2017-11-18 14:31 | カテゴリ:未分類

捕獲の二ホンジカ 基準超える放射性セシウム検出 長野
    

1118日(土)1145分 産経ニュース

県林務部は17日、富士見町で13日に捕獲された野生のニホンジカから国の基準値(1キロ当たり100ベクレル)を超える放射性セシウムが検出されたと発表した。出荷はされていなかった。

 同部などは、同町で捕獲されたニホンジカの肉を当面の間、出荷や販売、自家消費しないよう、野生鳥獣肉加工施設や狩猟者、飲食店などに周知する。

 検出されたのは放射性セシウム134と同137の計160ベクレル(1キロ当たり)。同部によると、この肉を毎日1キロ、1年間食べ続けても健康には影響がないという。


    


        

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付記1:先日長野県北部の「塩の道」を歩いていて、民家の石塀の上に苔が生えていたので採取してきた。ゲルマニウム半導体で測定したところ

Cs-134: 10.4  (ベクレル/kg乾物重)

Cs-137: 121.3  (ベクレル/kg乾物重)

であった。この長野県内の場所は上記の記事の富士見村より約90キロ以上北に位置している。富士見村は東電福島第一原発から290キロも離れている。このように、長野県が福島第一原発の放射能プルームで被ばくしたことはすでに明らかである。

ニホンジカはコケや木の皮(バーク)などを食する。木の皮のリグニンなどの固着した放射能は年月が来て樹皮が剥離落下しないかぎり、いつまでたっても放射能が固着したままなので、無意識にその放射能汚染樹皮を食べるニホンジカもいまだに放射能で筋肉が汚染されているというわけである。長野県庁は、樹木の樹皮の放射能汚染を追跡調査を恒常的に続ける必要があるだろう。もちろん長野県ばかりでなく、群馬県、栃木県、山形県、山梨県、埼玉県、東京都、静岡県、茨城県、千葉県もやるべきである(小生のように旅行先で気まぐれにサンプリングしてやるのではなく)。 この富士見町での知見は多分氷山の一角だと思われます。
  11月15日から始まった ”ジビエ” ブームに水を差すような話ですが。関東一円はまだ要注意かと。 
      

(森敏)

2017-11-06 11:48 | カテゴリ:未分類

          銀河鉄道の父 門井慶喜著 講談社を9月13日に発売されたことを知って読んだ。この本は一見小説風になっているが、宮沢賢治の父親である「宮沢政次郎の目を通してみた賢治像」という構成になっている。会話調が多いのですらすらと読めた。
  
  小生はこの本を入手する直前には、近所の図書館に「宮沢賢治の真実」修羅を生きた詩人 今野勉著 新潮社 を今年2月に出版されたときに回覧を頼んでいたのだが、偶然順番がまわってきたのでそれを入手して、読み終えたばかりであった。こちらのほうは主として賢治の詩作に関して忠実に文献考証をした、力作の論考で、読むのには少し時間がかかった。

 

35年前の我が家の書斎の壁には、当時花巻の山頂にある宮沢賢治記念館で購入した

『雨ニモマケズ、

風ニモマケズ、

:::』

という、超有名な賢治が病床で手帳に書きつけた詩を拡大コピーしたのをピンで留めていた(確か500円ぐらいだったと思う)。当時はなにかと心に余裕がなく、賢治の、ほかの詩や、童話や、芸術論などは読んでもあまりピンとこなかったのだが、この詩だけはわかりやすく、文学に疎い小生にもすっと理解できたからである。それに、この詩は小学校時代の教科書にも載っていたので懐かしくて記念館で購入したのだった。

 

  その後も、賢治の数多くの詩作や童話に関しては、それこそいろいろな解説本(今ではたぶん全部で2百冊以上!!)が続々と出ていたのだが、あまり読む気がしなかった。およそ「近代詩」というものはきわめて主観的なものなので、作者の個人史的な時代背景説明がないとほとんど理解できないという確信に近いものを今でも持っている。だから今回の著作 「宮沢賢治の真実」修羅を生きた詩人 が、賢治のいくつかの詩作を賢治の保阪嘉内との「同性愛」という視点から執拗に分析し文献考証しているのには新鮮で感嘆した。小生が知らなかっただけなのだろうが。

  

長じて、賢治の詩である「永訣の朝」や「無声慟哭」などが実にインパクトのある詩作だという評判が聞こえてきたので、作詩の背景がずっと気になっていた。実際のところ、この詩の背景にある、妹のトシと賢治の関係はどうなっていたのだろう?

