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2018-12-07 11:33 | カテゴリ:未分類

上野の国立博物館の東洋館の一室で中国の斉白石という画家の展示会が開催されている。ありがたいことに70歳以上は無料である。途中から作品の入れ替えがあるということなので期間をおいて2回見学した。掛け軸では、花・木・野菜や池に住む水中生物の実に闊達な農村風景画があった。日本で有名な仙厓和尚の漫画的なユーモラスな筆の人物のタッチの作品がいくつかあった。それでそういう絵ばかり描くのかなと思って順路に沿ってみていったら、ガラス箱の展示に何種類かの昆虫の細密画があった。小生がいつも気にしているジョロウグモも描かれていたので興味を持って覗き込んだ。

   

小さな昆虫のいずれも実物大!での超細密描写なので超絶技巧だ。いったいどんな筆と墨で、こんな細密画が書けるのか想像を絶する。昆虫は全部日本でもおなじみの農村の生き物たちだ。それを原寸大に(!)実に精密に描いている。赤トンボの翅やセミの翅の骨組みなど驚異的な透明感だ。日本人にも白米にお経を百文字書く人物もいるということだから、何も珍しいことではないのかもしれないが、小生には実に珍しくてまざまざと見入ってしまった。

  

写真を撮ってもよさそうだったので、ショーケースのガラスにカメラをくっつけて数倍に拡大鑑賞しながら一つずつ部分拡大写真を撮っていたら、係員が来て、ガラスにカメラを置かないでください、と注意された。

 

帰りに1階の出口の土産物店を子細に眺めていたら、なんと斉白石の細密画だけを集めたB4版ぐらいの大きさのハードカバーの写真集がビニールで厳封されて販売されていた。だから中身が見られなかったのだが、超細密画を特別にとらえる鑑賞眼もあるのだなと、なんとなく納得した。

  

以下に示すのは小生が撮影した斉白石の昆虫の超細密画の画像です。著作権侵害にはならないでしょう。

     

斉白石は1864年(明治維新前!)に生まれて、1957年に死亡している。その間1930年に中国では内戦が始まり19494月に中国共産党が樹立している。斉白石は毛沢東や周恩来に高く評価されていたらしいが、幸いなことに約10年続いて1976年に終了した文化大革命の文化芸術に対する中国全土的な紅衛兵による破壊活動を経験していない。真にハッピーだったなあ、と思ったことである。93年も生きているので膨大な作品があるはずだけれど、それが全部無事に文化大革命を経過して破壊や廃棄されずに保存されているとはとても思えないのだが。
     

南画なぞとはちょっと異なった、強くは自己主張しない中国を感じた。

    
 
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 晩年の斉白石

  
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(森敏)
2018-11-26 15:22 | カテゴリ:未分類
 昨年の今頃、浪江町の林内の腐葉土から生えているモミジの実生を見つけたので、ていねいに抜くと細根を傷つけないで根ごとすっぽりと引き抜けた(図1)。
       
 根にがっしりと絡みつく枯葉をていねいに摘み取って、モミジのほかの組織部位などと比較のために放射性セシウム濃度を測定した。
       
 枯葉はモミジの葉の約20倍の濃度であった(表1)。
          
 根から取り切れていないで絡みついている枯葉の断片が、異常に強く感光していることがわかる(図2、図3)。
     
 モミジの実生はこのように落ち葉から直接可溶性セシウムを吸収しているものと思われる。

        

      


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 図2。モミジの実生のオートラジオグラフ。根にこびりつく枯葉の破片が強く感光している。
 
 
 

 
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図3.図2のネガテイブ画像  
 




 
 
 表1. モミジの実生と枯れ落ち葉の放射能
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 (森敏)

 
2018-11-21 22:14 | カテゴリ:未分類

 

      金足農業高校の吉田輝星投手が150Km/hを投げてハム球団に入団した。150km/hの球速があればまずプロ野球業界では使えるようだ。しかし高校野球のピッチャーで活躍した人物は、おおむねプロでの実績を残せていない。リトルリーグ時代から、さらに地方選から甲子園出場までの高校野球で単独で連戦連投して、潜在的に筋肉に疲労が蓄積し、肩や肘を痛めてしまうからであるようだ。

 

      ところで、いろいろなスポーツの中で、背丈の高低内でストライクまでの球速を競う競技は、野球ぐらいではないだろうか。遠くをめがけて重い物を投げるという、砲丸投げ、槍投げ、円盤投げ、などの技法でも、直球では遠くには飛ばせない。直球に使う肩の筋肉、腰の筋肉、手のひらや指の筋肉の使い方は、ほかの投げる動作とは大いに異なると思われる。

