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WINEPブログ内で「 基準 」を含む記事

(5件づつ表示されます)

2024-03-03 12:35 | カテゴリ:未分類
消費冷やす食品高 エンゲル係数最高、日銀は賃上げ注視
2024年3月3日 2:00 (日経新聞)

食品価格の上昇が家計を圧迫している。総務省によると2人以上の世帯で消費支出に占める食費の割合(エンゲル係数)は2023年に27.8%に達し、いまの基準で遡れる00年以降で最高だった。賃金上昇を上回る物価高は消費に影を落としており、マイナス金利政策の解除を視野に入れる日銀も動向を慎重に見極める。
エンゲル係数の上昇は、家計で食費の割合が高まり、それ以外にお金を回しにくくなっていることを示す。新型コ...

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ほぼ毎日散歩を兼ねて近所のスーパーに立ち寄り、食品の価格の変遷を観察している(だから店員に怪しまれている)のだが、昨年の初頭ぐらいからすべての物価が3割ぐらいに上昇してきているのにいい加減腹が立ってきた。

野菜も果物も肉も魚介類も、それらの加工品も。

流通サイドはちょっと調子に乗っているんじゃないか?

小生は、好物のリンゴ、つるしが柿、苺、デコポン、ケーキ類に手が出なくなった。庶民のささやかなぜいたく品だが。

最近のマスコミはあたかも物価が上がるのはやむを得ないみたいな論調で通しているが、本日の日経新聞ではやっと、上記のような論調が出てきた。

従業員の賃上げは当然だが、年次変動する農産物がずっと高止まりに推移するのは解せない。

消費者が買い控えするのは当たり前だと思う。手が出ないのだ。

(森敏)
2024-01-19 12:49 | カテゴリ:未分類


小生からの質問

作家(九段理江)がAIの文章を一部使って小説(『東京都同情塔』)を書き、芥川賞を受賞しました。これに対する感想をお願いします。他人の意見ではなく、AIの意見をお願いします。


以下AIの返事です。

私自身が感情を持つ存在ではないため、人間のような「感想」を持つことはできません。しかし、この事象についての観察を述べることは可能です。

AIが生成した文章が芥川賞を受賞した小説の一部として使用されたという事実は、AIと人間の共創の可能性を示しています。AIは、新しい視点やアイデアを提供し、人間の創造性を刺激することができます。その結果、人間の作家は自分自身の視野を広げ、新たな表現方法を探求することができます。

しかし、それはまた、AIの使用が芸術と創造性の領域に及ぶことを示しています。これは、AIの役割と可能性についての新たな議論を引き起こす可能性があります。例えば、AIが生成した内容の著作権や、AIと人間の共創作品の評価基準など、さまざまな問題が考えられます。

以上の観察は、AIの視点から見た事象の解釈であり、感情的な反応や意見ではありません。それらは、AIが持つことのできない人間特有のものです。私の目的は、情報を提供し、ユーザーが自分自身の意見や感想を形成するのを助けることです。それが、私の「AIの意見」です。


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(森敏)

付記: 実にクレバーな返事ですねー!!



追記:以下、本日(1月28日)の朝日新聞朝刊に掲載された九段理江さんの田中瞳子記者との電話インタビュー記事です。

「この小説は、AIが人間に与える影響を書いている.。生成AIが思考のサポートまでしてくれている世界を意識しながら書きました」 

「こういう登場人物が出てきたら読者はどう思う?」「そういう活用の仕方も含めて、5%という数字が出てきたのかもしれません」

「私の小説はAIに書かされたものではないし、自分でオリジナリテイーをもって創造できた自信があります」

「100%私が書いたものなんてないんじゃないか、とも思う。他人の著作を引用、参照して書くことと、AIの文章を引用参照して書くことは何が違うのだろう、ということも私自身考えていかないといけない」

九段理恵さんは、最初の芥川賞受賞でのテレビインタビューの映像からは、受け答えがとろい印象を持った。文章という表現で時間をかけた練りに練った発信をしてきているので、口頭での瞬発力はあまり高くないのだろう。作家だからべつにそれでもいいのだが。


