WINEPブログ
以下のビデオを見てください。約20分の毎日新聞による藤井聡太君へのインタビューです。
https://mainichi.jp/movie/video/?id=121617199#cxrecs_s
藤井聡太君の、インタビュー応答は、その都度以下のどれかの出だしで始まります。
あ、そうですね
あー、そうですね
んー、そうですね
ま、そうですね
そうですねえ
あー、はい、そうですねえ
んー、まあそうですね
あ、まあ、そうですね
これって、結構羽生名人のインタビューにそっくりですね。
「そうですね」といって、時間稼ぎしているときに、脳がフル回転しているようです。本人は無意識に発語しているようですが。小生には結構聞き苦しい。まだ若いのに本当に気の毒だよ。
現代の各方面の名士たるものは、マイクやカメラを向けられてのインタビューに対して、動じないように幼少のころから鍛えておかないといけないかのごとくだ。インタビューの受け方がうまいからと言って本職の実力とは全く関係がない。しかし、現今ではとにかく名士はテレビに顔をさらす必要があるようだ。囲碁や将棋などのゲームは基本的に形式論理学だから、使っているのは言語脳だと思われるので、藤井君は成長するにつれてきっとインタビューがうまくなると思う。
一方、スポーツマンなどは演技そのものの成果で評価してもらえればいいのであって、相撲の力士のインタビューなどは朴訥(ぼくとつ)なほど好ましいと思う。言語脳と体育脳は全く別だろうと思うからである。
「見ての通りです」の一言でいいのではないか。
また、話が少し横道にそれるが、一方で、ノーベル賞学者の山中伸弥さんが、部下のデータ改ざんで、対応に追われて、何回もテレビの前で釈明させられている。自分の月給を削るとか、つまらぬことに神経を使わされて、気の毒で見てられない。今後も続々とデータ改ざん者が出てきて、そのうちテレビでの釈明のエキスパートになるのかもしれないですね。悲劇だ。iP細胞研究所長などやめて、さっさと元の研究者に戻ったほうが、人生ハッピーじゃないか。過去に部下のフェイク論文のせいで、馬鹿らしくなって有名な研究所長を辞めた人は外国にいますよ。得意でもない所長職に祭り上げられて、そのガバナンスで疲れ切って、日本国に殉ずる必要はないと思うよ。戦前の「滅私奉公」の時代ではないんだから。
「人は、無能化するステージまで、出世させられる」は、小生の持論でもあります。
(森敏)
追記:以下のスケートの金メダリスト小平奈緒選手へのインタビューで、彼女の自然体の教養の深さに感動しない人はいないだろう。(無断転載です)
小平が会見
平昌五輪のスピードスケート女子500メートルで金メダルに輝いた小平奈緒(相沢病院)が19日、平昌で記者会見に臨んだ。所属先の相沢病院や銀メダルの李相花との友情について語ったほか、フィギュアスケート男子で連覇した羽生結弦選手から「勇気をもらった」とも述べた。主な一問一答は次の通り。
· ――今のお気持ちは。
「そうですね、500メートルのメダルセレモニーはまだなのですが、私の夢に描いていたもので、うれしい気持ちでいっぱいです」
――ご家族と話をしましたか?
「まだ連絡は取っていません。昨夜レースが終わってドーピング検査を終えて宿に帰ってきたのが12時過ぎで、今朝も早かったので」
――どういうことを伝えたい?
「よかった時も悪かった時も、認めてくれたことを感謝したいと思っています」
――早く金メダルには触れたいですか?
「金メダルをもらうのは名誉なことですが、どういう人生を生きていくかが大事になると思う。メダルという形は周りの皆さんにとって、私が戦ってきた証しなので、見ていただきたいという思いが強いです」
平昌五輪のスピードスケート女子500メートルで金メダルに輝いた小平奈緒(相沢病院)が19日、平昌で記者会見に臨んだ。所属先の相沢病院や銀メダルの李相花との友情について語ったほか、フィギュアスケート男子で連覇した羽生結弦選手から「勇気をもらった」とも述べた。主な一問一答は次の通り。
――今のお気持ちは。
「そうですね、500メートルのメダルセレモニーはまだなのですが、私の夢に描いていたもので、うれしい気持ちでいっぱいです」
――ご家族と話をしましたか?
