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2019-01-04 16:48 | カテゴリ:未分類

大学の大先輩から「森さんボヘミアンラプソディーという映画見た?」と聞かれたときは、「気になってはいるけど、最近の映画は “はずれ” が多くてどうしようかと逡巡してます。それに映画館で1時間以上も座っているのは苦痛なもんで。。。。」と答えておいた。

 

だが、新聞の映画広告の欄を見ると、東京の多くの映画館では、意外にこの映画は珍しくもロングランを続けているようなので、とうとう年末に見に行くことにした。観た後、この映画は “あたり” だと思った。

  

唐突な感想のようだが、この映画で小生は「ファシズム」を強く連想した。ファシズムといってもヒットラー時代のクラシックな意味での「大衆扇動」ではなく、非常にエレガントでエモーショナルな "深層心理操作" の恐怖を感じた。

   

映画ではロックバンド「クイーン」のリードボーカルのフレデイ・マーキュリーが主人公であるが、作曲、曲目の編成、曲に合わせた舞台動作の振り付けなど、ありとあらゆる1970年代当時のロック演奏の技法開発の舞台裏が紹介されている。今では数万人の聴衆が参加する野外や室内演奏会は日本でも普通のようだが、これは恐ろしいことだと、真に背筋が寒くなった。

 

というのも、この映画を見ながら小生自身が、演奏に引きずり込まれて、思わず筋肉が躍動し涙腺が緩んできたからである。映画でさえそうなんだから、演奏会現場にいる人間は、フレデイーの一挙手一頭足によって人間心理の深層を揺さぶられているのだろう。参加している聴衆全員が、フレデイーによって心理操作されて、何かを手にもって左右に振って、泣いたり、笑ったり、絶叫したりする光景は、現場ではもっともっと迫力があるのだろうと理解できた。

 

このボヘミアンラプソディ―の場数を稼いで洗練されていく演奏会のあと、この演奏曲目の部位やその時の反響(大衆の喜怒哀楽の表情など)を、あらゆる芸能分野のプロヂューサーが詳細に分析して、後世の舞台環境の創作に反映していったことは容易に想像できる。

 

40歳以上の知人がいい年をしてさるコンサートの追っかけをして、結婚もしないでいることが理解できなかったのだが、少し理解できたような気がする。

 

「共鳴」とか「共感」とか「絆」という言葉が無条件(アプリオリ)に “善” として語られることが多いが、これらの言葉も今や危険を内包している。

 

人間はよほど精神を鍛えても決して精神的に自立できないのだということを確信した。時代を潜り抜けてきた年寄りが正常な常識を抱いているというのもAIの発達した時代には、怪しい自我自賛になりつつある。我々はたやすく心理操作されうる対象であることを、肝に銘じなければならないと思ったことである。

 

心理学や精神分析学や脳科学の驚異的な発展途上の現代社会では、われわれの日々の感性を深く揺さぶるフェイクニュースに惑わされないでいることも、実に実に至難の業である。
  
      
(森敏)

秘密

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