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2018-11-02 21:18 | カテゴリ:未分類

以下、さる学会中での昼食での雑談の一部です。

  

MS:なんだかあちこちとんがった世の中になって、人々のこころに余裕がなくなってきたように思うがどうかね。

 

MK:この世の中、知能指数(I Q: intelligent quotient)の高いと称する人間がやることが、日本ばかりでなく世界を破滅に向かわせているのではないか?

 

MS:そうだね。人物評価の基準に使われる I Q って、ごくごく人間の一側面しか見ていない。国が破滅に向かわないためには、ほかの適切な人物評価の基準が必要だよね。

 

MK:I Q の対極に E Q ってのが提唱されているよ。これは emotional quotient の略だ。感性とか情緒とか、心とか、もやもやとしたわけのわからないものをはかる基準だ。

 

MS: それはいいね! E Q E emotional よりも elegant の方が僕にはぴったりくる。美意識とか、審美眼とでもいおうか。プラトンやダビンチやゲーテは極めて古典的な意味で古くから I Q E Q を統一的に体現した人物とみなされてきたといえるんじゃないか?

 

MK:科学論文の評価もギシギシと論理的に組み上げたデジタル情報の集積した起承転結のメリハリのついた論文を評価する一方、また違った基準の評価が必要になっていると近頃は強く思うね。「それは美しいか?」だ。

 

MS:研究者にとっては、まず対象を研究すること自体が「面白い」というところから出発しているのだろうけれど、面白いという心の深層には、美しさの法則性を見つけたいという、欲求があるんじゃないだろうか? 天・地・人は美しいはずだ、という期待があるんではないか。この点では科学も芸術も基準は同じなのではないか。

 

MK: 話がいきなり飛ぶけれど、 I Q E Q のほかに、Q が付く言葉から 阿Q って言葉を連想したよ。魯迅の「阿Q正伝」からだ。主人公の 阿Qの 認識の構造パターンは、自分がいくら揶揄(やゆ)されていても、いくら貶(おとしめ)められていても、そうとは考えずに、常に自分は正しく、いつも自分が褒(ほ)められているのだ、と、感情のベクトル変換をする人物なんだ。最後は市中引き回しの刑をうけ、銃殺処刑されるのだが。こういう自己中の人物が一番付き合いにくいよね。頑迷固陋(がんめいころう)の老人は自意識過剰でそうならないように自戒すべきだ。

 

MS: いや若者こそがそうならないように警戒すべきなんだ。オリンピックとかで、やたらに「ニッポン、ニッポン」と元気な日本をあおる若者には辟易するね。

 

MK: 日本国家予算の負債が1000兆円と年関予算の10倍という全くの大赤字で、どこにも余裕がないはずなのになのに、外交で世界中に金をばらまいたり、要らない高額の戦闘機や迎撃ミサイルを買ったり、なんなんだろうねこの国は。しかもそれを未来を担う若者が批判しない。

 

MS: いや君、今気が付いたんだが、おたがい、若者を批判し始めたら、老害の始まりだよ。紀元前のエジプトの粘土板ロゼッタストーンにもそういう文章が書かれていたというじゃないか。お互い年取ったね!

 

秘密

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