2008-09-01 06:09 | カテゴリ:未分類

「昭和」を点検する を読む

 

8月の最後の日に保坂正康+半藤一利「昭和」を点検する(講談社現代新書) を読んだ。

 

本書は副題に「なぜ、無謀な戦争に突入していったのか」とあるように、日本が太平洋戦争に突入していった原因を戦前・戦中・戦後の天皇・軍中枢部の人達の動向に関して、二人(保坂、半藤)のこれまでの豊富な歴史資料点検の知見の上での対談記録である。

 

対談の最期には、

保坂 結局私たち(筆者注:日本人)は状況追随者でしかないということです。状況追随の中でしか政策選択を出来なかったと言うこと。それが昭和史の基本的な問題だと思うんです。

・(略)

・(略)

半藤 そう、「昭和の点検作業」は、まだまだこれからなんです。

 

という二人の言葉で対談は括(くく)られている。

 

これを読んでいてつくづく思ったのだが、現在も先の大戦の戦前・戦中・戦後と同様、日本国民には「戦略的思想」がほとほと欠落しているのではいないだろうかということである。外圧に任せて、「こうとなっては“仕方がないから”政策転換せざるを得ないだろう」という気分が蔓延(まんえん)していないだろうか。つまり <一億総状況追随主義者> でないと言いきれるだろうか。

 

さすがに自然科学を扱うサイエンスの世界に従事する日本の研究者は全くそうではない。真の研究者は流行を追わないでわが道を行く。しかし、政策立案などの政治に一番近いところにいる <人文社会科学の領域> や <社会科学と自然科学を連携する領域> での研究者は本当に戦略的思想をお持ちだろうか? 我が輩にはこの方面の研究者の「戦略的研究」成果が全くといっていいぐらい見えない。政策のあとづけの評論家は昔からたくさんいるが、たとえば、向こう25年間の大胆な政策を提言できる研究者が一体何人いるだろうか?

 

現在問題になっている、年金、消費税、医療、派遣労働対策などの一体となった総合政策はどうあらねばならないのだろうか? この方面の研究者には明快な方針を早急に示してもらいたいものだ。

 

現在、日本学術会議は健気(けなげに)時局に応じて、細かな勧告や提言を行っている。我が輩に入ってくる学術会議からのメール情報から察するに、1ヶ月に1つは社会や政府に対して学術会議はアピールを出している。そしてそれらの勧告や提言の内容が、時には福田首相や文科大臣に学術会議会長(現在は金沢一郎氏)から手渡されてはいる。しかし、それらがその後の政府の政策に実際に一体どのように反映されただろうか? 結果が研究者ばかりか国民にはなかなか見えていないと思う。だいたい学術会議がそのようなアピール活動を結構な頻度で行っていることさえ国民は知らないだろうから。

 

学術会議が行う勧告や提言のうち、どれが採用されて、どれが採用されなかったのかに関して、学術会議自身による検証過程が全くないように思われる。言いっぱなしではどうしようもないのではないか? 学術会議の自己満足に終わってはいないだろうか? せっかくの研究者達の努力の結晶が官僚によって適当につまみ食いされて、白書や予算要求用の作文に利用され、あとは用済み・廃棄処分として、文科省や首相官邸の廊下に放置されているのではないだろうか? そうでなければいいのだが。

 

とにかくどこかのシンクタンクでも良いのだが、日本の将来を領導する大胆な政策提言がほしいものだ。その提言の内容は 『こうなるだろう』『こうならざるを得ないだろう』という“状況追随”的な受動体でなくではなく、『こうすべきである』という能動体のものであってほしい。また政党の政策ならば『こうする』と断言してもらいたいものだ。

 

首相が『そうありたいものですね』などといつまでたっても評論家風ではいけませんね。

 

 

(管窺)

秘密

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