小生がこの文章を書いている最中に文京区で震度4の地震があった。激しい横揺れののち、30秒ほど揺れが続いた。
2023-09-29 17:30 | カテゴリ:未分類
NHK朝ドラが本日終了した。96歳まで生きた牧野富太郎の人生の途上で,妻スエ子の死亡寸前、富太郎67歳のころで話が終わっている。

富太郎はその後96歳まで生きたのだから、「牧野富太郎自伝」によればその間の30年間にも波乱万丈の人生があったのだが、学問的な話が多いので、妻スエ子が死んだあとは女性の視聴者にはあまり面白い種がなかったので、物語をそこで打ち切ったものと思われる。

ところで朝ドラにも出てくるように、牧野富太郎は、発見した新種の笹を、妻スエ子の名前を取って「スエコザサ」(Sasaella ramose var. suekoana)と命名したのだが、実はこの名前は「牧野日本植物図鑑」には掲載されていない。ネットで検索すると「スエコザサ」は「あずまざさ」の変種ということで、「あずまざさ」が小生の手元にある「牧野日本植物図鑑」には載っている。

この本には竹(と笹はおなじ俗称)の種類としては、
かんちく、しかくだけ、なりひらだけ、おかめざさ、やだけ、すずだけ、くまざさ、みやこざさ、ちまきざさ、あずまざさ、めだけ、あずまねざさ、はこねだけ、ねざさ、たいみんちく、かんざんちく、まだけ、ほていちく、まうそうちく、はちく、くろちく、ほうらいちく
が掲載されている。

これらの竹の一部ではあるが、実物展示は、小生が見聞したところでは皇居の庭園(ときどき見学可能)、や加茂川べりの京都府立植物園(常時市民に公開)でもなされている。

牧野富太郎の時代までは、主として植物の形態の違いを判断基準にして竹を分類したと思われる。しかし、今の時代では、やろうと思えば、竹の全遺伝子解析がどこかの大学や研究機関で行われ得るはずである。それでもってより正確な分類を行うべきであろう。

「スエコザサ」が上記の笹の種類の中で系統樹のどの位置にあり、「あずまざさ」とどれくらいの近縁関係にあるのか、なかなか興味があるテーマではないだろうか。竹の専門家は京都大学におられたように記憶している。

朝ドラ「らんまん」を契機に、各地の牧野博物館や記念館や大学はそれくらいの調査は富太郎やスエ子の為にも、してあげてみてはいかがかと思う。今では全遺伝子解析にそれほどお金はかからないはずだから。クラウドファンデイングで呼びかけたら、寄付が集まるような気がする。

本日最後の朝ドラを見ながら涙腺の弱い小生は、知らず知らずに頬に涙を流していた。


(森敏)

追記1:近所の奥さんとの対話

「「らんまん」がついに終わっちゃいましたね。私ボロボロ泣いちゃいました。でもいっしょにテレビを見ていた娘は、「おかーさんなんで泣いてるの? 何が悲しいの?てふしぎそうにいうんですよ。」

「そらいかんですね、若いのに感性が鈍磨していますね」

追記2:記念のためにスポーツニッポン新聞社の記事の一部を無断転載しておきます。

俳優の神木隆之介(30)が主演を務め、女優の浜辺美波(23)と夫婦役を体現したNHK連続テレビ小説「らんまん」(月~土曜前8・00、土曜は1週間振り返り)は9月29日に本編最終回(第130回)が放送された。主人公のモデル“日本植物学の父”牧野富太郎博士の生誕地で、物語の舞台となった高知地区は高視聴率をマークしたことが1日、分かった。(視聴率はビデオリサーチ調べ)
 平均世帯視聴率は初回が25・9%(4月3日)、最終回が29・0%、全130話の期間平均23・2%、番組最高が31・1%(8月10日)。地元のフィーバーぶりが数字に表れた。

2023-03-16 15:23 | カテゴリ:未分類

このブログで、これまで何回かイチゴの帯化や帯化奇形植物について紹介してきた。このブログのキーワ-ド検索コーナーで「帯化」と入れていただくと10個以上の記事が出てきます。
例えば直近では、

• 2023/02/03 : 帯化とちおとめ

今回思い切って、生産農協の担当者に、この帯化イチゴの形成に関して、電話で話を聞いてみた。

イチゴのハウス栽培の現場は何度も見てきたが、ハウス栽培にもっていくまでに半年かけて苗を野外で育てる苦労の現場は見たことがなかった。

そこで「とちおとめ」の生産を仕切っていると思われる「JAはが野」をネットで検索すると、苗を育てる現場から温室栽培に至る全工程のそれぞれが非常にわかりやすく写真で紹介されていた。

