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2024-03-07 17:04 | カテゴリ:未分類
世界の海洋鉄栄養研究者は、ゴビの砂漠から黄砂が発生して偏西風に乗って西太平洋へ運ばれるので、その鉄栄養でこの地域の漁場が豊かになっているという定説を信じている。

それは、南氷洋の海水などの鉄が極端に貧栄養となっている海域に、鉄材を散布すると、オキアミなどの異常発生が起こるという大規模実験で実証されている。

だから単純に考えると、世界の貧鉄栄養の海域に鉄材を撒いて行けば、植物プランクトン→動物プランクトン→魚介類という食物連鎖で世界の漁場が豊かになるだろうという期待を抱かせるものがあった。

しかし海洋生態系はそんな単純なものではないかもしれないという海洋生態学者の危惧から、このような試みは、小生の知る限り、いまだ積極的には実用化されていない。

  
スライド3
アムール河の河口が起源の流氷のながれと分布図(黄色い線の範囲)
  
今回、朝日新聞(2月29日夕刊)に、「この30年間で流氷の厚みが3割も減少し、流氷の漂う面積も縮小傾向にある。そのために「オホーツク海域に鉄分が運ばれず海の豊かさが損なわれる恐れがある」という北海道大学の大島敬一郎教授(海洋物理学)・三寺史夫教授(海洋物理学)・西岡純教授(化学海洋学)らの話が載っていた。
 
以下にその記事を部分引用すると、

:::::流氷には、大陸のアムール川などを起源とする鉄分が豊富に含まれている。春に流氷が解けることで、海に鉄分が放出される。その結果、春のオホーツク海では植物プランクトンが大増殖する。それが動物プランクトンなどのエサとなり、魚類を含む海の生態系全体を支える。
ホタテ貝や、カガニ、スケトウダラが取れる北海道沖のオホーツク海は世界的に見ても高い漁業生産量を誇り、「豊饒の海」と呼ばれる。流氷が運ぶ鉄分は、こうした海の豊かさをもたらす要因の一つとなっている。:::::::::::
   
  これまで小生はオホーツク海域の鉄栄養もゴビの砂漠からの黄砂によるものだと思っていたので、今回google検索で、地図上で、アムール川からの流氷の流れの範囲を確かめてみた。

  上図のように、気象庁などのが発表する毎日の流氷分布図を見ると、黄色い線の範囲に流氷が発生している。矢印のように流氷がアムール川河口からサハリン東岸に沿って南下して、北海道網走沖に張り出していくとのことである。

  尚、別にgoogleで、黄砂について調べてみると、一年のうち、時には大陸から偏西風に乗っての黄砂が蛇行してオホーツク海に達するときもあるようだが、その頻度は高くはなさそうである。
  
  したがってオホーツク海の鉄の主要な供給源が流氷であるというのは、信じられることと思われる。

  一方で、地球温暖化によるアムール川の流量がどれくらい経年変動しているかも、オホーツク海への総鉄供給量として重要なファクターだと思われるのだが、その情報はこの朝日新聞の記事には記載されていない。
  
  
(森敏)

2023-10-30 07:06 | カテゴリ:未分類
五木寛之さんが

「船と会話には乗るべきだ」

とコロナが5類移行したので、これからは積極的な対面会話を、と勧めています(週刊新潮 「生き抜くヒント」 )。彼は人間に「言葉」というものがあるのは会話を楽しむためのものだと云いたいようです。

しかし、現実には、彼が話しかけてもあいづちも打たない寡黙な人が結構いるので苦労するんだそうです。

「男は黙って勝負する」と、会話を極端に節約することを美徳とする男社会が気にくわないらしい。「年寄りの冷や水」と言われようと、「巧言令色少なし仁」と言われようと、会話を楽しみたいんだそうです。

昨今、コロナのおかげで、ZOOMでの会話は遠隔でもできるので便利になったのだが、対面で本人が無意識に発しているbody languageが意外に重要な心のシグナルである場合が多いので、対面での丁々発止の会話は楽しいはずである。