 

ところが、今回上記の二つの本を読んで、賢治とトシの関係が真正面から論じられていることにいささか感動した。トシが結核で死ぬる場面は、立ち会った父母兄弟など家族たちの残した証言集から時系列的といってもよいぐらい上記の2冊ともに詳細に記述されている。
 
  だが、その家族からも見えない賢治とトシの心の内面を、奇しくも二人の著者は想像をたくましくして力を注いで論じている。それがその時賢治が書いた「永訣の朝」や「無声慟哭」の詩の解釈とともに、なかなかの迫力で迫ってくるのである。読んでいて、長年の疑問が少し氷解した。

 

賢治が本格小説ではなく、わかりやすく楽しい「童話」をなぜ書いたのか、という疑問に関しては、愛する妹のトシが結核のために女学校の教師を辞めて、自宅の隔離別棟に長く病床に臥しているときに、一緒に寝泊まりして新作童話を読み聞かせて、その都度批評を仰いだという場面が描かれていて、納得した。賢治は農民にもわかりやすいお話を童話という手法を用いて書いてトシにチェックしてもらうのが楽しくて仕方がなかったのであるそうな。

   
    

(森敏)
 

付記1:賢治の在籍していた現在の岩手大学肥料学教室に、賢治と時代が交錯していないが同じく在籍していた亀井茂技官は、土壌肥料学的な観点からの、賢治研究の大御所ともいえる人物である。彼は正確で緻密な文献考証による多くの「賢治研究」の著作をものにしている。これらの著作をあまり文学者や詩人は賢治研究に引用していないようだ。小生は亀井氏からいつも彼の文献をいただいていたので、賢治のあらゆる発想の根源が土壌肥料学的知見に基づくことを理解していたつもりであった。

 

賢治の個人史に関しては、賢治は盛岡高等農林学校の関豊太郎教授(1927年 日本土壌肥料学会初代会長)の卒論生だったが、関教授の土壌学教室に研究員として残り続けるといずれ助教授になれたかもしれないのだが、きっぱりと研究者への道を断念している。「土壌分類学や土壌の化学分析が実際の農業に役立つと思えないので、大学に残ることに魅力を感じない」という由を父親の政次郎宛に手紙を書いている。しかしドイツ帰りの気鋭の関教授のもとで、短期間ではあるが卒業後も研究生として土壌調査に加わって、正統な学問の本質(エッセンス)をかじったであろうことは、想像に難くない。その時獲得した「現場の風景を天文学・気象学・地質学・腐植や粘土鉱物学的な発想で解釈する」という土壌分類学の研究の方法論は、彼の童話や詩作の骨肉を形成しているといっても過言ではないであろう。こが賢治の作品が通常の詩人や作家と異なる異才を放つゆえんだと思う。(土壌肥料と宮沢賢治2 一関豊太郎と宮澤賢治一 亀井 茂 日本土壌肥料学雑誌 第67巻第2号 p213-220(1996) 参照)

 

付記2:「永訣の朝」の全文は下記のWINEPブログ記事にてもご参照ください。

2016/11/08 : 宮澤賢治の詩と高村光太郎の詩に寄せて

 

2017-10-16 22:38 | カテゴリ:未分類
  双葉町には、これまで「官公庁の放射能関連の研究費をもらっている研究者しか入れてもらえない」、とうわさに聞いていたので、小生らは、この町に入ることを遠慮していた。小生らはそういうお金をこれまで一切もらえていないので。

  しかし福島第一原発から半径10キロメートル以内の「双葉町」は地理的にはそれより外側の浪江町の高放射能汚染地域の「小丸地区」に隣接しているので、双葉町も強烈な汚染地域がまだあ るはずである。そういう地域の動植物の生態系の変遷を、本当は原発暴発事故初期から継続的に放射線による環境影響調査をしておかないと、この地域のデータが後世にブラックボックスになることをずっと危惧していた。そこで今回すでに原発事故から6年経過しているのだが、思い切って、立ち入りを役場に申請したら、許可が下りた。
    
  今回時間の許す限り、われわれ自身がこれまでの調査のなかでも最高に高い被曝をしながらも、詳細に調査してきた。のだが、住民の個人情報になるので、細かい写真がここで開示できないのが残念である。 
      