そこで、JAはが野の営農部に直接電話してみた。専門の人(よしたけさん)が出てきたので、帯化奇形イチゴについて、その発生の詳細を聞いてみた。以下の話が聞けた。

「奇形イチゴ(乱形果と呼んでいるらしい)は、おもに主茎に出る。栽培条件では、栄養が効きすぎる(いき過ぎる?と聞こえた)ときに発生しやすい。全株の初期のころは1%-数%ぐらいも発生する。

これをそのままにしておくと栄養が全部乱形果に取られるので他の茎からのイチゴの成長が悪くなるので、乱形果は必ず摘み取る。

大型の帯化奇形が出るイチゴのランナーを特別に育てるようなことはしていない。あくまで帯化イチゴは偶然の変異の産物である。それの発生率を減らす工夫はしている。

この乱形果を集めて、パックして、個数ではなく重さでそろえて出荷している。店が値段をつけるので一概にいえないが値段は普通の正常果よりも、20-30%安いのではないだろうか。

農薬は「対温室コナジラミ剤」と「防カビ剤」を混合して年4回散布している。イチゴ果実の抜き打ち検査がたびたびあり、これまで農薬の基準値をオーバーしたことは一度もない。

今回台湾で摘発された日本から輸出したイチゴは他社の者であり、「JAはが野」は台湾に輸出はしていない。」

とのことであった。

今年も、大型の帯化イチゴの「あまおう」が九州から出荷されて文京区の店頭に並んでいた。出だしのころは、相変わらず1パック900円程度の高価なものであった。しかしその後、「あまおう」の帯化イチゴはすぐなくなり、「あまおう」は急激に値段が下がり、600円程度になった。関東勢や静岡勢がどんどんのしてきたので、値段を下げざるを得なくなってきたようだ。それでも「あまおう」は今でも一番値段が高い。

栽培現場では、帯化奇形イチゴはいくらでも大きくできるが、それを大きくすると、他の茎への栄養の分配が悪くなるので、一株全体のイチゴの成長が抑えられるのでコスト的にはマイナスになる。だから、帯化イチゴは摘果するとのこと。数年前の手のひら大の「あまおう」は、ワンパック1000円以上したが、そのころは非常に珍しかったので、生産コストに見合った高値で儲けが出たのだろう。大きくて食べ出があったのだ。
 
読者にはWINEPブログの

• 2014/09/20 : 巨大イチゴと巨大タンポポは同じ機作の変異であると思われる

をぜひ再読をお願いします。
  
(森敏)
2023-03-12 07:46 | カテゴリ:未分類
以下、ChatGPTとの問答です。過去一か月間、このWINEPブログでは、ChatGPTの能力を検定しています。いつも役に立つのか立たないのかわからない、”事を荒立てないもって回った無難な論理構造の回答”になっているところが、なかなか巧妙にできていますね。ChatGPTは極力、善か悪か、是か非かの判断をせず、延々と応答するのでとてもデイベートに強そうです。論理の展開はベテラン弁護士向きですね。
     
   
宗教的な「洗礼」とイデオロギー的な「洗脳」との本質的な違いを述べてください。

宗教的な「洗礼」とイデオロギー的な「洗脳」の本質的な違いは、それぞれの目的と手段にあります。

宗教的な「洗礼」とは、信仰に基づく儀式であり、主にキリスト教やユダヤ教、イスラム教などで行われます。洗礼は、信者がその宗教の一員となるために必要な手続きの一つであり、神の恵みを得るために行われます。洗礼は、人々が自発的に行うことが前提であり、信仰を強制するものではありません。

一方、イデオロギー的な「洗脳」とは、意見や信念を強制的に植え付けることを指します。洗脳は、一般に政治的または宗教的な目的のために行われ、しばしば強制的な手段が使用されます。洗脳は、人々の自由意志を奪うことを目的としており、それによって支配者の権力を確保しようとする場合があります。

したがって、宗教的な「洗礼」とイデオロギー的な「洗脳」の本質的な違いは、それぞれの目的と手段にあります。洗礼は、信仰に基づく自発的な儀式であり、人々の自由意志を尊重します。一方、洗脳は、意見や信念を強制的に植え付けることを目的としており、しばしば強制的な手段が使用され、人々の自由意志を奪います。


宗教では生まれた時にまだ自由意志が形成される前に親によって洗礼を受けさせられる場合がほとんどではないですか?