しかし、小生の経験でも、今の若者ばかりでなく大人たちも年齢が上下の関係ではあまり話したがらない。彼らはiPADやiPhoneに向かって四六時中睨めっこをしているので、日本ではお笑い芸人やYou-Tuberや政治家以外は会話能力が低下してきているのではないかと思われる。

五木寛之さんは随筆の最後を

「現状は、明らかに、非対面の世界に変わりつつあるらしい」

と閉じている。

さて、以下は、小生の会話経験です。誰もが感じていることでしょうが。

〇国際学会などでは、のべつ幕なしの会話(議論)をしている研究者たちがいた。食事の時も食後も延々お互いにアイデアを出し合って相互批判をしているのである。そんな中にわけ入っても、残念ながらいつも会話が長続きしなくなるのは、こちらの英語力が話していくうちに低下してきて、次第に言葉が出なくなっていくからでもあった。日本の学会での日本語での微妙なエスプリの効いたニュアンスの会話はとても小生の英語力では無理であった。そんな時は「顔で笑って心で泣いて」いたかもしれない。

〇老人になって会話力と滑舌力が低下してくるのは、潜在的に認知症が進行して、人の名前がすぐには出てこなくなってくるので、そこで会話が止まってしまうからでもある。先日の大学の研究室での同窓会でも後期高齢者はその傾向が顕著であったと思う。ちょうちょうはっしとは話が前に進まないのだ。

〇知人と頻繁に交わす国際情勢の電話での会話でさえも、最近ではバイデンやプーチンやトランプや岸田の名前さえ、すぐには出てこない場合があって、お互いにもどかしく、そこでいったん会話が止まる、焦る感じが毎回あるようになってきた。コロナ禍の結果、対面の会話が極端に少なくなったせいだ、と弁解したいところではあるのだが。

〇現役のころは、会話を促すためにこちらが話しかけても、応答が無い実に寡黙な学生が何人かいた。こういう学生は、おだててやっと会話にこぎつけても、こちらのエネルギーがぐんぐん吸い取られる感じがして本当に疲れた。かれらはえてして実験はとても優秀なんだが。

〇60年前の教養学部(駒場)の時の同級生で、一度社会人を経験してきた年上の友人がいた(今は故人だが)。彼と話していると、今でいう「マウントを取る」という感じで、彼から見ると初心(うぶ)なこちらの言うことを、まず彼は否定してかかってくるので、会話で疲れることがはなはだしかった。

〇先日、コロナが明けたので先輩後輩を囲む大学での学科の教員懇親会が3年ぶりにあったのだが、そこでは相変わらず早口の発信型の後輩がおり、マイクを持っていて、話があちこち飛びまくるので、いったい何を言っているのかさっぱりわからなかった。ただ、ひと前でしゃべることによって、わたしはあれもこれもやっていてこの年で忙しくて大変です、と言いたいのだなということだけはわかった。いつものことだが。発信型の人格(性格)というものは年を取ってもなかなか変わらないものだと得心したもんだ。会ったことがないが、随筆の文面からすると、五木寛之さんも多分発信型の人間だろうと思う。

〇今朝、図書館の隣りの児童公園を横目で通るときに、4人の中年のおばあさんたちが石垣に仲良く横に並んで座って孫の世代の遊具でにぎやかに遊ぶ子供たちを観察しながら、談笑していた。と思ったら、よく見ると彼女たちは手話をしている様子だった。にこにこ顔で本当にbody language が楽しそうだった。

 
(森敏)
2023-09-01 21:44 | カテゴリ:未分類
今朝の朝ドラ「らんまん」にでてきた平瀬作五郎と池野成一郎は、前者が公孫樹(イチョウ)の精蟲を発見し、後者が蘇鉄(そてつ)の精蟲を発見している。その功績で以下に述べるようにこの二人は、明治44年5月12日第2回学士院賞恩賜賞を同時受賞している
 
この文章を読めば、当時西欧に追いつけ、という明治政府の国威発揚に、図らずもいかに両者が貢献したが、読みとれる。この審査書をだれが書いたかわからないが、文面からすると当時の東大植物学教室の教授であった松村任三であったと思われる。
世界に冠たる研究成果としてよほどうれしかったのだろうことが、躍動した文面からうかがわれる。
朝ドラ「らんまん」では、二人の発見者を前に松村教授が歓喜の涙を流して喜ぶ姿が演じられている。