  原発事故の影響は気が遠くなるほどだ。放射能汚染生物の放射能を実測すると、現在すでに放射線量としてはCs-134Cs-1371割程度に減少しているので、放射能の主成分はCs-137である。Cs-137の半減期は30年であるから。現在のこの双葉町の高い総放射線量は、これまでのように急速に減少することはないと考えられる。このままでは、今生きている避難住民が、生きているうちに帰還して住めるようになるのはちょっと絶望的だ。
   
  2011年3月をあらためて思い出そうではないか。
   
 
  
   *18日に、いくつかの写真を追加しました。

 
 
    
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立ち入り禁止区域にやっと入れた。防護服の警備員から「どうぞお入りください」の合図。
  
  

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JR双葉駅。JR常磐線はまだここまでは開通していない。駅前広場などは除染されていた。

   
   
 
 
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レールの敷設のためのコンクリート製の枕木がずらーっと、プラットホームに並べられていた。高放射線量なので、JRの下請け業者が作業員を集められないのだとか。
 
   
  

 
スライド3 
 
駅前商店街は完全なゴーストタウン。一階が地震で破損しているところが多いので、住むつもりなら、高濃度放射能汚染と地震とのダブルパンチなので、軒並み建て替えが必要なことは言うまでもない。 

 
 
 
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典型的な一例。目の錯覚かと思わせる震災で一階が傾いたままの本屋さん 

  

 
 
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つぶれた家屋の門になぜか「福助足袋」の石像
   
  
  
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ゆきわりそう:忍耐 の町の紋章のマンホールのふた。原発事故で避難させられて忍耐を強いられている双葉住民にとっては強烈な皮肉。
  
   
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幹線道路を時たま通るのは、おそらく原発付近の中間貯蔵施設に向かっている放射能汚染廃棄物が入った1立(リューベ)のフレコンバックを積んだトラックのみ。
  

  
  
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「福島県双葉高等学校」の校庭。 雑草が立ち枯れしている。線量計は毎時0.279マイクロシーベルトという低い値を示していたので。一度は除染したものと思われる。

    
 
 スライド1
   
真に驚いたことに、福島県双葉高等学校の敷地内には、双葉町による原子力災害集合場所として「ひなんばしょ」の標識が建てられていた。原発建設時から、町民は原子炉災害を覚悟していたのだろうか? 原発暴発当時、町民がここに実際に避難したのだろうか?

    
  
  
   
スライド5 

上記と同じく、さる道端の小さなプレハブ集会所には、原子力災害時の「ひなんばしょ」なる標識が張られていた。原発暴発当時、町民がここに実際に避難したのだろうか?
   
こういうパネルは福島第一原発から10キロ圏外では見かけた記憶がない。
   
   
 
   
 
スライド9 
   
村社八幡神社。これも目の錯覚かとおもわせる、傾いて今にも崩れそうな本殿。ふしぎなことに屋根瓦は一枚も損傷していない。
   
ここでは紹介しないが、室内に神具と思われる「小太鼓」が安置されているが、床は生活用品やガラスの破片が飛び散って荒れ放題である。右の開いたドアから入った野生動物による足跡がいっぱいで、彼らによる狼藉と思われる。
  
  
スライド4  
   
上記神社の、向かって手前の左右2体の石像はサルなのか狛犬なのか顔面にびっしりと苔が生えていて、正体が不明。この右の像の苔は原発事故当時相当な高線量被ばくをしたと思う。まだその放射能は残っているはずである。数百万ベクレル/kg乾物重 はあるのではないだろうか? 
     
小生にはこの像が広島の原爆被害者の全身被ばくケロイドに見えた。
現在の空間線量は毎時5.9マイクロシーベルト。 


 
   
  
 
スライド10 
  
民家のガラス戸。左のガラス戸の下部が割れている。ここからネズミ、ハクビシン、イノシシなどの野生動物が入ったためだろうか、室内は見るも無残な荒れ具合である。
     
全ガラス戸の下部にはイノシシが鼻をくっつけたと思われる刷り跡が認められる。部屋の中は差し支えるので紹介しない。

 

  
 
  
スライド11 
 
イノシシには2日間で3回遭遇した。あまり車を警戒しないようである。車を止めて、このイノシシが道端の雨水で湿った高濃度放射能汚染ヘドロを掘り繰り返して、ミミズなどを土と一緒に摂取している様子を初めて身近に数分間観察できたので、これではイノシシの筋肉や糞がいつまでも高濃度汚染しているのも納得! しかし今回はサルには遭遇しなかった。
       
柿、クリ、キウイ、アケビなどが熟していたが、落下したクリは全部きれいに食べられていた。サルのせいかもしれない。柿を食べて下痢をしたような水便が道路に認められた、イノシシかな?
     