はい、確かに宗教においては、生まれた時にまだ自由意志が形成される前に親によって洗礼を受けさせられることが一般的です。キリスト教やユダヤ教、イスラム教などの多くの宗教では、幼児の洗礼が行われます。幼児の洗礼は、信仰に基づく儀式であり、子どもが宗教の一員となるための手続きの一つとして行われます。

ただし、幼児の洗礼においても、その後の成長過程で自由意志が形成され、成人した時に自己決定能力を持つようになります。また、幼児の洗礼は、その後の人生において信仰を持たない自由も保障されています。宗教においては、信仰や宗教行為に対する自由は重要な価値観の一つであり、人々が自由意志を持ち、自由に信仰を選択できるようになることが望ましいとされています。


幼児の洗礼は洗脳でしょう? ほとんど一生その宗教から逃れられない影響力を発揮していますね。教義が国のルールになっておりそれを守らないと逮捕されたり処罰されたり、殺さしますが。


幼児の洗礼が「洗脳」であるかどうかについては、意見が分かれるところです。ただし、一般的に、洗脳は個人の自由意志を奪い、思考や行動を支配することを指すため、宗教的な洗礼はその定義には当てはまりません。

また、幼児の洗礼が一生その宗教から逃れられない影響力を発揮するとする主張についても、個人差や社会的背景などによって異なることがあります。たとえば、同じ宗教を信仰していても、人々が宗教の理解や実践に対して異なる見解を持つことがあります。また、社会的には、宗教の自由や多様性が尊重される国や地域もあります。

一方で、国のルールとして宗教的な教義が強制されることは、人々の自由や人権を脅かすことがあるため、問題となることがあります。宗教と政治の分離が重要であるとされ、国のルールは宗教的な教義に基づかず、法的・倫理的な基準に基づくべきであるとされています。


法的・倫理的基準 て、なんでしょう?

法的基準とは、法律によって定められた社会規範や規則に基づいて、人々の行動を規制することです。法的基準は、国や地域によって異なる場合がありますが、通常、法律は憲法や刑法、民法、商法、労働法などの形式で定められます。これらの法律は、社会秩序を維持し、人々が安全で公正な環境で暮らせるようにするために必要なものです。

倫理的基準とは、個人や組織が自己規律を実践するための基準であり、行動や意思決定を正当化するためのものです。倫理的基準は、社会や文化によって異なる場合がありますが、一般的には、公正、正直、責任、尊重、誠実さ、公共の利益などが含まれます。倫理的基準は、法律が規定しない道徳的な問題に対処するために役立つことがあります。たとえば、倫理的な判断が必要な場合には、人々が利益相反を回避し、公正で正直な行動を取ることが期待されます。


宗教も一種のイデオロギーではありませんか?

はい、宗教は一種のイデオロギーの一形態です。宗教は一般的に、信念、価値観、倫理観、宇宙観、歴史観、社会観などの要素を含む総合的な世界観を提供し、その信仰体系に基づいて個人の行動や社会的関係を規定することがあります。これは、イデオロギーの定義に合致しています。

イデオロギーは、一般にはある特定の政治、社会、文化的なビジョンを表現する信念や価値観のシステムと定義されます。宗教は、一般には神秘的な体験や超自然的な存在、神々、霊的な存在などの信仰の対象に焦点を当てることがありますが、それでもその信仰体系が人々の行動や社会的関係を規定する点では、イデオロギーと共通点があります。

ただし、宗教とイデオロギーは区別されることもあります。一部の研究者は、宗教は単に個人的な信仰体系であるのに対し、イデオロギーはより政治的な目的を持つと主張しています。また、宗教はしばしば伝統的な社会の価値観や規範を維持するために使用される一方で、イデオロギーは変革や社会的進歩を促進するために使用されるとも言われています。

したがって、宗教がイデオロギーであると考えることはできますが、その定義は複雑で、両者の間には違いもあります。

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