仏教三部作「白道」「花に問え」「手毬」を発表。
73
年に出家。中尊寺で天台宗を得度し、法名を「寂聴」とした。

79
年京都・嵯峨野に「曼陀羅山 寂庵(まんだらさん・じゃくあん)」を建て、85年には在家のための道場「サガノサンガ」を開くなど多彩に活躍。

2019
年に他界した俳優・萩原健一さんが壁にぶつかっていた80年代、寂庵に迎え入れ、復帰を後押し。二人で共著「不良のススメ」も出した。

87
年岩手県浄法寺町の天台寺住職に就任し、2005年の引退まで務め、08年からは禅光坊住職に就任した。
97
年に文化功労者、06年に文化勲章を受章。18年には、初の句集「ひとり」で星野立子賞を受賞した。

近年では、145月に腰部の圧迫骨折で入院。同8月に再入院し、退院直前の9月に胆のうがんが見つかり、手術を受けた。その後もテレビ番組などで元気にお酒や食事を楽しむ姿などを見せていた。

     


「憲法は負けて勝ち取ったもの」「優しい人は想像力がある」 瀬戸内寂聴さん 慈愛に満ちた言葉の数々 2021年11月12日06時00分

 99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さんは、晩年も平和を願い、東日本大震災の被災者に思いを寄せ、声を発し続けた。作家として、僧侶として、その言葉は想像力と慈愛に満ちていた。

2015815日付本紙インタビュー「手のひらからの平和論」

 「大本営発表だけを聞かされていたから。負けてるのにちょうちん行列していた。そんなおばかちゃんでしたね、私も国民も。戦後、焼け跡の残る東京を見て、これからは自分の手で触って、手のひらに感じたものだけを信じて生きようと思いました。それが私の革命です」

 「新しい憲法は敗戦後、米国に押しつけられたと言うけれど、負けて勝ち取ったものですよ。すごい犠牲の上にできた憲法なんだから。もしも、日本が九条を守らないようなことがあれば、世界を欺き、うそをついたことになる。戦争しません、しませんって言ってきたのだから。みっともないことだと思う」

 「政府は民を幸せにしなきゃいけない。そのためには民意を、民の心を聞かなきゃいけないでしょ。聞くことが政治家なのに、現在の政治家、安倍さんたちはまったく聞かないでしょ。(米軍新基地建設中の沖縄県名護市)辺野古だって日本なのよ。それなのに、日本じゃないみたいな扱いをしている」

 「若い人たちの前で、『青春は恋と革命』と言ったら、みんな『わーっ』と盛り上がりましたよ。若い人もうれしいらしい。それだけでいい。革命は死ぬまでできる。自分の革命をしていけばいい。戦争を知っている世代は伝えていかなくてはならないわね。ぼけてるひまなんかないのよ」

2015618日、安全保障関連法案への抗議が続く国会前でのスピーチ

「いい戦争は絶対にありません。戦争はすべて人殺しです。殺さなければ殺されます。そんなことは人間の一番悪いことです。二度と起こしちゃならない」

 「最近の日本の状況を見ておりますと、なんだか怖い戦争にどんどん近づいていくような気がいたします。その気持ちを他の人たちにも伝えて、特に若い人たちに伝えて、若い人の将来が幸せになるような方向に進んでほしいと思います」

20121125日付、小説『月の輪草子』刊行の際のインタビューで

 「生ぜしもひとりなり。死するも独りなり」という一遍の言葉がある。お釈迦(しゃか)様も『(さい)の角のようにただ独り歩め』と言っている。結局、人間はひとり。孤独なんです。たとえ愛し合っていても」

201288日付本紙、佐藤愛子氏との対談「この夏に思う」

 「(原発再稼働反対の)座り込みに参加した時、私は、再稼働は『あるかもしれない』と思った。でも、なぜ座り込んだかというと、『反対した人間がいた』ということを歴史に残しておかなきゃいけないから。そして、声に出して行動に表さないといけない。たくさんの人が行動し、人々の同じ『念』の力が大きくなれば、ものは動くかもしれない」

 「反原発デモを見ていて思ったのは、安保のデモは思想を持った人、インテリがやっていたけれど、今度はそこらのおばさん、お姉ちゃんが危機を感じて赤ちゃんを連れて参加しているということ。観念的じゃなく実質的なんです。その切実な声を政府は聞いていない」

201252日、東京・霞が関の経済産業省前で、脱原発を訴えるハンストに参加して

 「これまで生きてきて、福島の原発事故のような恐ろしいことは戦争以外に一度もなかった。政府は再稼働をどうして焦るのか。原発事故は人災であり、同じことを繰り返しては子どもや若い人がかわいそうです」