  
スライド2  

  
イノシシはこのように道端の湿った部分が大好きで、そこの生き物を土と一緒に食べている。
  
  
 
スライド12 
  
双葉町の元の水田地帯には、見渡す限り現在2.5メートル高のセイタカアワダチソウがびっしりと繁茂している。ヤナギやチカラシバも群落としてみられる。
    
これらは除染される1年前の浪江町の水田の姿と同じである。

   
 
 
   
スライド13 
    
高濃度放射線地帯でなぜか竹が一斉に立ち枯れしている場所があった。竹は根でつながっているクローン植物なので、放射能が均一にいきわたって循環しているから、6年目の時点で致死線量に達して一斉に枯死したのかもしれない。まさに予期せぬ根絶やしか。
   
   
 

 
スライド14 
  
道路沿いには前田建設(除染業者か?)による放射線量の危険度の表示の旗が建てられている。
    
表示によると、青(1以下) 緑(1-2) 黄(2-5.5) 赤(毎時5.51マイクロシーベルト以上)
 
  
この赤い旗の標識がある場所は毎時10マイクロシーベルトであった。 
  

 
  
  
 
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あらゆる道端の茂みにかなりの数の出産前のおなかの大きいのジョロウグモが繁殖していた。ジョロウグモは放射線に強いのかもしれない。 
     

 
  
 
  
スライド16 
異常な成育を示すもみの木の幼植物が多数見られた。ここの空間線量は毎時12.83マイクロシーベルトであった。もみの下の木の直下の土壌は毎時35マイクロシーベルト。 
     
この実生からの植物は4-5年令と思われる。横に伸びてはいるが、主茎の生長点がやられており、縦には伸び悩んで高さが35センチしかない。 
    
      
   
スライド7  
    
サトイモの奇形。葉の形がゆがんでいじけており、いくつかの若い葉の葉脈の間が白化している。
       
湿地に生えているので、周りの道路と山の斜面から流れ込んでくる放射能汚染水で、落ち葉などの有機物が放射能をため込んでおり、それをこのサトイモが根から吸収して、内部被ばくが大であるために、高い外部被ばくとあわせて放射線障害が起こっているものと推察される。

      
  
          
     
 
 
キイロスズメバチの巣jpeg 
 
農家の厩舎の堆肥場の屋根裏にキイロスズメバチの巣と思われるものを見つけた。ハチがその周りをぶんぶん回っているので、余り近寄れなかったので、これは遠くからの拡大写真である。2日間で民家の軒先に全部で数個見つけた。
      
ツバメの巣と同じく、過去の各年度の巣がたくさん回収できれば、なにか法則性が得られるかもしれない。今でもスズメバチ自体や巣自体は放射能汚染が高いものがある。スズメバチは肉食で食物連鎖の上位に位するからなのかもしれない。
         
原発事故年度前には、行政が「ハチに刺されないように」という警告の看板を各所に掲示板を出していて(それが今でも各所に残っており)、民家の軒先では蜂の巣を住民が撤去したり、破壊した巣跡が散見された。
      

ちなみにこの厩舎の放射線量は毎時16.55マイクロシーベルトと驚くべき高さであった。スズメバチは放射線に強いのかもしれない。  
  
            
  
スライド18  
 
道路わきの土壌のホットスポットを見つけた。土壌表層が毎時108.5マイクロシーベルト!  
  
       
    
 
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上の写真の土壌の場所の1メートル高の空間線量は毎時23.6マイクロシーベルト!
      

これは小生らが今までが経験した2番目に高い放射線量値である。最高値は浪江町の小丸地区で100マイクロシーベルトの空間線量のホットスポットを経験している。双葉町でも林内に立ち入ってきちんと詳細に調査すれば、空間線量100マイクロシーベルト以上の地区があるかもしれない。
      
 
 

 
(森敏)
追記:このハチの巣は1850cpm以上あった。今でもこんなに想像を絶する高濃度とは!
 キイロスズメバチによる巣材は樹皮などによるので,この巣の付近の半径数十メートル範囲内の樹木の、まだ原発爆発当初からの高濃度放射能による外部被ばくのままでいる立木の樹皮を、キイロスズメバチがかみくだいて、唾液でかためて制作しているのかもしれない。(茨城キリスト教大学・桑原隆明博士 談)
2017-09-19 15:33 | カテゴリ:未分類