原文は擬古文調の縦書きのカタカナ文字なので、読みやすいように、横書きに手打ちで変換しました。ちょっと苦労しましたね。


平瀬作五郎君及理学博士池野成一郎君授賞に関する審査要旨


一、 平瀬作五郎君は圖書を専攻せる者なるが、明治21年理科大学雇となり、植物に関する圖書を製作して教授を助くる余暇を以て、植物の解剖実験に就て十分その素地を養ふところあり、明治26年7月公孫樹(イチャウ)の胎生に就て実験に着手せり。その研究の動機を考ふるに、鷗州植物学大家2,3の実験説に「10月に至り成熟して落ちたる銀杏を験したるに、胚の形跡をも認めず、意らくこれ受胎せざりしものなるべしと。然るに両3月を経て貯蔵せしものを再検すれば、ことごとく生育せる胚を収めたり」とあり。又「秋期におよび母樹を辞して後受胎し、その冬期中に胚発育す。」とあるに疑問を起せるに因れるが如し。是に於いてか着々研究に歩を進め、明治27年発行の植物学雑誌に於て、
   Notes on the Atlraction-spheres in the Pollen-cells of Gonkgo biloba.
と云ふ論文を掲載して、公孫樹の雄花なる花粉細胞内に異状あることを6月発行の同雑誌に於て
  Ètudes sur le Ginkgo biloba.
と題する豫報を掲げ、次いで理科大学紀要8巻(P.307-321)に
  Ètudes sur la fécundation et I’embryogénie du Ginkgo biloba.
と題せる詳論を載せて、公孫樹に於ける雌花の卵球に変動あることを報せしが、ついに其研究愈々(いよいよ)精密に亘るの結果、翌明治29年4月開会の植物学会総会において、公孫樹の花粉より2個の精蟲を発生せる事実を発表し、同年10月発行の植物学会誌に「公孫樹の精蟲について」と掲げて、その精蟲の形状は卵円形にして、長さ82ミクロン、幅49ミクロンあり。頭部渦線状を成して茲(ここ)に繊毛を列生し、花粉管の一端より飛び出して、胚珠心の内面に留まれる液汁内を、自転しながら迅速に遊走せる状を目撃せることを論ぜり。その独乙文は1897年発行の
  Botanishes Centralblatt (P.33-35)に在り。題して
  Untersuchungen ueber das Verhalten des Pollens von Ginkgo biloba.
と云ふ。又その詳論は1898年出版の理科大学紀要(P.103-149)に登載せり。題して
   Etudes sur la Fécondation et l’Embrvogénie du Ginkgo biloba.
と云う。
そもそも公孫樹は日本及支那の特有産にして、その祖先は遠く地層の石炭紀及べる太古の遺物なるが如し。今その植物学史を案ずるに、199年前、ドイツ人ケンプフェル氏によりてGinkgoと命名せられ、その日本産なることを初めて紹介せられて以来、1836年頃よりその植物界は榧科と確定し、その後1880年ごろは狭義榧科なれども広義には之を松柏科に編入せられしが、平瀬作五郎君が研究の結果以来松柏科は勿論榧科より分離して特に植物界に新設する変更を来すの止むなきに至れり。
蓋(けだ)し植物の精蟲たるや、1822年以来苔類、藻類、その他花を有せざる隠花植物と称する下等の植物に於て之が発見ありしも、最初は単に動物の「インフーゾリア」なりとの見解にのみとまりしが、漸次学術の進歩するに従ひ、1851年ごろに至りては、下等植物は動物と等しく精蟲を具有して生殖作用を営むものなりとの確定説に到着せりと云えども、公孫樹如く、天に聳ゆる松柏科所属の顕花植物類に、精蟲の存在せんとは夢にも之を知らざる所なりき。然れどもドイツの植物学大家ホーフマイステル、プリングスハイム両氏のごときは、すでに50年前諸種の植物に於ける生殖器官の比較研究によりて、松柏類にも隠花植物に等しき生殖作用のあるならんとの推測をなしたれども、これは単に比較上よりの推測仮定止まりて、いまだ実際に之が証明を成したるものにあらず。又近代の大家ストラスブルガー氏のごときは大に進歩せる説を持して、公孫樹ついて精査せるところありしも、このごとき顕著なる精蟲発生の事項に至りては之を洩らせり。
夫れ平瀬作五郎君は未だ欧米の学府に出入りしたることなき一個の図画家にして、我が大学の実験室に於いて他の指導をも仰がず、僅かに職務の余暇を利用して此のごとき研究に従事して、欧米の大家が未だ曾て収めざる効果を得たるは、主として其顕微鏡視察上、手術の巧妙なると、精力絶倫なるとに由れるのみならず、刻苦精励4年の星霜孜々(しし)として一問題の研究を継続したるに因るものなり。
斯くて公孫樹精蟲の発見有りて以来、欧米の学会に於いては、平瀬作五郎君の名噴噴として喧伝せられ、1903年以降の植物学教科中公孫樹に関する生殖事項は、同人の名を挙げて其の図を採用せざるは無きなり。且つこの発見はただに精蟲の発見として、学術界の耳目を()動せしのみにとどまらず、之に因て植物の分類学、形態学及生理学上の不備を完うしたるところ少なからざる大に我国の以て誇りとするところなり。