2011414日付本紙「311から」インタビューで

 「被災地の人の健康を祈るみんなの思いやりの『念』が塊になったら、力になります」

 「どん底にいても、人は必ず立ち上がります。仏教でいう『無常』。同じ状況は続かないのです。だから被災者の方も絶望しないでほしい」

 「東北の人は辛抱に慣れている。辛抱は『忍辱(にんにく)』といい、仏教の一つの(ぎょう)ですが、今は辛抱せずに『耐えられない』『早くこうしてほしい』と声を発してください。自分のためだけではなく、子どものためにも、もっとわがままになってほしい」

 「逆に、被災者でない人は忍辱を心掛けて節約し、仏教の基本的な思想の『忘己(もうこ)利他(りた)』の心を思い出してほしい。『もう懲りた』ではないですよ。自分の利益を忘れ、人の幸福のために尽くすことです」

2011212日付、電子書籍『ふしだら』刊行に際したインタビューで

 「恋愛なんてものは不可抗力。ある日突然、雷のように落ちてくる。その人を好きになってはいけないと思っていても、好きになっちゃうでしょ。理屈じゃないものと闘っていかなければいけないから、人生は大変なんですよ」

 「人間は本来はみんな、煩悩(欲望)の塊。今、人に非難されるようなことをしてない人でも、いつそうなるかわからない。そして自分にも煩悩があると思えば人を責められないし、煩悩ゆえに痛い目に遭った人は、人の痛みもわかる。人に優しくなれますよね」

 「生きるってことは結局、出会いでしょ。人でも、物でも、書物でも、音楽でも、それと出会うってことが生きること。出会うってことは、縁で結ばれること。たくさんの出会いを経験した人の方が、人生豊かですよね。そして出会うってことは、必ずいつか別れるっていうこと。だから、今ある縁を大事にしないと。感謝しないとね」

 「縁は、切れないもの。切ったつもりでも、どこかでくっついている。それとやっぱり、自分も気づかないうちに人を傷つけ、それでも許されて生きているのよね。縁あって近くにいる人々と何かあったときには、責める一方じゃなくて、自分も許されてるんだから人も許しましょう、と思ってほしいですね」

2008619日付、死刑についての特報面インタビューで

 「死刑も殺人にほかならず、殺人の連鎖でもある。それより(殺人事件が)なぜ起きたかを考えないと」

 「皆さん、被害者の側に身を置いて考えるんですね。自分は加害者にならないと思っている。人間って非常に危うい存在。絶対に自分が加害者にならない保証はない」

 「優しい人っていうのは、想像力がある人。他者の苦しみが想像できる人。相手の気持ちを想像できなければ、優しくできない。だから、優しい人にするためにまず想像力を養うべきです。それには本を読ませなさい」

201712月、最後の長編小説『いのち』刊行に際して

 「生れ変っても、私は小説家でありたい。それも女の」

    

「愛とは何か」記者の問いに寂聴さんは ペン一本、書き続けた人生

岡田匠 2021年11月12日5時00分

ペンを握る右手の指は曲がったままだった。背骨の圧迫骨折もそう。70年以上、机に向かったからだ。亡くなる直前まで書いた。

 「88歳が人生で一番いいとき、あとは老いてぼろぼろよ」と語っていたように80代後半から何度か生死をさまよった。だが瀬戸内寂聴さんは不死鳥のごとくよみがえった。2015年春も骨折やがんを乗り越えたばかり。このとき9211カ月。京都・嵯峨野の寂庵(じゃくあん)で法話し、力強く言った。

 「命がある限り書く」。書くことへの意欲を失わない作家の情熱に打たれ、連載エッセー「寂聴 残された日々」を持ちかけた。毎月届くのは万年筆の手書き原稿。「遺言だと思って書いている」と言ってくれた。ペンを握ったまま、机の上の原稿用紙にうつぶせになって死ぬことが理想だった。
   

 記者(41)は瀬戸内寂聴さんが2014年に背骨の圧迫骨折やがんで闘病していたころに取材を始めた。朝刊の連載エッセー「寂聴 残された日々」を持ちかけ、毎月、京都・寂庵(じゃくあん)で開かれる法話を聞いた。国会前での安保法制への抗議、岩手・天台寺での青空説法、各地であった著名人との対談などにも同行した。平成が終わる19年には「愛」をテーマにインタビューした。7年に及ぶ取材で、プライベートでも懇意にして頂いた。

 なぜ書き続けるのか聞いたことがある。「まだ、お母さんともしゃべれない幼い娘を捨てて文学の世界に飛びこんだから、書き続ける責任がある。私は幸せになっちゃいけないの」

 ペン一本で生きた寂聴さんは戦後の自立した女性の先がけだ。そこには戦争体験がある。防空壕(ごう)で焼け死んだ母のことを、よく語った。15年に安保法制に反対して京都から国会前に行くと言いだしたのは抗議集会の2日前。死も覚悟した。「愛する人と別れること、愛する人が殺されること、それが戦争。命ある限り、戦争の恐ろしさを伝える」