 

      その意味では、野球の投手は地球上の生物の中でも、極めて特殊な部位の筋肉を進化させるべくその先端を走っているということなのかもしれない。どんな遺伝子でも100万人にひとりは突然変異株があると我々生物学者は考えるものなので、連投で肘の故障のトミー・ジョン手術: Tommy John Surgery, 側副靱帯再建術)を受けなくても、プロ野球で一定以上の業績を上げる投手は、その代表的な変異株といえるだろう。

 

      オリンピックでのいろいろな競技でも、残念ながら人の世界新記録は、大体いずれかの野生動物の能力には、はるかに劣るものが多い。それぞれの生き物は必死にニッチ(niche:生態的地位)を求めて、数億年をかけて身体的に特殊な進化を遂げて適応してきた種が生き残っているからである。

 

      人類が狩猟生活をするときでも、モノを遠くに投げる筋肉の発達は必要であっただろうが、

ほぼ地面と平行に18.44m(ピッチャーとキャッチャーの距離)を素手で直球を投げるという技術は、さほど必要としなかたのではないか。その前に飛び道具としての弓矢の発達があっただろうから。

  
  

 

(森敏)
2018-11-15 13:05 | カテゴリ:未分類

          一日10000歩のノルマの散歩を兼ねて、文京区の春日町交差点から白山通りをまっすぐ皇居のお堀に向かって下って、神保町交差点の岩波ホールに出かけた。平日なので観客はわずかに40人ほどで、男女半々であった。

      

悠久に流れる大河ガンジス沿岸のヴァナラシ地区は、インドの聖地であり、年に一度の祭日には200万人もの人々が全国から集まるという。インド人の誰もがここで人生の終焉を迎え、ガンジス河に灰を流されたいと願っていると、幾久しく聞いていたので、この映画には興味があった。

   

小生と同様に、「きっと人生の終活の参考になるものがあるのではないか」と、この映画を見に来る人は期待しているのだろうと思ったのだが 、岩波ホールの観客の女性たちは暗闇では結構若く見えた(だけなのか?)のは意外だった。

 

映画では、ある日、家族で食事しているときに、普段から頑固なおじいさんが、突然、「ヴァナラシに行く」と宣言した。これはそろそろ死期を悟ったという宣言である。そして自宅から120キロメートル以上離れた、実に狭いみじめったらしいヴァナラシ沿岸のホテルに到着して、滞在を予約した。15日間以内の短期滞在で、大体の人は解脱(字幕の訳文だが、昇天するの意味らしい)するので、まず最初は15日しか滞在契約できない。主人公のおじいさんは残念ながら滞在期間15日以内ではまだ解脱できずに、その後延長して(何日後かは不明であったが)解脱した。その遺体をきれいに修飾して、家族が神輿に担いで、次第に祝福する気持ちにこころが転換して、手拍子で歌いながら、沿岸の火葬場にもっていく、というところで、この映画は終わっている。

 

また、映画では、おじいさんを心配してついてきて一緒にホテルに宿泊している最愛の息子が「なぜ死期が近づいたと思ったの?」という疑問を投げかけると、おじいさんは「人生に疲れたんだよ。何もかもいやになったんだ。もうどうでもよくなっちゃったんだ」というようなことを、言っていた。若干27歳のこの映画の監督にとっては、これくらいの陳腐な言葉しか思い浮かばなかったのかもしれないが、もう少し気の利いた言葉はないのかね、と少し物足りないと思ったことである。

 

  しかし、わが事を思い起こしてみると、小生の親父も死に際に、ベッドの横にいる小生に対して「もうええがや。。」と土佐弁でつぶやいたので、びっくりしたことがある。最後には「生きる気力が失せる」、ということなのだろうか。そうだとするとこの映画のおじいさんのつぶやきは案外「正解」なのかもしれない。

     
     

(森敏)

付記1:実は20年以上前に、この聖地ヴァナラシの近郊にある  Banaras Hindu Universityという伝統のある大学から、Dr. Klyan Singh教授をたびたび小生の研究室に招聘していた。彼からは、一度Banaras Hindu Universityを訪問してほしいと何度も頼まれていた。しかし、別件でハイデラバードのICRISATInternational Crops Research Institute for the Semi-Arid Tropics国連機構)を一度だけ訪れた時に、ニューデリーとムンバイの市中の「排気ガス」と「聖牛の糞」と「リキシャー」の喧騒には辟易した。なので、彼には悪かったが、それ以来インドには行く気がしないままである。当時はこの大学では軍隊を雇した学内権力闘争が激しかったと聞いていたのだが、いまはこの大学も落ち着いて優秀な人材を輩出していることだろう。インドが世界第1の人口を有する、真の経済大国として日本や中国を抜いて君臨する日もそう遠くはないと思う。