二、 農科大学教授理学博士池野成一郎君は明治28年公孫樹の近類たる蘇鉄の生殖機関の発育及び其結実作用の研究に従事し、精密なる観察を遂行して、公孫樹と等しく蘇鉄の雄花に、精蟲を発生せる事実を発見せり。その研究の状況及び結果は当時内外の諸雑誌に登載セリといえども、精蟲発見の公表は明治29年11月発刊の植物学雑誌にして、是実に平瀬作五郎君が公孫樹の精蟲発見の発表後一か月にあり。「蘇鉄の精蟲」と題せる報文の予報是なり。是より先10月発刊の同雑誌に、
  Note préliminarie sur la Formation de la Cellule de canal chez le Cycas revoluta.
と題せる論文の掲載有りて、蘇鉄の雌花における研究を報道せり。ついで1896年発刊の
   Botanishes Centralblattに於ては、
   Vorläufige mittheilung ueber die Canalzellbildung bei Cycas reevoeuta.
と題する論文、1897年発刊の同雑誌に於ては、
   Vorläufige Mittheilung ueber die Spermatozoiden bei Cycas revoluta.
1898年発刊のBotanische Zeitung に於ては、
   Zur Kenntniss des sog. Centrosomäbnlichen körpers in Pollenschlauch bei Cycadeen.
と題する論文などを登せ、また同年発刊のJahrbucher fur Wissenshaftliche Botanik と同年発刊の理科大学紀要第12巻とに於ては、
   Untersuchungen ueber die Entwicklung der Geschlechtsorgane und den Vorgang der Befruchtung bei Cycas revoluta.
と題せる詳論を掲げて、蘇鉄に関する生殖全般の研究を完うせり。
抑も、蘇鉄は一種異様の植物にして、公孫樹と異なり其種類も多く、熱帯亜細亜、ポリネシヤ、豪州などに産するものなるが、幸に本邦温暖の地に之を産し、200年以前には、日本棕櫚の名を以て欧州人に知られ、150年前既に英国に輸入されたり。この類も化石の研究によれば、その祖先は遠く「ペリミアン」の地層に遡りて起れるが如し。
元来蘇鉄の種類たるや公孫樹に近似すと云ふといえども、同科の植物にはあらずして、唯広義において公孫樹と同じく裸子類に属するのみ。されば公孫樹の精蟲と同じく、池野成一郎君のこれが発見あらざりし以前は、世人は夢にもその事実を知らざりしなり。蘇鉄は東京のごとき寒地においてはまれに花を着くることあれども、その結実に至るまでの材料を得んこと不可能なれば、発見者は鹿児島に於いてこれが材料を収集して、その研究を遂行せり。是より先蘇鉄科の或る種類について、その生殖器官の発育に関するその精密なる研究は、1877年と1879年とに於いて、ワーミング氏、1882年と1888年とに於いて、トロイブ氏等の諸大家によりて、吾人の知識を増進せるところ多しとするにもかかわらず、諸氏の研究中には精蟲発生の事実を洩らして、後進なる池野成一郎君の研究によって精蟲の発生を確実に証明し、尚進みて其精蟲が卵内に侵入して其核と融合するの事実を開明するに至りしは、我が国の誇りとするところならざるべからず。