東日本大震災 福島第一原発事故 避難解除区域、65歳以上49% 9市町村、震災前の倍
毎日新聞2017年9月9日 東京朝刊

  

避難解除区域の高齢化率

 東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が今春までに解除された区域で、居住者のうち65歳以上が占める高齢化率は、7~8月現在で50%近くに達していることが福島県内9市町村への取材で分かった。放射線への不安を抱えたり、生活基盤が避難先に根付いたりして若年層の帰還が進まず、高齢化率は事故前の2倍近くになった。人口も1割未満となり、世帯の小規模化も進み、地域社会の長期的な存続が危ぶまれる事態に直面している。 解除区域に帰還、転入するなどした計2970世帯5951人に対し、65歳以上の居住者は2929人で、49・2%を占めた。事故前の2010年の国勢調査では、9市町村全域で27・4%。国立社会保障・人口問題研究所が推計する65年の日本の高齢化率(38・4%)を上回る状況だ。

 最高は川内村の71・3%で、最も低い楢葉町でも37%だった。同村など3町村は、15年の国勢調査で高齢化率が実質的に全国最高だった群馬県南牧村の60・5%を上回った。解除区域の居住者は事故直前の住民登録者数(6万人強)の1割未満となっている。

 世帯の分離も進んでいる。1世帯の平均人数は2人で、都道府県で最も少ない東京都の2・02人(15年国勢調査)並みだ。10年の国勢調査では、9市町村全域で3・04人だった。

 南相馬市の担当者は「単身者の孤独死や老老介護が増える」と懸念。医療・介護施設の再開は一部にとどまっており「働き手がいない」と漏らす。葛尾村は消防団員94人のうち帰還したのは5人前後。村の担当者は「火災で出動が難しくなることもあり得る。若い世代が少なければ組織の維持にも支障をきたす」と話す。

 避難自治体の復興計画策定に携わった立命館大の丹波史紀准教授(社会福祉論)は「原発被災地は少子高齢化が進む将来の日本の姿。介護や防災など自治体内で解決できない課題は、市町村の垣根を越え広域で連携する必要がある」と指摘する。【土江洋範、宮崎稔樹】 
  

          
 来年開校のこども園と小中一貫校PR 保護者への飯舘村教委

飯舘村教委は9日、2018(平成30)年4月に村内で開校する認定こども園と小中一貫校に関する保護者説明会を福島市飯野町の飯舘中仮設校舎で開き、魅力をアピールした。
 10月に行う最終就学意向調査前の最後の説明会で保護者約50人が参加した。村教委職員が教育内容や子育て支援策などを説明した。7月から8月にかけて実施した就学意向調査で「就学する」または「迷っている」と回答した90人の現住地を基にした13ルートのスクールバス運行案を初めて示した。通学方法や少人数での授業に不安を持つ保護者の個別相談にも応じた。
 現在、川俣町に住む20代女性は「子どもの良い点を見つける教育方針に魅力を感じた」と感想を語った。同町に移転している、やまゆり保育所に長女(2つ)、長男(1つ)を預けており、「保育所への信頼もあるので、村内の認定こども園に預けることも考えたい」と話した。
 就学意向調査では回答者408人のうち52人(13%)が「就学する」、38人(9%)が「迷っている」、318人(78%)が「就学しない」と答えた。
 新学校に関する問い合わせは村教委 電話0244(42)1631へ。

2017/09/10 10:57 福島民報

 


2017-09-16 13:08 | カテゴリ:未分類

34度Cの炎天下での作業では15分もすると、意識がもうろうとしてきて、考え事ができなくなってくる。オリンパスのSTYLUSカメラを動画モードにして、じっと水田の水中動物の挙動を1分間ばかり手動で手ぶれしないように撮影するのだが、普段は容易なことが炎天下では手元が揺れて非常に困難である。カメラを右手に持って、水中動物を観察していてベストチャンスがくるとシャッターを押して撮影に取り掛かるのだが、その動作には迅速性を要する。 しかし、田んぼの粘土で長靴の足を取られて、あまり動作が自由でない身には、必然的に小生の体形が変なままカメラを被写体に向けてじっとしているというとになる。この曲がった姿勢の持続は持病の腰痛にとって非常に危険である。

   