          

付記2:この映画では、ヴァナラシ滞在中に、幸い本人の希望通りに一度死にそうになったおじいさんが、ベッドで「ガンジス河の水が飲みたい」と言ったので、付き添いの息子がわざわざ河岸にコップで水を汲みに行き、その水を飲ませるシーンがある。ヴァナラシ沿岸では、死体が流れたり、洗濯したり、多くの人が沐浴したりして大小便をしていると思われるので、不衛生極まりない。だが、コレラやペストや赤痢やO-157などへの耐性(これらの毒素の分解能)が彼らの腸内細菌には遺伝子の水平伝播で獲得されているので、この「死に水」の場面も許されるのかな・・・・・.などと、俗物的なことばかり気になった。こんなことでは、小生はまだまだ「解脱」には程遠いということかもしれない。

2018-11-12 06:26 | カテゴリ:未分類

  以下の2か月前の記事のように、時々北朝鮮政府は外国の重要人物にマッタケを贈ります。たしか、小泉純一郎首相訪朝の時もマッタケが何トンか送られましたよね。何故だと思いますか? 
 
  それは北朝鮮にはマッタケしか高価な贈答食品がないからです。

  韓国も北朝鮮も壮絶な朝鮮戦争で無数の爆弾が投下されて山がはげ山になりました。戦後北朝鮮では人民に暖房や飯炊きの熱源がないために、さらに焼け残った山林を伐採しました。そのために山に有機物がなくなり、照葉樹林などの豊かな腐葉土を形成する樹種がなかなか育たなく、貧栄養でも育つ「松」のみのモノカルチャーになりました。
 
  松の樹の根系には
菌根菌がまつわり寄生していて、朝鮮半島の屋台骨を形成している貧栄養の花崗岩の山には希少なリン酸をその菌根菌の菌糸が吸収濃縮して松が成長しているからです。ですから韓国の山でその松の木に寄生するマッタケ栽培が盛んなところは、実に一見風光明媚です。その山は厳格に国によって管理されていて、入山して木を切ろうものなら即「死刑!」だと聞かされました。
 
  経済力がないために治山治水が十分ではなく毎年のごとく山崩れや洪水が発生しています。もちろん餓死も。日本でも山崩れは最近の異常気象で頻繁になりましたが、北朝鮮では普段から起こっていることらしくあちこちに露出した山肌が散見されました。砂防ダム建設など治山治水の経済力がないからだと現地の技術者が嘆いておりました。
 

  我々日本人は太平洋上で発生した台風がその進路で日本をよけて、朝鮮半島や中国に向かったら、胸をなでおろします。が、朝鮮半島でどのような被害が発生しているかほとんどマスコミが伝えませんので、日本国民の興味の対象外です。ましてや北朝鮮の悲惨な映像は、世界に発信されません。
   

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北朝鮮キム委員長 韓国に2トンのまつたけ贈る

16:41

韓国大統領府は、ムン・ジェイン(文在寅)大統領の北朝鮮訪問に合わせて、キム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長から、およそ2トンのまつたけが贈られ、20日午前、韓国に到着したと発表しました。

このまつたけは、来週の「チュソク」と呼ばれる旧暦のお盆までに、朝鮮戦争などで南北で離れ離れとなった離散家族のうち、高齢の4000人に500グラムずつ配られることになっています。

まつたけには、「北の山河の香りが感じられるまつたけが、肉親を思う離散家族の皆さんにとって少しでも慰めとなってほしい」とのムン大統領のメッセージが添えられるということです。

北朝鮮は、2000年にキム・デジュン(金大中)大統領、2007年にノ・ムヒョン(盧武鉉)大統領が訪朝した際にも、韓国側にまつたけを贈っています。


 
(森敏)
追記:今月号の文芸春秋には、11ページにわたって1953年板門店での休戦協定時に通訳として参加した、ジョージ・フラー氏による南北朝鮮半島の、コダ・クローム(ASA10)フイルムに撮影された鮮明な写真が、山本晧一氏によって掲載されている。この写真をつぶさに見ると、南北朝鮮を問わず、終戦直後の朝鮮半島の花崗岩の山並みの木、がことごとく地肌を見せてぱらぱらであることがわかる。薪炭用の過酷な伐採や猛烈な空襲による山林火災の故であろう。
 私的記憶では、終戦後の芦屋市の裏山の六甲山(全山花崗岩!)も、こんな状態であった。

 


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