以上二人者の精蟲発見に関する研究は、各々特別の業にして、毫も他の助力を借れるものにあらず。その材料たる公孫樹と蘇鉄とは、我が国の固有産にして、鷗州に在りては蘇鉄のごときは温室内に培養するにあらざれば、その生育すら容易ならず、公孫樹のごときは戸外に栽培すべしといえども、結実完からざる不便あるより、二人者共にその材料の豊富なる本邦において、これが研究に従事したるは、その着眼宜しきをえたるものというべく、為に学術上この偉大なる貢献を成したるなり。
茲に米国において「ザミヤ」と称する一種の蘇鉄科植物を産するを以てウエッバーという人其生殖器官の研究に従事せしが,池野成一郎君の研究に遅るること一年にして、その精蟲の発見を公表せるは、奇と云ふべし。植物学勃興の当時、各自の着眼するところ同一の方針なりしにや、前後3年の間に、恰も言い合わせたらんごとく、三種の裸子植物より精蟲の発見を促せしものなるべし。この三幅対中、その二者は本邦人にして、発見は恰も姉妹の関係ありて其の功その労は互いに兄たり難く、弟たり難きものあり。
今日わが植物学会において、苟(いやしく)も一事を研究するごとに、多少の新事実を発見し、乃至は先輩の研究中に、誤謬を指摘して、これは修正を試むるなどのごときは、比比として有之といえども、この二人者のごとく、顕花植物中に精蟲の発見ありしは、植物学史上一新紀元を劃せるものというべく、1903年以降の植物学教科中いやしくも、公孫樹と蘇鉄と相遠からざる植物科名のもとに、平瀬、池野好一対の日本人名を掲ぐるに至れり。


追記:1962年に小生が農芸化学科に進学したときに、進学生歓迎コンパを教官たちが東大の小石川植物園で開いてくれた。その時に植物園の技官の方だったと思うが、園内に入って左手にある高木のイチョウを指さして。「これが平野作五郎さんが公孫樹の精蟲を発見した公孫樹です」と紹介されたことを今でもおぼろげに覚えている。久しく小石川植物園には出かけないが、公孫樹の前には、その由緒が書かれた立札があるはずである。

ネットで見ると、鹿児島の公園の案内の動画で「池野成一郎先生はわざわざ苦労して東京大学から出かけてこられて、この蘇鉄から精蟲を発見されました」というのが出ている。
2023-07-13 14:53 | カテゴリ:未分類
スライド1
(図1)
  
  東大農学部の弥生の交差点には3方にイチョウの木が植えられている。全部が雌株であるので、秋には多くの実が成り、その木の下に落下して、木の下の手入れがされていない場所では、大量の実生が発芽して繁茂している。(図1)
  
スライド2
(図2)
  
  その実生の群をかき分け丁寧に根から抜き取ってみようと良く眺めたら、なんと!妙な株元が観察された。根元にまだ栄養を有した種子があり、そこから両手で茎と根を抱え込んでいるように白い腕が見える。(図2。赤い矢印の先)
  
スライド3
(図3)
  
  丁寧に抜き取ってみたら(図3)のような姿であった。これは何とも奇妙な発芽の様子である。片っ端から抜いて観察しみると、すべておなじ発芽形態であった。あたかも種子から手が二本出ており、そこから種子の栄養が行っているように見えた。(図3)。もう少し幼少の実生を拡大したのが図4と図5である。図5は固い皮をはいだものである)
  
スライド4
(図4)
  
    
スライド5
(図5)
      
スライド6
(図6)
  