「まだ連絡は取っていません。昨夜レースが終わってドーピング検査を終えて宿に帰ってきたのが12時過ぎで、今朝も早かったので」
――どういうことを伝えたい?
「よかった時も悪かった時も、認めてくれたことを感謝したいと思っています」
――早く金メダルには触れたいですか?
「金メダルをもらうのは名誉なことですが、どういう人生を生きていくかが大事になると思う。メダルという形は周りの皆さんにとって、私が戦ってきた証しなので、見ていただきたいという思いが
――お父さんが「人間形成は周囲の人々のお陰」と言っていました。相沢病院に一言お願いします。
「私は本当に人に恵まれた人生だったと思っています。相沢病院との出会いは必然であり偶然。本当に苦しい時も、成績よりも私の夢を応援してくれた。患者さんや職員の方々で喜びを分かち合えればと思っています」
――韓国の李相花選手との友情を、改めて教えてください。
「彼女は本当に、ワールドカップの時から仲良くしてもらって、スケートに対する思いは素晴らしいものを持っていて、学ばせてもらいました。私がだめで彼女が優勝したときに、私は滑走後のクーリングダウンで泣いていて、彼女は一緒に泣いてくれたので、私も気持ちに寄り添いたいなと思いましたし、彼女のお陰で次のステップに進めることがあったので、彼女との友情は深まってきたのかなと思います」
――(今年1月に亡くなった)住吉都選手への思いがあったら教えてください。
「(目を赤くしながら)正直、彼女のことは何度も何度も思い出すことが多くて、やっぱり考えないようにしていても、常に頭に浮かんでしまっていたので。それでも主将として、レースに集中して臨まなければいけないと考えていました。これは言っていいか分からないですが、住吉選手が『奈緒が金を取ったら私が取ったのと同じ』と言っていて、救われたような思いだったのですが、こうやって金メダルを取ることができて、本当は本人に報告したかったのですが、できないのは残念だと思います」
――(海外メディアから)五輪は選手の物語が現れる場だと思います。他国の選手との友情や、国を代表する誇りなどがあります。それぞれについて、どう思っていますか?
「そうですね。国に対しての誇りは、やはり日本でスポーツの専門家がたくさんいたり、独特の知恵で高めようとしているところに日本らしさがあると思っています。それは日本人の勤勉さのようなところには誇りを持っています。また、他国の選手とは、スポーツは言葉のいらないコミュニケーションだと思っています。世界の人たちの心を動かしますし、競い合って高め合っていく中で、スポーツの究極の姿が人々を動かすと思うので。競い合うことも大事なんですけど、国の文化や言葉を知ることで、さらにスポーツの楽しさが増すといいますか。他の国の選手はどんな思いを持っているのか、どんな文化を持っているのか知ることは、その競技を高めるために必要だと思っています」
――今回の五輪、どんなアプローチがあったから金メダルを取れたと思いますか?
「やはり大学1年生から結城匡啓先生、チームメートと積み上げてきたものが鍵になったと思います。気づきや発見をしっかり共有しながら、お互いにいいところ、悪いところを指摘しながら自分たちの発見を伸ばしてきたというか。そういったところがつながったのかと思います」
――(メダルを取れない)主将のジンクスもありました。どのように主将を受け入れましたか?
「正直、主将の打診を受けた時には恥ずかしがり屋ですし、人前に出るのは苦手なので、金メダルを取れないという話も聞いていたんですけど、先生に説得されて、『奈緒にしかできない』と言ってもらえた。将来に生きてくることを納得できたので、その後はジンクスはあまり気にせず、気にならないぐらいやるべきことに集中できたと思う。自分自身の競技を終えて、チームの応援に回りたいと思っている。男子500メートルを応援しに行きたいと思っています」
――ノートに記録していると聞きました。どんなことを記録しましたか?
「まだ書いていません。滑りのビデオを振り返りで見ていたんですけど、まだ書いていません。これからゆっくり振り返りたいと思っています。1500、1000メートルの学びは多くて、500メートルに向けて修正しなければいけない点は、1000メートルで得ることができたので。ノートに書いて次の挑戦につなげたいと考えています」
――次の挑…