2008-08-22 06:27 | カテゴリ:未分類

白山市立松任中川一政記念美術館

 

    石川県立大学に所用があって、北陸本線松任(まっとう)駅に降り立った。少し時間があったので、喫茶店にでも入ろうかと、改札口を出て周りを眺めていると、駅の左50メートル向こうに、『松任中川一政記念美術館』の文字が目に飛び込んできた。JRで来たときには、いつも松任駅前ですぐにタクシーを拾うので、今まで一度もこの美術館の存在に気がつかなかったのだった。

 

    前身の石川県立農業短期大学の時代から、石川県立大学に来るときにはいつも泊まる松任グランドホテルのロビーに、中川一政画伯の個性的なタッチの美しい『バラ』の絵が架かっているので、なぜここに中川一政の絵なのだろうと、いつも不思議に思ってもいたのだった。

 

    そこで、松任中川一政記念美術館の受け付けで、

「なぜここ松任の地に中川一政美術館があるのですか?」

と、うかがうと、

「実は中川一政さんのお母さんが、松任の出身なんです」

という返事が返ってきた。それで納得した。中川一政美術館は、実はもう一つ真鶴にもあるとのことである。知らなかったのだが、今はそちらの方が有名のようである。

 

    閲覧室に入って、一政画伯の略歴を見ていて、生まれが東京都本郷区西片町であり、誠之(せいし)小学校に学んでいたと知って急に親しみを覚えた。実はわがWINEPは文京区西片にある。文京区はむかしは本郷区といっていたようである。したがって彼はこのWINEPの近くに住んでいたことになる。誠之小学校は江戸時代以来歴史が古く、これまでにも各界に赫赫たる名士を輩出している小学校である。ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎もこの小学校の出身である。中川画伯が既存の画檀に属さずに画風を築いていったのには、この小学校ののびのびとした教育の成果なのかも知れないと思ったことである。

 

   平日の真昼の時間帯に、参観者は小生1人であった。ゆったりと絵を見せてもらった。絵に関しては、数多く手がけられている『バラ』の絵以外は、あまり小生の好みではなかった。初期のころはルオーの影響を受けているように思われたが、展示されているものだけからは画風というものの変遷がよくわからなかった。実は中川画伯は専門の芸術系の大学を卒業していない。悪く言えば自己流である。

 

   ただし多分絵筆で描かれていると思われる、数多くの習字の書体はなかなか味があると思った。内容が少し説教調であるのが、小生のように少しは齢(よわい)を重ねた者には、気になった。非常に含蓄のある言葉であることは事実なのだが。

 

   館内に設置された書架の中には97才まで生きた中川一政著の膨大な数の書籍(数十冊はあろうか)があったので、次回に来たときは少し勉強してみようという気になった。82歳の時に文化勲章をもらっているので、多くの人を引きつける何かがあったのだろう。彼の名は小生の絵画鑑賞暦と読書暦からすっぽりと抜け落ちている。まだまだ学ぶことがあることを実感させられた1時間であった。

 

   絵や習字やその書かれている内容から、良い意味での“デイレッタント”という言葉が脳裏をかすめた。いわば江戸の粋な趣味人とでも言おうか。

 

(森敏)

秘密

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