  図5の種子の反対側の側面は、種子栄養が消費されているためか、深くえぐられていた。(図6)
    
スライド4
(図7)
  
スライド5
(図8)

   
  図7と図8は発芽直後の根と芽である。まず根が出て、それから複雑だが、根が土に着生してから、根と種子の間を突き破って芽が出ている(図16参照)。
   
スライド7
(図9)
  
  この種子を丁寧に縦に剥がしてみると中から白い子葉と思われるものが出てきた。(図9)
  
スライド8
(図10)
  
  拡大するとこの子葉は縦に一カ所太いくびれ線がおり、あとその左右にもくびれがあるように見える(図10)。
  
スライド9
(図11)
  
  次に、ほかの若い実生の種子を縦に切ってみると図11のようであった。種子の子葉が縦切りされた様子に見える。(図11)しかしよくみると二頭の子葉は基部でつながっているように見える。
  
スライド10
(図12)
  
  これを種子から丁寧にはがすと、こんな感じにはがれた(図12)。
  
スライド11
(図13)
  
  次に、別の実生の種子を横切りにしてみたら実際には双頭の合計4枚の子葉が対称形にあるという、非常に珍しいことになった。(図13)
  
スライド12
(図14)

  
  この種子の栄養を消耗しつくしたあとに残されたのは、もぬけの外殻と双頭の子葉のみで、この子葉も最後は無用なものとして外れて捨てられるものと思われる。(図14)
  
スライド13
(図15)
     
  ところで図15は牧野日本植物図鑑に記載されている「イチョウ」の図版である。
  
  この図鑑では樹上での受粉から種子の成熟の過程は詳しく記されている場合があるが、地上に落下した種子の発芽過程に関しては図版の記載がない。
  
  余談だが、種子を取ってきて発芽までの過程を観察していたら、牧野が50万点にも及ぶといわれる蒐集している日本の草花を、全部観察して記述することは不可能であっただろう。だから、牧野は室内実験による種子の発芽過程の観察はあきらめたものと思われる。
    
(森敏)
付記:当初不可思議に思われたイチョウの種子のトポロジカルな発芽は、多くの種子を肉眼と手持ちのカメラの拡大レンズで観察して、その姿が明らかになった。まとめると大略以下のポンチ絵になると思われる。

  まず根が少し(1-センチ)出て、根の基部あたりに割れ目ができて、そこを突き破って芽が出てくる(図16)。種子の栄養は2本の子葉の胚軸から殻が空になるまで供給される。双頭の子葉は光合成せず最後は切り離される。

スライド1
(図16)イチョウの実の発芽過程のポンチ絵。

スライド2
(図17)イチョウの実生のポンチ絵。種子の中身の子葉も表現している。

2023-07-05 15:38 | カテゴリ:未分類
    東大工学部出身であるが、女性であるがゆえに実に経歴が多彩で苦労人である、大倉典子芝浦工業大学工学部名誉教授が、雑誌AERAでの編集者との対談で、以下のように述べている記事が目に留まった。
  
 :::::私が「かわいい」の研究を始める前は、そもそも「かわいい形」とか「かわいい色」といったものが存在するのか疑問視する人もいたんですが、形や色を見せて「最もかわいいと思うものを選ぶ」という実験をしてみると、確かに「かわいい形」や「かわいい色」が存在するとわかった。
形では「直線系より曲線系のほうがかわいい」し、色では「明度と彩度がある程度高く、色相は黄赤(橙)や黄緑がかわいい」。
かわいくないのは、「明度と彩度の低い色(くすんだ色)」です。
興味深いことに、他国における「かわいい色」の結果は日本人とは必ずしも一致しません。
その理由を突き止めるのは、今後の課題です。 
また、かわいいには「わくわく系」と「癒やし系」があって、「わくわく系」では心拍が上がりますが、「癒やし系」では心拍が下がることもある。
こうした研究結果は、さまざまな工業製品やウェブサイトなどを「よりかわいく」するための指針を与えてくれることになります。
実際、かわいくするとよく売れる。
それはさまざまな商品で観察されています。:::::