 普通の人が嫌いだった。「だって面白くないじゃない」。常識にとらわれない奔放さが人をひき付けた。肉と赤ワイン日本酒を囲むたびに出てくるのはビッグネームばかり。川端康成三島由紀夫美空ひばり勝新太郎岡本太郎、美智子さま……。寂聴さんしか知り得ないエピソードが満載だった。

 多くの人に愛されたのは文学や仏教の知識、波乱に満ちた人生経験から紡がれる言葉に加え、尽きることのない好奇心や人間味あふれた愛らしさではなかったか。あらゆる政党から選挙に出ないかと誘われたが、すべて断った。政治とは距離を置き、文化人を貫いた。

 若者にも期待した。晩年は66歳離れた女性秘書と過ごし、ケータイ小説を書き、スマホも使いこなした。「青春は恋と革命」「100冊の本を読むより1回の恋愛」と語った。

 幼いときは体が弱かった。母に言われ、豆ばかり食べた。51歳で得度したのは19731114日。仏教にこだわったわけではない。カトリックの洗礼を受けていた遠藤周作に頼み、神父を紹介してもらった。その神父が逆に寂聴さんに悩みを打ち明け始め、キリスト教はやめたそうだ。

 僧侶としての務めだからと、コロナ禍の前まで数十年間、寂庵で法話を続けた。東日本大震災など災害のたびに現地に飛び、天台宗の開祖・最澄の言葉「忘己利他(もうこりた)」を挙げた。「己を忘れ他を利する。人を幸せにすることこそ、もっとも高尚」と説いた。

 自らの恋や不倫も隠さず、名言も数知れず。「恋は雷に打たれるようなもの」「あらゆる世界の名作は不倫」「生きることは愛すること。愛することは許すこと」。好きな1字はもちろん「愛」。その愛とは何か聞いた。

 「愛する人と2人、窓の外を…(以下有料記事)

 

   

作家・僧侶の瀬戸内寂聴さん死去、99歳・・・・「源氏物語』「夏の終わり」
2021/11/11 14:13

 女性の情念を描いた数々の小説や「源氏物語」の現代語訳などで知られる作家で文化勲章受章者、天台宗僧侶の瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)さんが9日午前6時3分、心不全のため京都市内の病院で亡くなった。99歳だった。告別式は近親者で行う。

 徳島市生まれ。20歳で結婚し1子をもうけたが、作家を志し出奔。丹羽文雄主宰の同人誌「文学者」に参加し、1957年にデビューした。当初は大胆な性描写で批判も受けたが、伝記小説「田村俊子」で田村俊子賞、自身の不倫関係を基にした「夏の終り」で女流文学賞を受け、地位を確立。作家・岡本かの子の生涯に迫る「かの子 撩乱(りょうらん) 」や、婦人解放運動家・伊藤野枝の伝記小説「美は乱調にあり」など、女性の愛と性を見据えた作品を次々に発表し、流行作家となった。

 73年に岩手県の中尊寺で得度し、法名「寂聴」を得た。翌年、京都に自坊「寂庵」を結び、87年から2005年までは岩手県二戸市の天台寺住職も務め、それぞれで法話の会を月に1回開くなどし、悩みを抱える人々を励ました。

 出家後は仏教小説や古典で新境地を開き、1992年、一遍を描いた「花に問え」で谷崎潤一郎賞、96年には西行の人生を追った「白道」で芸術選奨文部大臣賞。6年がかりで現代語に訳した「源氏物語」(全10巻)はミリオンセラーとなった。2001年、「場所」で野間文芸賞、06年に文化勲章。90歳を超えてからも高齢期の性愛を扱う長編小説「爛(らん)」や、自らの臨終がテーマの「死に支度」などを刊行した。

 

 

夫の教え子と恋に落ち、3歳の娘残し家を出た瀬戸内さん。。。僧侶の後半生は新たな境地に 2021/11/12 00:26

激しく愛し、生きた
――。作品に描いた女性たち同様、情熱のままに生きた瀬戸内寂聴さんが9日、99歳で亡くなった。作家、僧侶の枠にとどまらぬエネルギッシュな活動と発信力で、最晩年まで現役として活躍していたが、10月中旬から体調を崩して入院していたという。

 原点にあったのは戦争体験だった。終戦を迎えたのは中国・北京。夫と故郷の徳島に引き揚げて初めて、母親が防空 (ごう) の中で焼け死んだと知った。

 悲しみと敗戦国の惨めさを味わう一方、日本は民主国家に生まれ変わり、「書きたかった小説を書いて、新しく生き直したい」との思いがわき起こる。学者だった夫の教え子と恋に落ち、「小説家になります」と告げて家を出た時、残した娘はまだ3歳。後に「戦争がなかったら、夫以外の人を好きになることも、娘を捨てることもなかった」と語った。