それでも我慢して撮影していたら、突然カメラの画像が真っ暗になった。電池は今朝新しく変えたばかりだったのでおかしいなと思っていろいろいじっていたら、「カメラの内部温度が上がって撮影できません」という意味の説明文が突然画面に出てきた。こんなことは、これまでいろいろの会社の、デジカメを使い始めて以来、初めての経験である。炎天下でしばらく待ったが何しろ気温が高いので、なかなかもとに復帰しないので、壊れたかもしれないと撮影を中断した。

   

      そのあと大衆食堂に昼食に出かけた。減量のためにご飯や麺類を控えて肉と豆腐料理を取って、お箸で食べ始めたのだが、なんと!箸を持つ右手の小指と薬指と中指が自然に不随意に掌の内側に曲がって来て箸が自由に操れない! 「すわ!脳梗塞か!?」 と一瞬焦りを感じた。3-4回左手の指で元にほどくことを繰り返すうちに正常に動くようになったのだが。

  

ここ2、3日は炎天下で一応ペットボトルの水やお茶やスイカで水分は供給しながらの野外実験をしていたのだが、久しぶりにアンダーシャツが汗でびっしょりなり、首に巻き付けた手拭いがぐしょぐしょになる汗をかいた。それが、一時車に避難して車のクーラーで体を冷やしているうちに乾くのだが、また外で作業を15分もしないうちにぐっしょり濡れる。こういう経験を久しぶりにした。この間たぶん相当な量の汗が噴き出していたものと思われる。脳の血液もドロドロになって軽い脳梗塞をおこしていたのかもしれない、と思ったのである。

   

後に冷静になって考えてみると、右手のこの3本の指は右手のみでカメラをじっと固定して被写体に向けて構えるときに、頻繁に負荷がかかっていたのだ。それで一時的に右手の3本指に麻痺がおこったのだろうと納得した。
 
  幸いというかカメラの機能は回復した。(このSTYLUSカメラは実に気に入っている。防水機能があるので水中でも使えるようだが、高温の沙漠でも使えるような耐熱性機能は付与されていないようだ。日本の真夏の野外でもこのように支障をきたすぐらいだから、まだアフリカや中近東では売れないだろう。)

   

4日間の調査を終えて、帰りの新幹線に乗り込んだのだが、ぜんぶ荷物をホテルから宅急便で送ってしまったので、Tシャツ一枚で、あった。ちょっと車内冷房が怖かったのと、普段しているマスクをポケットに入れるのを忘れたので、駅のコンビニで急きょ買って、そのマスクをして気管の乾燥をさけて、座席に座り込んだとたんに眠り込んだ。気が付いたら、マスクの右下がぐじょぐじょである。どうやら眠りながらよだれを垂れていたようだ。小生は若いときに左の舌下腺腫瘍で舌下腺を手術で除去しているので普通の人の4分の一唾液の分泌が少ない、その上に年のせいで、何かと「つばき」の出が悪い。よだれが垂れるなんて、久々の経験である。脱水を恐れてかなり水分の補給を怠らなかったので、新幹線の冷気で小便以外にもよだれで体外に水が分泌したと勝手に解釈した。

  
  若いときには脱水で腎臓結石で何度も倒れたことは、以前にも述べた。逆にあまり水を取りすぎると、頻尿とよだれが垂れるとは。。。。厄介な体になってきた。
    
       

(森敏)
付記:知らなかったのだが、人に聞くと、スマ―トフォンでも、電池の温度が上がって「画像が突然消える」ことがあるそうだ。 時々「コンピューターの電池が火を噴いて爆発する」「だから海外経路への航空機へのコンピューターの機内持ち込みは禁止する」というニュースも最近流れたことがあるので、文明の利器もなかなか厄介だ。

追記:この記事を書いた数日後も、以下の記事が載った。

タブレット端末から発火か 東海道新幹線内、けが人なし

朝日デジタル 2017.9.24. 19:48

 24日午後5時45分ごろ、神奈川県東京都との境付近を走行中の東海道新幹線「のぞみ234号」の車内で「テーブルが焦げた」と110番通報があった。東京駅に到着した車内を消防や警察が確認したところ、40代の男性客のタブレット端末が焦げていた。けが人はなかった。警視庁が詳しい原因を調べている。

 丸の内署によると、この新幹線は新大阪発東京行きで、名古屋駅から14号車に乗った男性客のタブレット端末が新横浜駅を過ぎたあたりで発火したが、すぐ消えたとみられるという。

 

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