   
    これは実に納得のいく、目が覚めるような話だと思った。
   
    大倉典子氏による長年の研究課題であった「かわいい」という概念が学問の対象になり、その解明されて来た理論が、社会実装されて、多角的な商品として売れていく過程が実によく理解できた。
  
    だが小生は最近の若者がなんでも「かわいい」としか表現できない語彙の貧困さが、気になって仕方がない。テレビでの成熟した芸能人も若者に合わせて「かわいい」の連発である。ちょっといやらしいぐらいの頻度であると思う。
   
風景を見て「かわいい」といい
料理の盛り付けを見て「かわいい」といい
それを食べて「かわいい」といい
花の香りが「かわいい」という。
  
    それは違うだろう? そういう若者や芸能人の立ち居振る舞いには、言っちゃ悪いが「教養の無さ」を感じて、頑迷固陋な「新老人」にはいつもちょっと寂しい感じがしている。

    そこで、ちなみに電子辞書の「大辞泉」に掲載されているこの言葉の定義を調べてみた。「かわいい」の定義として、
   
1. 小さいもの、弱いものに心引かれるきもちをいだくさま。
2. 物が小さくできていて、愛らしく見えるさま。
3. 無邪気で、憎めない。すれてなく、子供っぽい。
4. かわいそうだ。ふびんである。
   
とある。
  
    この辞書には、それ以外に「カワイイ」の公募作品として、以下の引用があった。
 
▲顔の目鼻立ちが整っていて愛嬌があり、こちらまで心がほぐされそうになる容姿。また仕草において言う場合もある。
 
▲男性の場合は、愛おしく見える物・存在をさす表現。女性の場合は、前述の意味とは別に、自分よりも美的格付けが下だと認識した場合に発する暗喩。
 
▲カタカナの可愛いは、表面上の虚偽の愛らしさのこと。本質的な愛らしさは可愛いという。
 
▲特筆すべき長所のない人、物、動物、仕草に対して、肯定的である旨を伝える際に使用する言葉。
 
①語彙に乏しい者が、様々な愛らしさを表現する言葉。②もっとも平凡で無難なお世辞。
 
▲本人の演出に寄らぬ、自然な愛くるしさ。
 
▲女性の中に永遠に存在するもの。
 
▲女の子の中での潤滑油の言葉。
 
▲自分の感性に共鳴する対象物。
 
▲子犬、子猫を見たときに、胸がキュンとなる心の変化のこと。
 
▲子供の寝顔。一番かわいいと思える瞬間。
 
▲英語に翻訳するのが最も難しいことば。
 
▲「好き」の表現違い。
   
  ことほどさように「かわいい」は多義的に使われているようだ。つまりなんでもありなんである。

      
(森敏)
付記:もう20年以上前になるが、おもちゃメーカーに勤めていた親類の娘が、東大の獣医学科の先生を紹介してくれというので、紹介したことがあったのだが、あとで聞くと、「一番幼児に人気がありそうな動物は何でしょう?」とお伺いを立てたんだそうだ。「アザラシの子供だろう」という返事をいただいたそうだ。確かにアザラシッ子のおもちゃは実に多様で、今でも人気がありそうである。京都の岡崎水族館の土産物コーナーにはアザラシやオットセイの子供の大中小のぬいぐるみが山積みであった記憶がある。かわいいおもちゃの典型だろう。上野ではパンダがダントツの人気かもしれないが、その目ん玉はよくみるとけっしてしてかわいくはないと思いますよ。

  
追記1:このブログを読んだ読者が旭川動物園のホッキョクグマの水中遊泳像を添付で送ってきてくれた。大柄な大人の白熊なのに、とても「かわいい」と思ったそうである。

ホッキョクグマ

追記2。 2023年7月22日朝7時のニュース番組で、男性と女性のアナウンサーが、現地取材で、
川崎大師の風鈴市での風鈴の音を「かわいらしい音色
文京区伝通院のほおずき市での奇形のほおずきを「ほおずきがかわいらしい」
横浜でのタイの乗り物の観光用に改造した3輪車のタイのスクスクを「かわいいタイののりもの」
と呼んでいた。
聴いていて表現力の乏しさに違和感だらけでしたね。


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