 51歳、すでに売れっ子作家だった時の突然の出家は、公私ともに行き詰まった末の行動だった。「良い小説を書くため、文学の背骨になる思想が必要」というのが理由だ。「寂聴」の名を授けたのは、大僧正だった作家の 今東光(こんとうこう) 。「森羅万象から出る音を、心をしずめて聴く」という意味の「出離者は (じゃく) なるか 梵音(ぼんのん) を聴く」の言葉にちなんだという。

 僧侶としての後半生は新たな境地に入る。京都・嵯峨野の自坊「 寂庵(じゃくあん) 」で続けた法話や写経の会では、様々な人の思いに耳を傾け、励ました。連合赤軍事件の永田洋子元死刑囚、大麻事件で逮捕された俳優の萩原健一との交流なども話題になった。

 昨年2月以降、寂庵での法話の会はコロナ禍で中止。外出の機会は減ったものの、新聞や文芸誌の連載を続け、最近も秘書のインスタグラムでは、秘書の子供と一緒に遊ぶ写真などが公開されていた。

 来年1月には、新潮社から「瀬戸内寂聴全集 第二期」が出版される予定だ。その内容を紹介する文章には、「私にとっては、生きることはひたすら書くことにつきます。(略)全巻を前に、ああ、もう死んでもいいとため息をついています」とつづられていた。

 

黒柳さんに「こんなことまで書いちゃうんだ!」という作家が尼さんに」…寂聴さん悼む声、各界から 2021/11.11 22:51


小説や宗教という枠を超え、多くの人に影響を与えた寂聴さん。その死を悼む声が各界から届いた。

 半世紀にわたり交流した美術家の横尾忠則さん(85)は「何でも好き勝手に言い合える身内のような人。もう冗談が聞けないと思うと寂しい」と話す。新聞連載小説「幻花」などで挿絵を担当。温泉やゴルフ、旅も共にし、最近まで週刊誌上で往復書簡を続けていた。「誰に弔辞を読んでもらおうか、と自分の葬式について喜々として話していた。覚悟はしていたが、来年の100歳の誕生日は迎えてほしかった」

 女優の黒柳徹子さん(88)は「みんなの味方が、亡くなった。こんなことまで書いちゃうんだ!という小説家が、尼さんになった。尼さんになっても『書いちゃおうかな』と言って書いていらした。百歳近くまで尼さんで、説法しながら恋愛小説を書く。日本は面白い国だと思う。でも、もうお会い出来ないと思うと悲しい」とコメントした。

 また、作家の林真理子さん(67)は「女性作家にとっては精神的支柱ともいうべき方で、残念でなりません。現代小説から歴史小説、源氏物語まで活躍は多岐にわたり、メディアにも多く登場なさった。作家という枠を超え、多くの方に愛され親しまれた方でした」とするコメントを出した。

 作家の平野啓一郎さん(46)も「私小説の傑作から女性たちの評伝、『源氏物語』の現代語訳や文壇の回想録など、作家として豊かな活動をされた。大学時代に作家デビューし、世間知らずだった僕に色々なことを教えてくれた方なので、寂しいし悲しい」と悼んだ。


  
瀬戸内寂聴さん死去 99歳 文化勲章受章者
2021年11月11日 13:07


女性の業を描いた小説や文学者・宗教者の評伝、「源氏物語」の現代語訳など幅広い作品で知られる作家で、文化勲章受章者の瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)さんが119日午前63分、心不全のため京都市内の病院で死去した。99歳だった。お別れの会を予定しているが日取りなどは未定。

徳島市生まれ。北京時代の結婚生活を基とした「女子大生・曲愛玲」で新潮社同人雑誌賞を受賞した。妻子ある不遇な作家との恋愛を題材とした自伝的小説「夏の終り」で女流文学賞を受賞。自我に目覚める戦後の新しい女性の先駆者として幅広い人気を集めた。

流行作家の多忙さと恋愛関係のもつれから1973年に得度、法名寂聴を名乗る。京都に「寂庵(じゃくあん)」を構え、法話などに取り組み、岩手県の天台寺住職も務めた。2014年にがんを患うなどして療養生活を送ったが、晩年まで精力的に活動を続けた。

日本経済新聞に7172年に小説「京まんだら」、9798年に小説「いよよ華やぐ」、925月に「私の履歴書」、0711年に評伝エッセー「奇縁まんだら」を連載した。





    

    
(森敏)

追記:どこかの記事で読んだが、生前寂聴さんが一番気にっていた自著は

「美は乱調にあり、諧調は偽りなり」 と

「源氏物語」

なんだそうである。

秘密

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