WINEPブログ
久しぶりに面白い本を読んだ。面白すぎて、一字一句染み入るように読んだ。
御徒町の臨時の古本屋を気まぐれにのぞいていたら、なんと「寺田寅彦」というハードカバーの本が見つかった。急いで手に取ると、平成2年(1990)発行だが全くの新品で、定価2500円のものが300円と気の毒なぐらい安値で売られていた。300頁の力作である。
本の腰巻きには「物理学者でありながら詩人の感性を持った名エッセイスト寺田寅彦の静謐な生涯」とある。
本には小さく [60年に及ぶ研究成果を問う] という副題がつけられており、著者紹介欄によれば著者の太田文平氏は、日立製作所、日本大学経済学部、名古屋商科大学を1989年に退任後この本の作成に注力したということであるが、長年にわたる、緻密な資料収集や存命していた多方面の寺田寅彦との関係者へのインタビューを重ねて、このかゆいところに手が届くような「寺田寅彦」伝を上梓したようである。著者は1916年生まれで1999年に亡くなられている。この間寺田寅彦との接点は皆無ということである。
ちなみに寺田寅彦は明治11年(1878年)に生まれ、昭和11年(1936年)に亡くなっている。つまり著者が20歳になるまでの間に寅彦は生きていたのだが互いに会うチャンスは、全くなかったわけである。というよりは、著者は1938年名古屋高商(現名古屋大学経済学部)卒なので、それまでに強く寅彦との接触を意識することがなかったはずなのである。だがこの著者は、寅彦の日記に即して、時系列的に実に綿密な考証をしている。
大学に入ってから知ったことであるが、寺田寅彦の幼少時の高知の住所は、江ノ口川べりで、小生が幼少時に住んでいた高知市旭駅前町から歩いて20分もしない距離である。また、これも偶然であるのだが、小生が25歳での新婚当初の住まいは、曙町の寺田寅彦の長男である寺田東一という表札がかかった家の四つ角を介した斜め向かいの邸宅の小さな離れの借家であった。ここの家主は「スポック育児書」の紹介者で有名な東大医学部小児科の高津忠夫教授であった。曙町には学者や文化人連中が多かったように思う。
現在、江ノ口川の移設された寺田寅彦の実家の門前に、高知県出身の植物学者牧野富太郎の書として掲げられている「天災は忘れられたるところに来る」という言葉は、寅彦のどの書物にも書かれていないが、こういうたぐいのことを寅彦はしばしば口では言っていたということである。寅彦と富太郎が大学構内ででも直接会ったという記録はないようであるが。
寺彦の後輩の物理学者である有馬朗人氏は詩人でも有名であるが、その彼が言うには、「つくづくと、寅彦は50年生まれるのが早すぎたがゆえに、様々な分野を開拓しながらも、その成果が世界水準にまで育たなかった。そして掘り下げ方が浅いことも多く、寺田物理学を趣味的と思わせてしまったのであろう。しかし今日生きていれば、地震学、海洋学、さらには公害問題においても、その有り余る才能を発揮できたであろう。フラクタルとかファジー理論とか、寺田寅彦の学風にうってつけである」(寺田寅彦の復権)。
小生の東大物理学科出身の知人にも、寺田寅彦の物理学を「お茶の間物理学」と揶揄する人もいる。
寺田以降、世界の物理学の本流は量子論や量子天文学に向かっているようだが、小生には自然現象の観察(素朴実在論)から抽象化、本質論へと理論構築していく寅彦やその弟子の中谷宇吉郎の発想は今でも非常に魅力的である。生物学者にとってはまだ量子論は少し距離があるニュートン力学の世界だからだと思う。天文学者が「命の起源を探るために」と称して小惑星イトカワに人工衛星を飛ばしている。成果が不明なので、今度は「宇宙の起源を目指して」と称して新しい人工衛星を飛ばしたがっている。だが、小生はあまり感動しない。もっと身近な地球の物理現象例えば地震・津波・温暖化対策などでやることがいっぱいあるだろう!と言いたくなる。
さて、寅彦の死後75年たって起った東日本大震災と連動して起った福島第一原発事故に対して、寺田寅彦が生きていたら、なんとうめいたであろうか? この本を読みながらつくづくと考えたことである。
以下これまでにwinepブログでも寺田寅彦については触れてきた。
- 2014/02/01 : 絵画展雑感
- 2012/07/21 : ヒッグス粒子発見に思う
- 2011/01/08 : 「藤の実」爆弾
- 2010/12/24 : 寺田寅彦による実験コーナー
(森敏)
付記:上記の文章は昨年末に書いたものである。
今日の中共コロナ(COVID-19)問題に対して、
もし寺田寅彦が生きていたらどう社会発言するだろうか?
得意の統計学を繰り広げて、日本政府の拙劣な
PCR検査数や、抗体検査数や、抗原検査数について、
痛烈な批判をするに違いない。
「わたしや、あなたの周りを、うろうろしている誰が
COVID-19に感染しているかが、
さっぱりわからないのに、
どうしてロックダウンを解除できるんですか?」と。